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ととろサンのひとりごと

【観たり聴いたり旅したり】からこちらへ。旅やアメリカでの話、趣味のことなどなど・・・自分の覚書を兼ねて。

連休先どりして、横浜港ディナークルーズなど。

2018-05-03 15:41:39 | 旅のつれづれ

 大きな観覧車の色が様々に変化して、海面に光のさざ波が揺れて…ロマンティックな夜景です。

 横浜港湾内観光船マリーン・ルージュ号からの夜景。さすが!横浜、奇麗でした!

連休前の数日、長女の住む横浜へ。孫のゆうちゃんの大学入学祝いや誕生日祝い兼ねて、観光船「マリーン・ルージュ号」でのディナークルーズへ。午後七時の乗船迄、暮れなずむ山下公園で過ごし、乗船場へ。

 

 

                         (氷川丸)

  それ程の人込みではなかったけど、連休に入るとどっと多くなるのだろうなあ。                  

 

お料理はフレンチ。(料理の写真に孫達が映っちゃった。モザイク掛ける方法知らないので画像はカット)

・スープ・魚料理(金目鯛のソテー、バター風味のアンチョビソース)
・肉料理(仔牛フィレ肉のベーコン巻き、ポルチーニ茸のソース、野菜のガレット添え)
・デザート色々な木の実のタルトと桜アイス
・パン・コーヒー   ワインなどを楽しんでちょっとほろ酔い。食後はデッキできらめく夜景を見ながら、心地よい潮風を感じたひと時でした。そうそう・・・カップルのプロポーズシーンに出くわしました。こっそり見ちゃいました。感じの良い若いカップル、真摯で可愛らしかった。10代の孫、ちょっとドキドキ、リアルな告白シーン見ちゃったので(笑)

横浜湾内2時間でのディナークルーズ、なかなか素敵でした。

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桜・桜の修学旅行的京都旅…最終日。

2018-04-19 06:05:55 | 旅のつれづれ

3月28日

今日も晩春というより初夏の陽気、汗ばむほどだった。三日間を通じて、白人系の観光客は、半袖Tシャツといった格好の人達を見かけるが、日本人・アジア系の人達は、律義に「季節はまだ春だから」みたいな服装なのが多い。季節の如何に関わらず、自分の体感で服を選ぶ人達と、季節という決まりに合わせる人達、お国柄の違いが面白い。

ホテルで休んでいるからというご隠居、タクシーで回ったとはいえ、足にやはり負担が来たのだろう。娘と二人最後の神社拝観に出発!「お昼までに戻るように」とご隠居。出発は午後二時新幹線。

さあ、急がなきゃあ・・・。

まずは定番の【五重塔の東寺】へ。早い時間でまだ空は白っぽい。もうかなりの観光客。境内は桜真っ盛り。見慣れた風景…桜の向こうに五重塔…だが、やはりいいものだ。陽光は逆光なのが残念!

 

境内だけウロウロして。あ、気になったことがあった。トイレに寄った時、車椅子の方が。だが和式のトイレだけしかなくて、困っていらした。付き添いの方がいらしたので、何とか他の処などに移動して大丈夫だったとは思うが。有名なお寺なのに、「なんで和式だけの古いトイレ?」きっと他の場所にちゃんとしたものがあるのかもしれないが。気になってしまった。

次は私が訪れたかった【智積院(ちしゃくいん)】京都や奈良に詳しいサークル仲間から「ぜひ」と勧められた寺院は江戸の画家長谷川等伯の障壁画を見ることが出来るとのこと。以前九州国立博物館で、江戸の画家たちの展示会で等伯の絵に惹かれるものを感じていたので、是非!と思っていた。

真言宗智山派総本山。寺号を根来寺(ねごろじ)という。もともとは紀州発のお寺なんだな。根来衆などというのはここから来たのかな。本尊は金剛界大日如来。 3歳で病死した秀吉の愛児・鶴松(つるまつ)を弔うために建てられたお寺とか。今回は等伯の障壁画と庭園のみ

もう空は明るく真っ青に、陽光燦燦、暑い!

ここもほんとに静かだった。時間があればもう少しゆっくりしたかったのだが・・・

 

  

(画像はレプリカ)「春の三ヶ寺巡り」という立て看板があった。智積院・泉湧寺・東福寺。受付の方が「三ヶ寺巡りですか?」「いえ、たまたま三寺巡りになりました」「まあ、惜しかったですね。三つ巡ると恩典があったのに・・・泉湧寺さんでは何もおっしゃいませんでしたか?」とはんなり京都弁で。恩典はともかく、春の京都のお寺行事に参加した気分を味わえたから”良し”としよう。

長谷川等伯や息子の文蔵の障壁画が収めてある宝物殿は、無人だった。娘と二人説明のスイッチを入れ、聴きながらゆっくり拝見した。丁度京都に来る前に、偶然葉室麟の【乾山晩愁】(尾形光琳はじめ戦国から江戸の絵師などの、心の葛藤や生き様が描かれている)を読んだばかりだったので、26歳の若さで亡くなった息子文蔵の手による【桜の図】息子を失った苦悩の中で描き上げた【楓の図】など、貸し切り状態の中でゆっくり想いを馳せながら眺めた。

【乾山晩愁】は葉室麟の本を沢山持っている友人から拝借したうちの一冊だった。彼女も最近このお寺を訪れている。京都や奈良大好きで、何度も訪れている友人達の中の一人である。

「安倍龍太郎の【等伯】とても面白かったよ」と彼女から聞いた。安倍龍太郎は八女の黒木出身(あ、黒木瞳と同郷だ・・・関係ないけど)の作家。私は余り読んだことがない、名前を知っている程度。【等伯】という作品で直木賞を受賞しているとのこと。彼女は友人から借りて読んだという。探してみよう。文庫になっているかな?

等伯の絵に墨のみで描いたお猿さんを、九博の展示会で見た。なんとも可愛らしいむくむくしたまん丸い顔で、手足の長い、思わず笑みが出るような絵だった。

 ここでも等伯の障壁画と庭園のみはゆっくり過ごして、さあ、次へ。時間が限られて駆け足というのは折角来たのに勿体ないが。

次は娘が行きたいといった【東福寺】へ。

往きに乗ったタクシーは「反対側で拾えばいいのに、こっち側だと廻らないといけない・・・」と最初から不満顔。近距離だったからかな。「近いかもしれないんですみませんが」と丁寧にお願いしたんだけど。で、「回廊のあるあたりに行きたい」と要望伝えたけど、下されたのは、随分と離れたところだった。テクテク、てくてく。時間にゆとりがあれば歩くのもいいものなんだけど。気持ちが焦った。

  

 

東福寺は摂政関白藤原家が、奈良の寺院の東大寺と興福寺から二文字をとって1236年から19年の歳月をかけ、建立した寺院。

広大な寺院は沢山の伽藍などがあり、何処のお寺でもそうだが、全部回るとなると一日に2つくらいしか回れないだろう。ここでも有名な【通天橋】を中心に。

ヨーロッパ系の観光客と何人かすれ違うだけで、ここも静かだった。このお寺は紅葉で有名。秋になるとこの回廊も人だらけとなり、一方通行、撮影禁止などという縛りがあるそうだ。これは帰りのタクシーさんに聞いた話。

回廊や寺院を囲む紅葉の若葉が、瑞々しくきれいだった。

お昼までに帰れよ…とのご隠居さんの言葉に、ちらちら腕時計を気にしながらの三寺だった。往きに遠いところで降ろされて、帰りもタクシー拾うまでかなり歩かないといけないかなと思っていたら、一台境内に客待ちのタクシーが。やったぁ、早速乗り込んだところ、この運転手さん、とても親切で「ここで嵐の大野君が撮影した」との話なども飛び出した。めい”は以前からずっと嵐の大フアン。で、実はそれを知っていて、このお寺に来たかったのだと(笑)運転手さんと撮影の話などで盛り上がってた。おまけに京都で大野くんが滞在していた旅館にまで立ち寄ってくれて。あはは。娘は翔クンがお気に入りだが、嵐5人は皆好きだとかで、嬉しいお土産となってみたいだ。

ご隠居との約束の時間はオーバーしている。携帯で連絡とり合うと「今駅近くの喫茶店」とのこと。「サンドウイッチでも食べるか」ということになって・・・。

気が付いたら京都の甘味処なんていうのには、入ってないなあ。途中で一保堂のお抹茶アイス食べたくらいで。娘もご隠居も甘いものには興味はない方だし、お寺巡回・・・が忙しかった。

最初の夜の京料理と何処だったかおうどんの美味しい店くらいしか。味は柔らかで甘味があり、運転手さんの言によると「京都は海鮮物などがないので、そのまま味わえないから、工夫して見栄えの良い、洒落て美味しいものをと追及した」成程、フランスが新鮮な魚介類などが少ないから、ソースの工夫がなされて、凝った料理が生まれたのと一緒なのだなと思った。因みに運転手さんは、食い倒れの大阪出身なのだそうだ。

「いつか、天皇サンは京都に帰っておいでになる」と真面目に思っている地元のお年寄りも多いとか、泉湧寺の16弁の菊の花文様を見ると、なるほどなと思ったり、金閣寺や清水寺、人気のお寺の拝観料一日の収入額に、目の玉が飛び出るほどに驚いたり、凡人の私「それでなんで宗教法人は無税なんだろう?国宝だと修復代なども国が出すんだし、なんか納得いかないなあ」と考えたりしながらも、当時の権力者による建立とはいえ、これほどの日本ならではの、建造物や仏像が遺されていることのすばらしさに改めて感じるものがあった。

外国の観光客が多いのは、国が今後は観光国を目指している以上、避けられないことだから、慣れるしかない。日本の良いところを見て好きになってもらうのは嬉しいことではあるが、確かにいささか喧噪すぎる。でも私は余り苦にならないが、ご隠居は大の苦手で、観光客の多い処へは行かないといつも言う。日本国隅々まで、日本人より外国人の方が観光などに訪れるような時代に、そんなところあるのかな?

ゆっくり自分の足で歩くのが、奈良や京都はベストだと解ってはいるけど、ずっと訪れる機会がなかった私には「修学旅行的京都急ぎ旅」でも、嬉しかった。またいつか、今度はポイント絞って、行きたいところ見たい場所を中心に歩いてみたいものだ。歴史のど真ん中の京都は、そういう意味でも面白い。元気でいなくては!

帰りは「やっぱり駅弁食べたい」娘のリクエストで、駅弁ぶら下げて帰宅。午後七時過ぎだった。桜満開の京都ど素人の旅は、こうしておしまいになった。

帰ってきたら~~太宰府の桜も満開。娘はこちらでも桜満喫して、花吹雪や花筏を楽しみ、アメリカへと帰った。4月5日のことだった。

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桜・桜の修学旅行的京都旅2日目・・・その2.

2018-04-18 04:17:38 | 旅のつれづれ

3月27日 2日目 

味わいたかった嵯峨野は竹林の小道の喧騒にギブアップ。運転手さんが「静かなお寺があるんですよ。」と案内して下さったのが、東山区にある【雲龍院】泉湧寺(せんにゅうじ)別院

 

泉湧寺は鎌倉時代の御堀川天皇、四条天皇、江戸時代の 御水尾天皇以下幕末に至る歴代天皇の御料があり、皇室の菩提寺として、地元京都の人達から「御寺(みてら)」と呼ばれている(ネットによる)

 泉湧寺別院【雲龍院」は”しおり”によると応安5年(1373年)後光巌天皇が建立、後小松天皇・称光天皇など皇室の帰依を受けて発展したといわれる勅願の寺院で、皇室との縁の深さから、塔頭と同じく泉涌寺山内にありながら別格本山という高い寺格が与えられている…のだそうだ。天皇家の方々がお詣りにみえる【天皇さんのお寺】初めて訪れたお寺であった。本尊は阿弥陀如来。恥ずかしながら、全く知らなかった。

わあ、だあれもいない!(後から一人かな、入って来られたが)ゆっくりゆっくり…廻った。写経が盛んで、若い女性が一人写経の間で、黙々と丁寧に筆を進めていた。このお寺の写経は墨でなく、朱色を使うとのこと。

驚いたのは、屋根・手水鉢、庭の白砂迄「16弁の菊の花の紋」だったこと。まさに天皇家のお寺であった。

  

お庭に面した広い部屋には、瞑想の石と椅子が置かれていた。腰かけて瞑想の石に足をおき、お庭の静かなたたずまいを眺めていると、時間の経つのを忘れてしまいそうだった。ぼうっと何時までも座っていたくなる。

   

  【飛翔】力強い字は、大石内蔵助の書。良く映画や芝居では昼行燈などと称せられたりするが、この字を見ると、腹の据わった豪胆で、沈着冷静な人だったのだろう。それでないとあれだけの決起は出来ないなと感じた書であった。そういえば内蔵助が蟄居した山科の里は、京都郊外だったんだなと改めて思った。

丸窓や3枚の障子からの眺めが、庭の風景を切り取って、季節それぞれの花や紅葉を浮き立たせるように、設計されている。

この寺の書院などは、全てが俗世の雑念を解き放ち、暫しの間瞑想に更けることが出来るようになっているようだ。良い時間を与えてくれた運転手さんに感謝!

夕暮れ時、さて・・・今夜の食事は・・・京都食通のMさんのブログを拝見して、あれこれメモって来ていたのに、見物することに懸命で予約するのを忘れてしまっていた。娘は帰省以来大好きな海鮮類、牡蠣打ち小屋とか色々にラーメンなどぞも・・・で、少しおなかがお疲れ様気味だという。やっぱり和で行きますか?もう一度京料理で・・・結局運転手さんにお任せすることになった。祇園の「美登利」というお店だった。かき入れ時だったからだろう、オネエサン達は忙しく二階にお料理を運んで、なんとなくバタバタという感じ。前夜に比べると内容もイマイチ。娘は湯豆腐にほっとしたようだった。そういえばお豆腐専門のお店もあったのだと後で思ったことだ。ま、太宰府にもお豆腐料理の【梅の花】があるけど、嵯峨野で食べそこなった京都のお豆腐料理食べたかったな。

 もう夜遊び(笑)する元気はなく、そのまま駅前のホテルに。明日は午後の新幹線迄自由行動。さて、何処に行こうかな。定番「東寺」娘は【東福寺】に行きたいという。私も友人お勧めの寺へ。時間足りるかなあ。でも、友人達へのお土産は、前夜娘とアチコチのお店覗いたし。今夜はゆっくり休むとしましょう。

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桜・桜の修学旅行的京都旅・・・2日目。その1。

2018-04-15 21:29:25 | 旅のつれづれ

3月27日

今日は昨日よりもっと明るく初夏並みの天気だった。”めい”(ととろの次女だから、めい、長女は さつき)は早起きしてすぐ横の八坂神社・丸山公園や建仁寺の方まで散歩に行ったそうだ。「人気のない澄んだ空気の中の桜やお寺の雰囲気は最高だったよ」と声を弾ませていた。

朝食(京都の朝がゆ献立)の後、宿のすぐ横の八坂神社と円山公園へ。明日から「桜祭り」とのことで露店組み立て中。花見の準備(席とり?)している人達もいる。

有名な【巨木のしだれ桜】まじかに見上げると、やっぱり凄い!前に薄い、後ろに濃いピンクの滝が激しく流れ落ちるような感じだ。

  

祇園さんと親しまれ、祇園祭で有名な【八坂神社】境内で見かけた巫女さん、袴が藍色なのはどうしてかな?普通は朱色とばかり思っていたが。

 

朝の散策から宿に帰り、昨日と同じ運転手さんの案内で、知恩院へ(残念ながら改装中)⇒天龍寺へ。(1339年後醍醐天皇の菩提を弔うために、足利尊氏が夢窓国師を開山として創建した寺)

  

 

2日目のメーンは【嵯峨野】半世紀近く前(わあ!)嵯峨野を歩いた想い出は今もしっかりと残っている。あのさやさやと風のなる竹林の小道を辿ると・・・ひっそりとした佇まい、源氏物語「賢木の巻」の野々宮神社

俳句の祖芭蕉の弟子、去来の別荘で2度?3度芭蕉も滞在した落柿舎。芭蕉の「嵯峨日記」も生まれた。

清盛の寵愛を受けた白拍子祇王(平家物語)が、その心変わりに虚しい心を抱いて尼となった祇王寺。かって琵琶法師によって語り継がれてきた平家物語は、古典の中でも大好きなものの一つである。平家の繁栄と没落、中でも清盛の寵愛を受けた二人の女性、ともに自ら進んで尼となった。祇王と仏御前のくだりは、若き日の私には同じ女性として、涙を誘う切ない物語であった。その二人と祇王の妹・母親の住まいとなった嵯峨野の奥の草庵の風情は、切なくさびさびとしていて、胸を打った。

 諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、 盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久しからず、 ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もつひにはほろびぬ、ひとへに風 の前の塵に同じ・・・・

余談だが、古典文学は源氏でも枕草子でも、声に出して読むととても心地よい響きを感じる。意味は少々解らなくても、日本語の美しさがあるように思う。

だから~~少々観光客が多くてもぜひ行きたいと2日目に嵯峨野方面を選んだのだが。いやあ、驚いた。百聞は一見にしかず・・・。竹林の小道を歩く人達の画像で解るように、国際見本市のように、ヨーロッパ・アメリカ・インド・アフリカ・中国・韓国他・・・様々な人達が肩をぶっつけ合いながらぞろぞろ行き来している。こんな雑踏の中でも、立ち止まって自撮りしている隣国の人達も。う~~ん。

 

参ったなあ・・・運転手さんに「落柿舎辺りはどうですか」「この人たちがそのまま移動していくわけですから、そりゃあ・・・」ご隠居はもう完全に引いてしまった。昔のイメージまるでなし!と切り捨てる。

渡月橋を渡ったあたりで、美味しい湯豆腐を食べた記憶があるので、今日のお昼はそれにと思っていたが、いやはや。これ以上進むことを断念して、修学旅行定番の金閣寺へ。ここもまた然り。しかし見慣れた構図であっても、池に映る金箔輝く金閣寺は素直に・・・きれいだった。お寺をめぐっていると、当時の施政者たちの権力と信仰心、相反するようなものがたっぷりと存在するのに、改めて驚かされる。

ここはやっぱり、この画像しかないでしょう。

お昼に嵯峨野で湯豆腐・・をあきらめて。運転手さんが「おなかはすいていますか?」「いやそれ程でも」宿の朝食感触だったし。「では”炙り餅”はどうですか?」

今宮神社 平安時代に疫病退散で、建立されたようだが、江戸時代この近くの八百屋の娘さんが江戸城に上がり、将軍のご寵愛を受けたとかで、別名「玉の輿神社」とも呼ばれ、良縁を願うお詣りが多いとか。遊び心で「玉の輿」お守りを二つ買った。二人の孫娘達に。さて、彼女たちの反応は?(まあ、だいたい解るけど)今度上京する時に手渡してみよう(笑)

今宮神社横に2軒、向かい合って「名物炙り餅」のお店が並んでいる。観光客どちらに入るか、迷うだろうな。運転手さんは仕事上の繋がりだろう「こちらへ」とさっと案内してくれた。炙り餅一品だけである。勿論初めての味。みたらし団子感覚だが、お味噌を使っているらしく、その風味がなかなか美味しかった。

 

 

  炙り餅を食べて一休み。運転手さんが「次はどこへ?行きましょうか」「仁和寺に行きたい」と私。あの木造り回廊に。

仁和寺

   

 

 

 

仁和寺(旧御室御所・世界遺産)平安時代 58代光孝天皇が西山御願寺として着工宇多天皇の時に完成。

兼好法師の書いた「徒然草」の中に…かなえを頭にかぶって抜けなくなった仁和寺の法師の話がある。教科書にも出ていたなあ。私はここの回廊が好きだ。観光客もまばらで、ほっと静けさを味わった。有名な御室の桜が咲く頃には、ここも人で埋まることだろう。いい時に訪れたなあ。御影堂も格子作りの味わいのあるお堂で、ぐるりと巡りながら、観光案内はお手の物の運転手さんが色々説明して下さって面白い。

さて次は・・・今日の拝観したお寺の中で、一番ひっそりと無人の時間を楽しめた処があった。同じ京都なのに。

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桜・桜の修学旅行的京都旅・・・1日目。

2018-04-14 20:26:23 | 旅のつれづれ

アメリカ在住の次女が「日本の桜が見たい!桜の京都に行きたい!」と3月後半に帰省した。大学からずっとアメリカ暮らし。高校の修学旅行はスキーだったので、京都へは一度も行かないまま。暮れからお正月か、夏の帰省が多く、やっと今春念願の桜に会いにやって来た。定番の修学旅行のような京都巡りとなることだろう。

3月26日、博多駅から新幹線で京都へ。駅弁を食べるのも嬉しくて仕方がないと娘。今回の「京都旅」は二泊三日。観光客で溢れんばかりの時期なので、旅行会社に宿と観光タクシーを頼んだ。これは正解だった。(経費は?確かに!!かなり・・・であるが、もうアメリカに行くことは無理だろうと思っているので、それに比べればと奮発した)

著名なお寺などはとにかく人だらけ。タクシーの運転手さんが良い方で、鴨川・白川・高瀬川などの川沿いの満開の桜も楽しめたし、著名なお寺への拝観もスムーズ、説明も詳しく興味深く耳を傾けた。

本来ならゆっくり自分の足やバスなどを使って、行きたいところを重点的に廻るのがいいのだが、何しろ初めての京都!の娘。能率的・欲張りな内容になるだろう。

第一日目はまずあの清水寺ここが有名な清水の舞台なのねと娘。何もかもが初めてだから)から始まり、建仁寺・三十三間堂・方広寺・豊国神社・辰巳大明神など。清水寺では【随求堂胎内めぐり】博多の東長寺にもあるが、やはりこちらの方が。最近暗闇、ここまでの真の闇を体験することなどない。数珠玉を探りながらやっぱり怖った。夕暮れ近くには先斗町や花小路あたりへ。運転手さんが「都踊りのポスターなどが張ってあるところは観光客でも入れます。何も書いていないところはイチゲンさんは駄目ですね」歌舞練場や舞妓さんなどの名札のかかったお茶屋さん?などを見ながら一通り歩いてみる。

三十三間堂の千手観音はじめ仏様たちに、かなりゆっくり相対することが出来た。やっぱり仏像の前にたたずむと、おのずと心が落ち着き、このままずっと時間の流れるままに身を置きたいと思ってしまう。清水寺にある【阿弖流為(あてるい)】の碑を見つけた。染五郎・勘九郎・七之助が新しい芝居「阿弖流為」にチャレンジしtことを思い出して、思わずパチリ。建仁寺も国家安康」の梵鐘で有名な方広寺も、桜に包まれて眩しいばかりの初夏のような陽気の中だった。

話には聞いていたけど、まるで初詣の太宰府天満宮参道並みの三年坂あたりである。とにかく和服姿が多い。隣国の女性、いや男性も和装で自撮り。鮮やかな色彩、華やかな模様の若い女性達。着物生地だの柄だのを言えば、あれこれあるだろうが、嬉しそうな姿を見ると微笑ましくなる。運転手さんの話によると「レンタル着物屋さん」が昨年だけで30数件新規に出来たそうな。

旅館【畑中】は八坂神社裏門のすぐ近くにあった。ひっそりとした佇まいが心地よい和風旅館だった。食事が夕食・朝食ともに部屋食というのが嬉しい。最近は朝まで部屋食というのはないような気がする。私達が行くのは温泉だからだろうか。ポチ袋を用意して来て良かった。世話をしてくれる中居さんにあれこれ話を聞きながら、京風な料理とお酒が一段と美味しく感じられた(長女は下戸だが、次女は結構イケル口である)

食後は股関節の不具合で、宿でご隠居は宿で休養。私と娘は夜の街散策。歩きたかった小さな細い路地裏など【ねねの道】を(秀吉の正室寧々・・大政所が秀吉野多目に立てたお寺である【高台寺】へ。夜桜の巨木をライトアップしているというので。偶然プロジェクション・マッピングが桜と楼門と白砂の庭をうまく生かした演出で映し出されていた。餓鬼が最後にお釈迦様の法力で救われる…というようなストーリーだろうと思うが。音楽とともに光と影のアートが繰り広げられていた。本堂の縁に座って幻想と幽玄の世界に浸された。「良い時に来たね」と話したことだった。「お父さんにも見せたいから動画にしておくよ」と娘。

 

 花見小路や京都特有の細い細い小道を「どこに抜けるのかな」と少し不安になりながらも娘と楽しんだ。路地を抜けると【都踊り】の花提灯が軒先に灯って、「あ、一力茶屋だ」そう、歌舞伎三大狂言の一つ【仮名手本忠臣蔵】7段目”一力茶屋の場”で大星由良助が(ほんとは大石内蔵助ですが、本名出して芝居にするのはまずいので)敵を欺くために遊蕩したという、あのお茶屋もあった。 一力茶屋。

 ただ、歩いただけだけど・・・。高台寺ではライトアップの境内を楽しんだ。祇園だからもしかしら、舞妓さんに会えるかな…は実現しなかったが。宿に戻ったら、ご隠居さんが「舞妓さんに会ったよ」「??」風呂上りにエレベーターに乗ったら、芸妓さんと舞妓さん二人が乗っていていたそうで「、柔らかい京都弁を耳にしてご機嫌の態であった。そういえば「畑中のしおり」に「舞妓さんとのディナータイム」というのがあったなあ.

お風呂もゆっくり入れたし、隣国の団体客もなく、ひっそりと静かに夜は更けていった。明日は?修学旅行+観光客の来ないお寺へということで、運転手さんにリクエストを出すことにしよう。

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