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ととろサンのひとりごと

【観たり聴いたり旅したり】からこちらへ。旅やアメリカでの話、趣味のことなどなど・・・自分の覚書を兼ねて。

久しぶりに、海辺訪ねて芥屋の大門へ。

2022-04-24 17:25:01 | 旅のつれづれ

 生まれ育った博多の街は海沿いの街。いつもほのかに潮の香りが風に交じっていた。福岡大空襲で田舎に疎開、その後福岡に帰って、小学生の頃百道の浜近くに住んだことがある。今は埋立地となって、シーホークホテルや高層マンションが立ち並ぶ近代的な街並みとなっているが、その頃は家から続く松林を抜けると、静かで美しい百道の浜が目の前に広がっていた。まだまだ海も透き通ってきれいな状態で、波はキラキラ。白い細かな砂浜で、空と水平線の交わる広い広い海原と打ち寄せるさざ波の音は心地よく、朝焼け・夕焼けを眺めるのが大好きだった。以来「海がみたい!」気持ちが憧れとなって、胸の中に住み続ける。

山の自然に囲まれた太宰府の緑も好きだが、時々「海に会いたくなる病」が胸の中から湧き上がってくる。蔓延防止が解けたので「福岡県避密の旅・キャンペーン」の残りをどこへ?「じゃあ、海辺に連れて行って!」とご隠居に懇願(はオーバーだが )海鮮を楽しみに【芥屋の大門(福岡県糸島市)】までドライブ。太宰府から都市高速走って、糸島方面へ。コースはご隠居任せ。いつもながらの「助手席の女」の私(単に運転できないだけ)。

 都市高速→西九州自動車道へ。まずは【二見ヶ浦】平日にも関わらず若いカップルの姿が多い場所だ。今日の空は一面グレイ、曇り空。海もキラキラ蒼くという訳にはいかない。明日に期待しよう。

 

岩場で少し遊んで【桜井神社】へ。

 カリフォルニアに住む次女は以前から熱い「嵐」フアン。特に櫻井翔くんがごひいき。ご隠居はこのあたりの「嵐」三社巡り(二宮神社などもある)の案内役させられたことがある。東区の宗像大社の海へ続く「光の道」や糸島の嵐?神社巡りは、鬼滅の刃の太宰府の「竈門神社」などとともに好きなグループやタレント「推し」の若い人たちでにぎわっていた。櫻井神社はこのあたりの人達が初詣に行く神社。「ちょっと寄って行こうか」と。古色蒼然とまではいかないが、鄙びた感じの大きな神社で、たたずまいがなかなか良い。私は派手な色などの神社より、こんな感じの方が好きなので、詣で客も2組くらいなので、ゆっくり境内を回って楽しんだ。つつじをはじめ、幾つかの花たちも静かに季節を彩っていた。ゆったりした気分を味わえる神社の雰囲気だった。

    

八重桜。なんと言う品種だろう。重なった淡いピンクの花びらは下を向いている。真っ盛りでほんとに可愛かった。

 →芥屋大門へ

「民宿磯の屋」民宿と言っても4階建てのホテル風外観。もっといかにも民宿という宿を想像していた。部屋は三階。平日を選ぶので客数は少ない。今日も2組だけなので3階には私達だけ。15畳の部屋は海に面している。嬉しい!食事はお刺身やサザエなどは新鮮でさすが!だが、料理的には定番会席という感じ。お値段も一人一泊8千円と安い。避密の旅で料金はすでに払い済み。追加の料理やお酒代などを支払うだけでよい。

小さな漁港(船だまり)の前の宿で、目の前に「芥屋大門観光案内所」がある。海に突き出した堤防には釣り人達の姿。鯵やすずきなどが釣れるらしい。

 この猫ちゃん、釣り人のおじさんと同じ格好で、海をのぞき込んでいた。魚が上がってくるのを待っているらしい。いつもおこぼれ頂戴で丸々と太っていた。のどかでユーモラスな風景に思わず笑ってしまう。

 夕食の部屋は広々としているが、客は二組だけ。三密の心配全くなし。黄昏の海、久しぶりに眺める海の夕陽は素晴らしかった。空をオレンジ色に染めて丸い夕陽が沈んでいく。この情景を見ているだけで、今度の旅(という程ではないが)の目的は達した気がする。くれなずむ空と海を眺めながら地酒を少し味わう。新鮮な海の幸はやっぱりいいなあ。海の見える景色はいいなあ。充足感たっぷりな宵だった。昔・昔、進むべき道を右に?左に?悩んだりした時、私は一人で浜辺に来た。空を染め水平線に沈む夕日を、潮風の中で眺めながら、涙したりしたこともある(乙女チックと笑われそうだが)自分のことは自分で決める私だったが、結論を出しかねることもあった。

 

 

そんなときは浜辺で夕陽を眺めて自問自答したりしたものだった。純粋で多感な青春!今は遠く遥かな彼方のこととなり、良い想い出だけが残っている、不思議なものだ。

翌日は風もなく快晴。陽ざしはもう夏!穏やかな海が広がっている。僅か25分くらいだが「芥屋の大門」巡りの観光船(小さな船)に乗る。「磯の屋さんに泊まってるなら100円引きです」と一人800円が700円に。ささやかだが、なんだか嬉しい。船にはもう一組だけ。4人で出発。真っ青な空、海が輝く。キラキラと。風が心地よい。あっという間に芥屋の大門へ。

 この洞窟の中へ小さな船は入れる。エンジンを止めて・・・。水深7メートルまで透き通って。周りの柱状岩石は、TVの『ブラタモリ』で「柱状節理(ちゅうじょうせつり)」というのだと知った。柱のような岩が並んでいる、それを眺めるだけでも面白い。前にここに入ったのは・・・結婚前の頃だったな、随分久しぶりで来たものだと感慨深い。波が高ければ船は入れない「今日はほんなこと、良か日ですよ」と船長?サン。

『七ツ釜』のように幾つかの洞窟をめぐるのではないで、アッという間に港へと帰ってきたが、潮風と穏やかな海と空、ともすれば日常が切ないことの多い世情なので、ほっとする時間だった。

 若い頃海水浴に来ていた松原もなくなりマンションなどが建った。その発展は目を見張るものがある。九大(国立九州大学)の一大キャンバスが糸島に移り、お洒落なお店なども多くなり、「伊都菜彩」や「志摩の四季」などは産地の新鮮野菜や海鮮で、沢山の客がいつも訪れ、糸島野菜などは全国的にも有名になってきた。

 帰路「伊都菜彩」に立ち寄り、新鮮なお魚や野菜、お花などを友人へのお土産も、我が家用にも、色々買ってきた。実は一人千円也の買い物券がこの企画にはついているので、それを使う楽しみもあって立ち寄ったのだが、使用できないという。「使えるところありますか?」「近くのドラックストアなら」「えっ」でも仕方がない。ドラッグストアで使いました。苦笑いするしかないですね。

余談:また、やっちゃいました。「福岡県避密の旅」払い済みを利用して行ったので、宿泊料はもう支払いの必要はないのに、うっかり、宿泊代も払ってしまって、家について「はっ」と思い出した。「二重払い」したのです。慌てて電話。銀行口座に戻っては来ましたが。相変わらずなととろサンでした。

 でも・・・一泊二日にしては、楽しい旅でした。海ni会えた!海の夕焼けに会えた!

 

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近場GO TO。唐津呼子へ【小さな旅】の二日目。

2020-11-02 20:59:37 | 旅のつれづれ

10月27日(月)今日も抜けるような青空、影がくっきり映るような晴れやかな陽光。

 朝食の伊勢海老のお味噌汁、ご機嫌!早めにチェックアウトして、車で4分の【呼子朝市】へ。おなじみの市場通りを、名物の烏賊の生干しや鯵のみりん干しなどを並べているおばあちゃんたち。宿で貰った地域買い物券で、烏賊の生干し・塩辛・みりん干し・甘夏ジュレなどなど買いながら、長い路地を歩く。平日のせいか人影はまばら。おばあちゃんたちとの会話が楽しい。

 

烏賊の生干し作製中。クルクル回って。

多分元漁師かも・・・かなり年配のおじいさんが「今釣ってきたばっかりだよ」メバルや小鯵がパシャパシャ跳ねている。「小鯵は南蛮漬けにいいかも」「おまけするよ」と30数匹200円。アラカブ3尾400円。などなど。クーラーボックスちゃんと持参(笑)

朝市から【呼子大橋】を渡って【加部島】へ。

【呼子大橋】

【橋のたもとからの眺め)

【風の見える丘公園があり、玄界灘が一望のもとに見晴らせるビュースポット。顔なじみのおばさんから名物の甘夏ミカンを買ったりしたものだ。ここの甘夏ジュレもとてもおいしい。今日はお土産店もも閉店、丘は静か。秋風が優しく吹きすぎていくだけ。

玄界灘一望のもとに。「風の見える丘」はビュースポット!

穏やかな海を眺め「さて、帰るとするか」とご隠居。(海は見たけど‥・浜辺を歩いてみたいなあ)と寄り道すること提案したがスルーされてしまった。帰路は海を左手に眺めながらの道へ。(まあ、いいや、海見ながら帰れるから)と心でつぶやく私。

・・・と白い鳥居が見えてきた。あ、二見ヶ浦だ!ご隠居の帰路の予定に【二見ヶ浦】が入っていて、海好きな私へのサプライズだったようだ。

二見ヶ浦二見ヶ浦は【玄海国定公園】(福岡県糸島市志摩の桜井海岸など)にある夫婦岩。最近はラブ・スポットとしても若い人たちに人気がある。

真っ白なきめの細かい白砂の浜辺、岩の間の透き通った浅い水底には、小さな魚たちが泳いでいた。遠く見晴るかす水平線と広がる穏やかな漣さえないような海。雲一つない明るい秋空。

暫したたずんで、足元に寄せるさざなみのささやきや、キラキラ輝く水面を眺めて過ごした。

私が生まれ育った福博の街は海沿いに広がる街。どこにいてもかすかに潮の香りが漂っていた。小学生の頃は3年間ほど、西区百道の松原近くに住んでいたことがある。松原を抜けるとすぐに美しい海があった。

朱色に染まっていく朝焼けの空の色を映す海、夕暮れが迫り、夜のとばりが降りる前のラベンダー色の空、雲。そんな朝夕の海辺にいるのが好きだった。

青春と呼ぶ惑うことも多い時代、切ないことがあったりすると、一人浜辺へ来たものだ。暮れなずむ空と海の色と寄せては返すさざなみの音に身をゆだねながら、これからの道を、どう選択するべきか、一人心の中を探ったりしたものだ。はるかに遠い若き日の心のひだは、海の色、波の調べと共にあるのかもしれない。今も浜辺にたたずむと、心が柔らかく溶けて行くような気がする。

緩やかな優しい時間を浜辺で過ごして、前にあるレストランでピザなど食べて帰路についた。

早速豆鯵(小鯵)は「南蛮漬け」に。近所の友人達には、海の幸の御裾分けなど。

コロナ発生以来初めての、小さな旅は「海が好きな食いしん坊」の私には、満ち足りた旅だった。ご隠居に感謝。宿の情報をくれた知人に感謝。

コロナ禍で、少し沈みがちな気持ちが、晴れやかになった。

今日の爽やかな秋空のように。

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海が見たくて!伊勢海老が食べたくて!一日目の呼子。

2020-11-02 15:28:38 | 旅のつれづれ

10月26日(日)

空は真っ青に清々しく、陽光も夏の強烈さから、柔らかくあたりを包む秋のぬくもりに変わったなと感じる爽やかな日。初めて「GO TO」トラベル使用しました。

海鮮大好き、特に【伊勢海老の活き作り】が食べたい!と言う、至って世俗的な食欲思考に従って【唐津の呼子】の宿へ。(伊勢海老求めて・・・天草・長崎の茂木(ここは琵琶も有名)・宮崎の油津港などなど・・・行ったくらい・・夫婦とも海鮮が好き。私は特に伊勢海老と蟹が大好きです)

福岡都市高速⇒西九州道⇒浜玉町から「生の松原」(白砂の海岸線に沿って、防風林の松林が続く道)

虹の松原(にじのまつばら)は、国の特別名勝で、三保の松原、気比の松原とともに日本三大松原のひとつに数えられる景勝地。長さ約4.5km、幅約0.5kmにわたり、約100万本のクロマツが群生している。17世紀初め初代唐津藩主寺沢広高(ひろたか)が防風・防潮のため、海岸線の砂丘にクロマツを植林したのがはじまりとされています。

 

漁師町の中の海辺の宿【清力旅館】は、おかみさんが電話した時に「うちは三階なんですがエレベーターとかありません」と仰るような旅館。「新鮮な伊勢海老や烏賊の活き作りを食べるのが楽しみですから、階段大丈夫です」と答える。

急な階段の先の3階の部屋は、リニュアルされて広々。海に面した部屋がダブルブッキングになっていたからと、地酒の冷酒をお詫びに添えた食事は【烏賊・伊勢海老・あわび・鯛やヒラマサなどの刺身に、サザエのつぼ焼きや酒肴、小鉢物。蒸し物などなど・・・」近所の方のお勧め通りの海辺ならではの海鮮尽くし。(画像を少し)おまけに、最近では珍しい【部屋食(朝食も】お運びして下さったおねえさん(おばさん)に「少しだけど」と。和風旅館に泊まる時や部屋食の時はポチ袋用意していきます。そんな方との会話も(勿論マスクはしっかりしてらっしゃって。離れたところからのお喋りではありましたが、こんな昔ながらの宿もまたいいものです)

やはりコロナの影響で、6月までは休んでいましたが、GO TOで少し客足が戻り、ほっとしていますとのこと。いずこもコロナ影響多大、早く収束して欲しいとまたまた思う。

 

 烏賊は「アオリイカ」でした。げそは天ぷらに。他に蒸し物・ウニ風味の炊き込みご飯などなど。

懐石料理のような凝ったのではありませんが、海鮮の素材そのままに美味な料理でした。海沿い、漁師町ならではしょうね。

「満足・満足」で、好きな海鮮・食の旅の夜は更けてゆきました。

天気予報は明日も秋晴れ!!

 宿からの夜の海。

そうそう、肝心のGO TOでのお値段・・・は?

宿泊代は35%オフ。二人2万円で少しお釣りが来ましたよ(これだけのご馳走なのに)

それに「地域買い物券」3000円X2人=6000円が付きました。びっくり!です。

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おのぼりサンととろ、もう一つの目的は・・・【国文研】へ。

2018-05-13 16:57:55 | 旅のつれづれ

今回上京のもう一つの目的は【国文学研究資料館】に行くこと!!(通称国文研)

昨年秋…【鉄心斎文庫・伊勢物語の世界…特別展示】があり、行きたかったのだが、機会を作れず、今回の上京ではぜひ!と。【和書のさまざま】は通常展示室でいつも展示。

  

 【鉄心斎文庫】個人夫妻が40年の歳月と情熱を傾けて収集の「伊勢物語」関係の古文書。ご主人がなくなられたので、約1,000点の世界に類を見ない貴重なコレクションを、2017年に国文研に寄贈されたもの。

幸い娘が国文研に勤めているので、出勤の時にくっついて、車で立川迄。娘は横浜から立川まで毎日地下鉄などでの通勤だから「毎日遠足並みに時間がかかるのだそうだ」が、好きな分野の仕事なので、苦にはならないという。いにしえの頃の貴重な書物を手に取り、目を通して整理などをすることは、書物好きにはたまらない魅力だという娘の気持ちはよく解る。娘はマスクをしてエプロン掛けての作業なのだが。

立川と言えば基地と反射的に思ってしまう時代の人間なのだが、基地跡が整備された街となって、桜並木が続き、国関係の機関などが色々あり、すぐ横には「昭和記念公園」もある。

新緑輝く並木を通って立川の国文研へ。

 

建物の中に入ると広いロビー。ロッカーに荷物を預け、中にあった透明の手提げに、貴重品などだけを入れて、閲覧室へ。大学の先生ら市人が、PCと本を並べて机に向かっている。数人の姿が見えるだけ、とても静か。

私が手に取りたい源氏物語や伊勢物語、江戸時代のものなどをピックアップして、娘がPCで閲覧申請書を作成していてくれたので、受付もスムーズ。とても親切な司書の方が,地下の所蔵庫から出してきて下さった。手をきれいに洗い、机の上広げた和紙の上で、桐箱に入った源氏絵巻(これはお嫁入などに持参する小さな折りたたむようになった絵巻物)や伊勢も絵入りの原本、あるいは江戸の庶民が手にした草子類や季節行事などを解り易く描いたもの。百人一首本・・・緊張しながら手に取って、文字の読み解きが出来たらなあ・・・と不勉強を反省したりしながらも、時のたつのを忘れた。

静かな閲覧室の書架に並ん書物は、どれも自由に手に取って読むことが出来る。万葉から近世明治大正などまでの、貴重な書物がずらりと並ぶ。作家にしても珍しい著作も色々。近くだったら~~通って来たいなと思ったことだった。

お昼は、広いロビーに幾つかのお弁当屋さんのブースが並ぶ。近くのサラリーマンさん達が買いに。私も娘の昼休みの時間に合わせて、娘とロビーのテーブルで、お弁当を。「お母さん、興奮しているね」と娘が笑った。確かに・・・ドキドキしながら、古書を手にした喜びが胸いっぱいに溢れていたので。

国文研のある敷地内に【国立極地研究所(通称極地研)…北極・南極関係の】があったので、立ち寄った。入り口にはタロー・ジローなど頑張ってくれた犬たちの像が並んでいた。

細かい展示などが沢山あり、昭和基地で撮影したオーロラを観る映写室もあった。頭上に刻々変わりながら、美しい色を見せるオーロラ、アラスカにオーロラを見に行こうと計画しかかったこともあったが、残念ながら実現しなかったな。学童の見学者も多いのだろう、解り易い説明で、可愛いアニメも。本日は私一人、貸しきり状態だった。実物展示。

 

昭和基地。

こんなパンフレットが。TVの読書の時間などに、よく登場するこの方が、4月より国文研の館長さん。

ロバート・キャンベルさん。昨日来宅の若い人が、「大学で講義を受けました」と話していた。外国の方で日本文学、それも古典文学などに明るい・・・なんて、驚くほかはない。そういえば、ドナルド・キーンなどなども歌舞伎や文楽にとても詳しかったし、三島文学に精通している人も。私など英語の日常会話でさえ、結局ギブアップしてしまったのに。凄いなあ。

心満たされた一日でした。

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10年ぶり、友との再会は・・・

2018-05-05 16:03:30 | 旅のつれづれ

久々に上京の目的の一つは、k・Wさんと再会することでした。東京駅丸の内南口で待ち合わせ。孫が懇切丁寧な案内図を作ってくれました。お上りさんの私のために。横浜グリーンライン~~目黒で乗り換えたりして、その通りに無事にK子さんと出会うことが出来ました。

以前から「ぜひお連れしたい」と仰っていたこんな老舗料亭に、ご一緒しました。

永田町国会議事堂の近くにある鰻料理の【山の茶屋】場所柄もあって、歴代の首相や政治家さん達が、訪れるという、庶民のととろサンなどには普通は縁のないところなのですが。

このお店Wさんのご主人様のご実家で、弟さんがお店を継ぎ、息子さんの代になると4代目という老舗。「主人がぜひお連れしたいと言っていたのに、なかなか機会がなくて」とK子さん。(毎夏丑の日にここの鰻が我が家に届き、私の方からは博多老舗の明太子を。お嬢さん夫婦も大好きだとのことで。お互いに元気にしていますよ・・・の確認です。そのお店です)

江戸三大祭りの一つ「山王祭」で有名は【日枝神社】の裏手にあり、大都会の中にこんな閑静な自然に囲まれたところがあるのか!と驚く風情のお店でした。

Wさんご夫妻とのご縁は、10数年前にさかのぼります。

たまたま積み立て保険が満期になったので【アラスカ・クルーズ】に参加しました。アトランタで仕事していた娘が【カリブ海クルーズ】2泊3日に招待してくれて、その体験から、クルーズの醍醐味にはまってしまって、何とかもう一度…と思っていたところだったので。

思い切りの良さだけは「ハンサム・ウーマン」的なととろサンです。「行ける時に行っておかなくては当時星野道夫のエッセイや写真に魅せられて、アラスカに憧れていたご隠居サンに否応はある筈もありません。まだその頃は、ヨーロッパ系やアメリカ系の外国の人達が殆どで、アジア系はほんの僅か。日本人も4000人中30人くらいだったでしょうか?

その中で親しくなり、いつの間にか食事などもご一緒していたwさんご夫婦。帰ってからも頻繁にメールの交換など。お互いの家庭の事情も解りあえて、益々【良き友】として夫婦ぐるみでの付き合いとなりました。「会いたいね」と言いながらも、お互いのスケジュールが合わなくて、一度上京した際にお会いして旧交を温めた程度でしたが、気持ちだけはお互いに通じている、そんな友でした。

そのうちに、T建設にお勤めのご主人様が「アスベスト公害」で病気なさってしまい、僥倖を祈る日々でしたが、残念ながらその祈りは通じませんでした。

<人がお互いに分かり合えるのは、年数の長さなどではないというが、ほんとにそうだと思う。Wさんご夫婦とは、とても自然な形で深いお付き合いの気持ちが生まれて、奥さんのK子さんとは「不思議ねえ」と話していた>

ご主人様は本当に温厚で優しい人でした。そのご主人をなくされたK子さんは、深い哀しみの日々でしたが、娘さんにお孫さんが生まれたり、少しづつ元気を取り戻されました。K子さんからのメールに『主人のことは、今振り返ると、出会いから最期の日までの全てが宝物、ただただ「ありがとう!」に尽きます』とあり、「別れは辛いものですが、そういう風に言える妻は幸せですよ。K子さん!」と返信したものでした。

私もC型肝炎から肝臓がんになるという最悪の状態になり、お互いに励まし合ったり、慰め合ったりしたものでした。

食事しながら「ご隠居さんがご一緒じゃないのは、ほんとに残念だけど・・・」とK子さん。ととろさんの夫は股関節不具合で、今回は独りでの上京でした。

ご主人様の遺影を前に献杯して、日本産の最高級な鰻を使ったお料理を。肝焼き・鰻巻き・白焼き・かば焼き・肝吸いなどなど・・・ 

 

  

積もる話に食べることを忘れそうになりながらも、しっかり美味だなと味わっていたととろサンでした。

赤坂に住んでいらっしゃるお嬢さんも、バギーでぐっすりお休み中の元気そうなお孫さんを連れていらっしゃって。今はお孫さんの存在がK子さんの活力の素となり、英会話・編み物・太極拳などと、忙しく毎日を元気に過ごしているとのことで、明るくなられたことを喜びながら、今度は福岡で会いましょうと約束したことでした。

幼い時から何十年もの友人も、転勤先や地域や趣味で仲間となったり、ふとした縁でお付き合いの始まった友人も、実際にはお会いしたことのないネットでの友人も・・・人と人との巡り合いは、お互いに理解しあって、波長が合えば、素敵なお付き合いが出来るものですね。そういう繋がりは人生の宝物。大事に大切にしていきたいと改めて思ったことでした。

永田町にある、山王祭りで有名な「日枝神社」(800年前に建立)は、山の神「大山咋神(おおやまくいのかみ)」が祀られている。また、皇居(江戸城)の裏鬼門としても知られている。周りには高層ビルが聳えているが、大都会とは思えぬ落ち着いた静かな雰囲気の神社だった。

興味深かったのは、神社には【あ・うんの狛犬】サンが鎮座しているものだが、ここはお猿さんのご夫婦が。正門の鳥居がまた変わった形をしている(滋賀県比叡山のふもとの日吉大社が大本の宮なので、そこと同じ形の鳥居だそうな)

い頃、祖母の寺詣りのお供や、お宮でお籠りの機会が多かった私、それにお博多っ子は神社好き。曾祖父などは櫛田神社や太宰府天満宮などに、常夜塔などを仲間と寄進したりしている。そういう環境だったからか、旅して近くに神社などがあると、訪れたくなる私です。

 

神社から鳥居へ下りる階段。向かい側のビルは、工事中だった。高層ビルを見ると、都会の中なんだなと思う。

 日枝神社、なぜ狛犬サンでなくお猿さんなのか?ネット友のWさんが調べてくれました。なあ~るほど、納得!

猿は、もともと神様と人間のあいだをとりもつ存在として、昔から敬われる存在でした。祭神が山の神ということもあり、同じく山の守り神とも呼ばれる猿が使いとして重宝されていたらしいですね。「さる」という音から「まさる(まさる)」「魔が去る(まがさる)」とも考えられ、勝運の神や魔除けの神として置かれているらしいです。音読みの「えん」という音から、猿が「縁(えん)」を運んできてくれると考え、商売繫盛や縁結びの祈願を受けに来る方も多いようです

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