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ととろサンのひとりごと

【観たり聴いたり旅したり】からこちらへ。旅やアメリカでの話、趣味のことなどなど・・・自分の覚書を兼ねて。

コトコト、ローカル列車【指宿のたまて箱号】で。

2014-06-07 11:53:38 | C型肝炎治療記

ななつ星イン九州】豪華な列車は随分先まで予約済みだそうだ。外国からの申し込みも多いとか。私達には料金的に無理だけど、最近はローカルでお洒落な列車が次々誕生しているようだ。

高校生の頃【早川ミステリー文庫】を読み漁っていた時、アガサクリスティの【オリエンタル急行殺人事件】にヨーロッパの素敵な列車が出てきた。車でのドライブは荷物は積めるし、服装も気軽だし、どこでも止めることも出来る便利さもあるけど、窓外の風景を楽しみながら、列車でコトコト。駅弁お喋りを楽しみながらの旅もまた素敵なものだ。

昨年晩秋の頃から色々あって、先進医療を受けるため、「鹿児島の指宿に行くことになった。

JR二日市から鳥栖駅で乗り換えて、博多駅へ。そこからは新幹線で鹿児島中央駅へ。

さらに枕崎線一日4本の特急に乗り換え。【いぶすきの玉手箱】指宿駅に。新幹線や特急を使っても、指宿までやはり遠い。液には若い人たちがカメラを片手に集まって、撮影していた。いぶすきの玉手箱号、なかなかの人気者らしい。駅に着くと、列車の上部から、浦島太郎が玉手箱を開けた時のように煙が出る。浴びてもおじいさんにはならないけど。

造の列車は可愛らしい【指宿のたまて箱号(竜宮伝説にちなんでつけられた)】で、錦江湾を眺めながらコトコト。これが治療の為でなく温泉旅行ならいいんだけどなあ…なんて思いながらも、広がる景色を楽しんだ。途中お昼休みごろには、市役所の人達が田圃の畔に並んで手を振ってくれる。指宿市あげて、観光客誘致に取り込んでいるのだなあ。ご苦労様。

 

 

記念撮影もしてくれる。列車内ではクイズなども。このローカル線、かなり揺れるのが玉に傷だが錦江湾に広がる景色を眺めながら、これから受ける先進医療に想いを馳せた。多少の不安も胸の奥にあるが、どんな医療だろうと好奇心も沸く。明日から暫く、指宿の山(400M)にあるホテルに滞在して、隣接の治療センターで治療を受けることになる。

治療が終わったら、昔から好きだったローカル線の列車での旅を楽しんでみたいものだと、そんなことを考えながら、明るい気持ちで治療に専念しようとの決意を新たにした。

2月2日のことであった。

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術後検診 無事通過

2011-02-20 07:05:00 | C型肝炎治療記

 先日 手術後退院後一ヶ月検診のため久留米へ。結果良好。体調が日 にちが経つにつれてよくなっているのは自覚していたが、やはり安心する。まだ、少し残っていた病人気分ともお別れしなきゃあ。

帰路の車の中で、ご隠居さんと「もう少し食べられるようになったら、温泉にでも行こうか」などと話す。

経過良好とはいっても、大腸を15センチ切除したので、やはりおなかの調子はそう簡単には戻らない。まだ薬の助けを借り、消化しやすいものをと食事に気を配る日々である。食事の量も退院直後に比べると、随分入るようにはなったが、まだまだ少量。温泉のあのずらりと並ぶ品数にチャレンジできるとは思えない。

温泉宿も私のような客のリクエストに応じて、「料理少なめ」その分低料金・・・にしてくれたら、病後養生を兼ねて一泊のところを二泊出来たりするのだが。そんなきめ細かい配慮の宿はないものだろうか。食べ残したり、食べ散らしたりするのは、私の性分に合わないのだが。

今年初めての【井戸端サロン】出席

毎月1回開催の地域公民館行事【井戸端サロン】は文字通り、来たい人、来れる人が集まって【お茶とお喋りの時間】を気兼ねなく過ごすようにと、ご隠居が区長の時代に「地域で何をやろうか?」と相談しながらはじめた町内交流の場の一つ。現区長もそれを継いで、女性区長ならではの、きめ細かなサロンに発展させてくれている。   

 退院後初めて顔を出した。ごく親しい友人だけに告げて(お見舞い辞退の気持ちがあって)の入院だったが、自然と伝わったようだ。「元気になられてよかった、心配してました」など口々に。有難いことだ。Hさんから「病気の経過などを聞きたい。そういう情報を知りたい」と求められた。皆さんも【他人事ではないよね」と。大腸腫瘍発見から手術、退院後の経過などについてお話した。

・大腸検査(6年のブランクの間に腫瘍が出来ていた。          

・セカンド・オピニオン(二つの病院での検査結果)どちらも同じ所見だったので、手術に 踏み 切ったこと。                                                 

・手術及び術後の経由、入院中のこと、病室のことなど。経費のことも含めて。                        

・退院後の体調管理のこと、自宅訪問看護のことなど。                       

・細かなことでは、肝臓癌から大腸への転移はないが、もし大腸癌になったらリンパに散らばると全身への転移もあり得ること。私の場合の腫瘍は詳細な検査で表面が一部癌化していたことが解った。深部には癌の芽もなかったので、「悪い箇所は切除したので、もう安心ですよ」と医者。私の両親など血縁の者には癌は一人もないのだが、今の世の中、遺伝子だけではなく、誰がいつ癌に罹ってもおかしくない状況なのだから。など、かなり詳細に話す。

私の体験が【病気に関する患者側からの情報提供】として、何らかの役に立てばいいと常々考えているので、長年C型肝炎と向き合ってきたことも、その結果一昨年肝臓に癌腫瘍が出来て「ラジオ波焼灼法(腫瘍が3センチ以内だと可能な方法)」で患部を焼いて(開腹手術などなしに)二ヶ月に一度の定期健診を受けていることなども、全てオープンにしている。肝臓癌の時は、友人のご主人がC型なのだが、CTなどを受けるのがいやだと仰っていたのが、私の話を奥さんから聞いて、すぐに受診【大丈夫!】の診断だった由。そう聞いた私も嬉しかった。一人でも手遅れ状態の人が少なくなることを、心から願う。昨日も【友人がC型肝炎でインターフェロンを奨められているんだけど・・・」と相談の電話があった。

勿論医者の診断・治療が一番大事だが、その体験者としての患者側からの、例えばC型肝炎治療法の【インターフェロン】を受けた場合の副作用のことなど、対応の仕方などは、体験した者でなければ、伝えられないことが多々ある。

 C型肝炎の場合は、自分の身体のせいで罹ったのでなく、幼い頃の予防注射や輸血などの結果C型ウイルスが身体に入ってきて発病ということが殆どなので、「なんで?私が?」と落ち込む人も多い(私もそうだった。事故にあったようなものだったから)が、罹ってしまった現実からは逃げられない。でも、上手く付き合っていけば、私の場合仕事や地域のことも出来たし、認知症になった姑の自宅介護も出来た。

病気への正しい認識と自己管理が一番大事だと思う。患者本人でなければ、解らないことが沢山あるのだから。治療する側の医者は病状を体験しているわけではないので、副作用の場合など時として「そんな筈はないのだが」と否定されることもある。知識と体験の違い。患者も個人個人で病状や体調の現れ方に違いがあるのだから。

 いずれにせよ、【早期発見とそれに対する的確な処置】が必要だと思う。現代医学は日々進歩しているし、それに人間の持つ自然治癒能力】に加えて【リハビリ】のように、積極的【自己参加して治療あたることも大事な要素だと思う。

更に一番大事なのは、その人の心のあり様なのかもしれない。同じ一日を暮らすのなら、くよくよして過ごすより、あるがままを受け入れながらも、少しでも明るい気分で過ごすように心がけることが、病気治癒なり、病状緩和の秘訣なのかもしれない。

人間、多少能天気な方が、生きることを楽しめるのかな?                                              

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ととろサン、青ざめる・・・の巻(その1)

2008-09-20 12:07:06 | C型肝炎治療記

 うっすら秋色に染まりかけた庭の片隅には、今年も水引草が小さな赤い宝石を連ねて、優しく風に揺れています。そんな”小さな秋”の中で、大きな出来事をまずはクリアー出来た嬉しさを、しみじみかみ締めている今朝のととろサンです。

 早朝の人気アニメ”チーズ・スイートホーム”(可愛い子猫のお話)のタイトル【チイ、頑張る!】【チィ、決心する!】風なイトルをつければ、まさに【ととろサン、青ざめる!

この出来事は、今夏我が家を駆け抜けた最大級の台風でした。

【癌告知】受けてしまいました!

「やっぱり腫瘍でしたよ」かかりつけの医者からCT検査の結果、そう告知されました。もっと詳しくと、MRI検査も受けました(検査そのものは、全く怖くもなんともないですよ)奇跡は起こらず、23ミリの腫瘍が私の肝臓に出現していたのです。全国に150万人以上いるというC型患者、ここ数年薬害保障などで騒がれているあのC型肝炎と私は長年付き合っています。

激しい副作用に耐えながら【インターフェロン】も3回(うち一回は途中下車)受けましたが、随分と居心地がいいのか、C型ウイルスは、ととろさんの身体に居座り続けています。だから、今まで仕方なしに、上手く共存(きちんと病院などに通って)しつつ、普通の生活を普通に過ごしておりました。

C型肝炎→肝硬変→肝臓がんというのは、C型肝炎を抱えている人なら、避けられない図式なので、いつかはと覚悟はしていたつもりでしたが(癌にならない前に寿命が尽きる場合も多い。90歳過ぎまで生きても癌にならない状態の人も)いざ告知を受けると「わぁ、ついに!」と胸の動悸が早くなり、し~~んと身体中が冷たくなるような感じでした。横にいた夫サンも、引きつった顔になっていました。医者は電波による治療法を勧めました。

沖縄の海でシュノーケリングを楽しんだりしたばかりなのに、自分の身体の中に癌が出来ているなんて、信じられない気持ちでした。でも目の前の映像には、確かに影があるのです。”肝癌になった時は抗癌剤や放射線などの治療は受けず、自然に任せて余命を生きる”きっぱりとそう思い定めていたつもりでした。癌そのものを叩くことには効果はあっても、化学療法は諸刃の刃、副作用も酷いから【私は何もしない】と心定めていたつもりでした。一応自分としてなすべきことはやってきたし、未練はないと。

だが、【人間は独りではない、家族や友人達の想いを無視してはいけないんだ】と思い知らされ、信頼できる夫の友人(医療界関係)に相談。【現代医学は捨てたものじゃないですよ。チャレンジした方がいい】と、その治療法に秀でている病院と医者を紹介してくれることになり、娘達とも話し、電波による治療法を受けることにしました。

 いざ入院と心を決めると、 どうしても温泉に行きたくて、夫サンと【雲仙温泉】で一泊。(こんなに元気なのに、沖縄でもシュノーケリングあんなに楽しめたのに、身体の中に癌があるなんて!複雑な思いでした)


その話題には触れず二人とも、雲仙・島原と楽しいことだけに目を向けようと努めたのですが、夫の胸中も私以上に切なかったと思います。気を遣ってくれているのが、よく解る小さな旅でした。

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ととろサン、いよいよ担当医に会う・・(その2)

2008-09-20 12:06:03 | C型肝炎治療記

    8月5日紹介受けた病院へ初診に。今まで古い大学病院や10年は医療が遅れているといわれていた頃の沖縄など、病院に関しては良いめぐり合いのなかったととろサンでしたが、今回下見にいって、2年前に新築,空間が広く、正面前には樹木が、院内にも緑や屋上庭園のある、明るくカラフルなこの病院は「あ、プチホテルみたいと気に入ってしまいました。大学病院みたいに大きすぎることもなくて。受付も優しく親切だったので、安心しておりました。ネットで調べると電波を使っての治療実績も多く、肝臓研究に取り組んでいる病院でした。なお、本体の久留米大学病院もも同じように肝臓では権威の大学、九大病院は肝移植に力を注いでいます。          久留米大医療センター

担当してくださるT先生はエコーを見ながら、病状・今後の治療についてじっくり1時間説明を。内科医というより外科医の感じで、スパッと本音で明快に話されるという印象。九州男児、バンカラタイプかな。多くのこの治療を手がけていらっしゃるベテランで優秀な方です。気に入りました。

エコー検査のあと「う~~んがちょっと良くないなあ」「はっ?」(内心私確かに美人じゃないけど、面と向かってブスっていわれても)”顔”は顔でも”癌の顔”のことだったのです。常に癌と向き合っている医者にとっては、癌の様相は”顔なんですね。更に娘や孫の血液型なども聞かれました。何故って!ここで「肝移植という方法、考えていらっしゃいますか」「お嬢さんとも話しておきたいのですが、こちらにいらっしゃること出来ますか」という言葉が!「えっ」ちょっと青ざめました。

「そ、そんなことまで考えてなかった!【癌告知】【余命】【肝移植】なんて言葉がぐるぐる頭の中真っ白。医者はあらゆる治療の可能性を、患者とその家族にすべきだという【インフォームド・コンセント】だったのですが。

更に、先生の話は続きます。

「大切なのは、家族みんなの合意と納得。よくよく話し合った上で、自分自身の結論をだすことです。生存率など、平均値では医学は語れない。同じ治療をしても、百人百様の結果しか出ない、あとはその人自身の問題であり、医学の及ぶ範囲ではない。医学上想定した以上の良い結果が出れば、それを神の業だと受け取る人もいるだろう」

「あなたの場合、アメリカであれば、ドナー待ちが可能なケースだが、日本の法律ではそれが認められず、家族からの肝臓提供が必要になる。手術は1200万円かかる。医学で決めるべきことを、日本は予算がないからと、法律で決めてしまっているのは間違いと思う」といったシビアなこともはっきりと仰いました。真剣に肝臓癌と向き合っていればこその、考え方だと思います。

続いて、

ラジオ波熱焼灼法 による治療が可能だと思われるが、検査をして万一の場合は3センチ切るかもしれませんが、それ以上は切りません。

この治療法は癌細胞をラジオ波(80度くらいの熱)で焼いて壊死させるというものなので、2年以上再発しなければ5年以上は充分約束できるが、1~2年で再発するようだと、その保障は出来ないが・・・とはっきり仰いました。いずれ再発は避けられないだろうと。だから【生体肝移植】のことも申し上げましたと。こういう風に、きっちりと言って下さる方が気持ちがいいなと思いました。そのときはその時でまた考えれば、いいことですから。その場で夫と相談(というか、娘達とも相談し、もう気持ちは決めてきていたのですが)【ラジオ波・・・】でお願いしたいと申し出ました。

まな板の上の鯉の心境です。総てお任せしようと思ったことでした。

 
最後に【大丈夫ですよ。安心してください】とにこっと笑顔に。メガネの奥の目は、とても温かい感じでした横浜在住の長女が先生にお電話して、色々伺い、それをまた私の方へ。娘はお舅さんが癌で亡くなるまで関わってきたので、かなり詳しく冷静な判断力を持っていたようで、「お母さん、安心して入院していいよ。大丈夫」とアメリカの娘からも何度も電話がありました。娘達【肝臓あげるよ。半分残せばドナーに支障はないのよって。そういわれても、その気持ちはありません。もう、ここまで生きてこれただけでも有り難いのに、将来ある娘達から貰ってまで、全治する気持ちにはなれません。

入院日はお盆明けの8月19日と予約。万一・・・なんて悲痛な思いもあったりして、家の中のことあれこれ夫サンに一覧表にして手渡したり、箪笥の中、書類の整理、友人関係住所録新規作成などなど~それにお盆、敬老会寸劇シナリオ作成、法事を済ませ、親戚の祝い事への出席など、出来る限りきちんとして入院しようと、まあ、忙しかったこと!おまけに【雲仙・島原】へも行きましたし。

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ととろさん、いよいよ検査・治療する~~の巻(その3)

2008-09-20 12:04:57 | C型肝炎治療記

8月19日入院。  

夫に【今回は個室を】と頼んだ。贅沢だとは思うが、短期間だし。一人でゆっくりしたい!4階の綺麗な部屋、こじんまりとしたミニ・ホテルみたいな。シャワー・トイレなどが備わっているから、とても楽だ。入院期間は2週間。看護士さんたちも、入ってくると「昼間何時までの担当のXXです」と自己紹介。優しい対応である。色々な形でのローテーションが組まれているようだ。(部屋からの眺め。丸屋根が外来)

入院治療計画書が手渡される。

 最初の二日間は、まあ、よく寝たこと。昔と違って就寝時間も10時。と遅くなっているのだが9時ごろからすやすや。入院前が余りに忙しくあれもこれもと、欲張って片付けたので、疲れ果ててたのだろう。読みたい本もたっぷり持ち込んだ。テレビもDVDも見ることが出来る。とすっかりリラックスした気分だ。太ももからカテーテル入れての血液造影は初めてのことなので、怖いなと思うが

エコー・CT・MRIなどの検査がある。造影剤を入れてより詳しく丁寧な検査だ。その結果、カテーテル入れての検査は必要なしとのこと。3センチ切らないで、なんとかやれそうですよとTドクター。検査の合間は閑です。売店覗いたり、屋上庭園に出たり、後はラジオ・本・手紙・携帯電話も使OK。友人や妹などとのお喋りなどなど。弟妹にも親戚にも友人達にも、一切お見舞い不要、お断りと。だから夫サン以外の訪問者なし。静かに隠れ住んでいる感じで、心地よい。〔ある日の献立]

8月25日 朝食抜きでアサイチ手術室へ。病室からエレベーターで手術室へ。いやなんだなあ。この感じ。思い出したくないことも思い出しておびえた気持ちになる。横浜の娘が昨日飛んできた。海外出張から戻った婿と入れ替わりに、出てきたようだ。病室で一泊してくれる。

麻酔科も手術室も若い女性の医者が多い。嬉しいことだ。これから何をするか、病室に来て説明や確認がきめ細かくなされる。「これから麻酔の注射しますので・・・」いつのまにか・・・・。「終わりましたよ」と声かけられて、自分が酸素マスクをしていることに気がつく。全身麻酔1時間15分くらいだったそうだ。

 麻酔が覚めたような覚めないような、朦朧とした状態で、かなりナーバスになっていたらしい。夫サンが「頑張って」って言ったら、「これ以上どう頑張るの・・・・」と昔の沖縄での辛い体験を思い出してたらしく、涙を流していたそうだ。「ブログに載せるから、酸素マスクした写真とっておいて」なんてアホなことまで言ったそうだ。本人はどちらも全く覚えていないのです。オハズカシイ。その夜は夫サンが、泊まってくれました。ベッドの壁には次女が買ってくれた【ドリームキャッチャー】(アメリカ先住民族手作りのお守り)が。

  

(休日の病院)        (悪夢を食べてくれるお守り、ドリームキャッチャー)

もしかしたら、癌腫瘍を焼いた周りに抗癌剤を少しふりかけるかもといったことも聞いていたが、その必要もなかったらしい。念の為4センチ以上壊死させたとか。この治療は、周りの血管や内臓の壁を傷つけたりすることもないとはいえないから、腕の良い医者に処置してもらうのが肝要だから、私は運が良かったなと、しみじみ思いました。

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