3月28日
今日も晩春というより初夏の陽気、汗ばむほどだった。三日間を通じて、白人系の観光客は、半袖Tシャツといった格好の人達を見かけるが、日本人・アジア系の人達は、律義に「季節はまだ春だから」みたいな服装なのが多い。季節の如何に関わらず、自分の体感で服を選ぶ人達と、季節という決まりに合わせる人達、お国柄の違いが面白い。
ホテルで休んでいるからというご隠居、タクシーで回ったとはいえ、足にやはり負担が来たのだろう。娘と二人最後の神社拝観に出発!「お昼までに戻るように」とご隠居。出発は午後二時新幹線。
さあ、急がなきゃあ・・・。
まずは定番の【五重塔の東寺】へ。早い時間でまだ空は白っぽい。もうかなりの観光客。境内は桜真っ盛り。見慣れた風景…桜の向こうに五重塔…だが、やはりいいものだ。陽光は逆光なのが残念!


境内だけウロウロして。あ、気になったことがあった。トイレに寄った時、車椅子の方が。だが和式のトイレだけしかなくて、困っていらした。付き添いの方がいらしたので、何とか他の処などに移動して大丈夫だったとは思うが。有名なお寺なのに、「なんで和式だけの古いトイレ?」きっと他の場所にちゃんとしたものがあるのかもしれないが。気になってしまった。
次は私が訪れたかった【智積院(ちしゃくいん)】京都や奈良に詳しいサークル仲間から「ぜひ」と勧められた寺院は江戸の画家長谷川等伯の障壁画を見ることが出来るとのこと。以前九州国立博物館で、江戸の画家たちの展示会で等伯の絵に惹かれるものを感じていたので、是非!と思っていた。
真言宗智山派総本山。寺号を根来寺(ねごろじ)という。もともとは紀州発のお寺なんだな。根来衆などというのはここから来たのかな。本尊は金剛界大日如来。 3歳で病死した秀吉の愛児・鶴松(つるまつ)を弔うために建てられたお寺とか。今回は等伯の障壁画と庭園のみ。
もう空は明るく真っ青に、陽光燦燦、暑い!
ここもほんとに静かだった。時間があればもう少しゆっくりしたかったのだが・・・


(画像はレプリカ)「春の三ヶ寺巡り」という立て看板があった。智積院・泉湧寺・東福寺。受付の方が「三ヶ寺巡りですか?」「いえ、たまたま三寺巡りになりました」「まあ、惜しかったですね。三つ巡ると恩典があったのに・・・泉湧寺さんでは何もおっしゃいませんでしたか?」とはんなり京都弁で。恩典はともかく、春の京都のお寺行事に参加した気分を味わえたから”良し”としよう。
長谷川等伯や息子の文蔵の障壁画が収めてある宝物殿は、無人だった。娘と二人説明のスイッチを入れ、聴きながらゆっくり拝見した。丁度京都に来る前に、偶然葉室麟の【乾山晩愁】(尾形光琳はじめ戦国から江戸の絵師などの、心の葛藤や生き様が描かれている)を読んだばかりだったので、26歳の若さで亡くなった息子文蔵の手による【桜の図】息子を失った苦悩の中で描き上げた【楓の図】など、貸し切り状態の中でゆっくり想いを馳せながら眺めた。
【乾山晩愁】は葉室麟の本を沢山持っている友人から拝借したうちの一冊だった。彼女も最近このお寺を訪れている。京都や奈良大好きで、何度も訪れている友人達の中の一人である。
「安倍龍太郎の【等伯】とても面白かったよ」と彼女から聞いた。安倍龍太郎は八女の黒木出身(あ、黒木瞳と同郷だ・・・関係ないけど)の作家。私は余り読んだことがない、名前を知っている程度。【等伯】という作品で直木賞を受賞しているとのこと。彼女は友人から借りて読んだという。探してみよう。文庫になっているかな?
等伯の絵に墨のみで描いたお猿さんを、九博の展示会で見た。なんとも可愛らしいむくむくしたまん丸い顔で、手足の長い、思わず笑みが出るような絵だった。
ここでも等伯の障壁画と庭園のみはゆっくり過ごして、さあ、次へ。時間が限られて駆け足というのは折角来たのに勿体ないが。
次は娘が行きたいといった【東福寺】へ。
往きに乗ったタクシーは「反対側で拾えばいいのに、こっち側だと廻らないといけない・・・」と最初から不満顔。近距離だったからかな。「近いかもしれないんですみませんが」と丁寧にお願いしたんだけど。で、「回廊のあるあたりに行きたい」と要望伝えたけど、下されたのは、随分と離れたところだった。テクテク、てくてく。時間にゆとりがあれば歩くのもいいものなんだけど。気持ちが焦った。


東福寺は摂政関白藤原家が、奈良の寺院の東大寺と興福寺から二文字をとって1236年から19年の歳月をかけ、建立した寺院。
広大な寺院は沢山の伽藍などがあり、何処のお寺でもそうだが、全部回るとなると一日に2つくらいしか回れないだろう。ここでも有名な【通天橋】を中心に。
ヨーロッパ系の観光客と何人かすれ違うだけで、ここも静かだった。このお寺は紅葉で有名。秋になるとこの回廊も人だらけとなり、一方通行、撮影禁止などという縛りがあるそうだ。これは帰りのタクシーさんに聞いた話。
回廊や寺院を囲む紅葉の若葉が、瑞々しくきれいだった。
お昼までに帰れよ…とのご隠居さんの言葉に、ちらちら腕時計を気にしながらの三寺だった。往きに遠いところで降ろされて、帰りもタクシー拾うまでかなり歩かないといけないかなと思っていたら、一台境内に客待ちのタクシーが。やったぁ、早速乗り込んだところ、この運転手さん、とても親切で「ここで嵐の大野君が撮影した」との話なども飛び出した。めい”は以前からずっと嵐の大フアン。で、実はそれを知っていて、このお寺に来たかったのだと(笑)運転手さんと撮影の話などで盛り上がってた。おまけに京都で大野くんが滞在していた旅館にまで立ち寄ってくれて。あはは。娘は翔クンがお気に入りだが、嵐5人は皆好きだとかで、嬉しいお土産となってみたいだ。
ご隠居との約束の時間はオーバーしている。携帯で連絡とり合うと「今駅近くの喫茶店」とのこと。「サンドウイッチでも食べるか」ということになって・・・。
気が付いたら京都の甘味処なんていうのには、入ってないなあ。途中で一保堂のお抹茶アイス食べたくらいで。娘もご隠居も甘いものには興味はない方だし、お寺巡回・・・が忙しかった。
最初の夜の京料理と何処だったかおうどんの美味しい店くらいしか。味は柔らかで甘味があり、運転手さんの言によると「京都は海鮮物などがないので、そのまま味わえないから、工夫して見栄えの良い、洒落て美味しいものをと追及した」成程、フランスが新鮮な魚介類などが少ないから、ソースの工夫がなされて、凝った料理が生まれたのと一緒なのだなと思った。因みに運転手さんは、食い倒れの大阪出身なのだそうだ。
「いつか、天皇サンは京都に帰っておいでになる」と真面目に思っている地元のお年寄りも多いとか、泉湧寺の16弁の菊の花文様を見ると、なるほどなと思ったり、金閣寺や清水寺、人気のお寺の拝観料一日の収入額に、目の玉が飛び出るほどに驚いたり、凡人の私「それでなんで宗教法人は無税なんだろう?国宝だと修復代なども国が出すんだし、なんか納得いかないなあ」と考えたりしながらも、当時の権力者による建立とはいえ、これほどの日本ならではの、建造物や仏像が遺されていることのすばらしさに改めて感じるものがあった。
外国の観光客が多いのは、国が今後は観光国を目指している以上、避けられないことだから、慣れるしかない。日本の良いところを見て好きになってもらうのは嬉しいことではあるが、確かにいささか喧噪すぎる。でも私は余り苦にならないが、ご隠居は大の苦手で、観光客の多い処へは行かないといつも言う。日本国隅々まで、日本人より外国人の方が観光などに訪れるような時代に、そんなところあるのかな?
ゆっくり自分の足で歩くのが、奈良や京都はベストだと解ってはいるけど、ずっと訪れる機会がなかった私には「修学旅行的京都急ぎ旅」でも、嬉しかった。またいつか、今度はポイント絞って、行きたいところ見たい場所を中心に歩いてみたいものだ。歴史のど真ん中の京都は、そういう意味でも面白い。元気でいなくては!
帰りは「やっぱり駅弁食べたい」娘のリクエストで、駅弁ぶら下げて帰宅。午後七時過ぎだった。桜満開の京都ど素人の旅は、こうしておしまいになった。
帰ってきたら~~太宰府の桜も満開。娘はこちらでも桜満喫して、花吹雪や花筏を楽しみ、アメリカへと帰った。4月5日のことだった。