ととろサンのひとりごと

【観たり聴いたり旅したり】からこちらへ。旅やアメリカでの話、趣味のことなどなど・・・自分の覚書を兼ねて。

暑中お見舞い申し上げます。

2024-07-23 09:28:41 | 2023年10月より横浜での日々

7月22日

 梅雨明けとともに、猛暑の夏到来。今日も35℃超え。日本は亜熱帯化?枝葉を真っ青な空に延ばす樹木の揺らぎも猛々しさを感じる。コロナ水面下で流行、熱中症で救急車搬送される人も多い。

体調第一に、熱波を吹き飛ばして、夏の想い出を何か一つでも残したいものですね。皆様にとって、佳き夏となりますように。

(画像は沖縄の海に魅せられて通った、座間味島・古座間味の海・夕焼け。今は観光客も益々多くなり、こんな静かな海を楽しむことは出来なくなったようです。夫はダイビング、私はシュノーケリングで、どこまでも透き通った美しい海、色とりどりの熱帯魚たちの群れるさまを心から楽しみました。夏の想い出の一コマです)

 

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サザエさんの【長谷川町子記念館&美術館】へ。

2024-07-11 17:11:39 | 2023年10月より横浜での日々

7月8日 

 先日「長谷川町子記念館」に行った。

 国民的漫画【サザエさん】の生みの親である町子さんは、私の故郷福岡に10代迄住んでいらっしゃって、私の出身校の先輩でもある。それに笑い話のような事だが、私の伯父(父の弟)の名前がマスオ。この叔父は当時画家を目指していて、福岡では著名な画塾に通っていた。そこで女学生の町子さんと一緒に絵を学んでいた。画塾生みんなで海水浴に行ったりしたそうだ。お盆などの集まりで、伯父から「町子さんの家庭科のノートを見せてもらったが、絵入りで凄くきれいに整理されていて感心した」とそんなエピソードも聞いた。

      

 「サザエさんのお婿さんのマスオさんは、オイシャン(博多弁でおじさん)の名前かも」と思春期入り口の我ら甥や姪は、叔父をからかったりしたものだ。偶然なのだろうが、他の名前は【海】からなのに「マスオ」さんだけは、河の魚だから。ちなみに伯父はほっそり小顔のそれなりの美少年だったらしい。「馬鹿なことを」と叔父に一笑に付されたが。遠い日の想い出の一つである。

 記念館は世田谷にあった。商店街の通りは「サザエさん通り」これは福岡市の町子さんが住んでいらした西区の商店街辺りが「サザエさん通り」と名付けられたのと一緒である。

 私も「サザエさん全集」を持っているが、日本の終戦後の社会・政治・世相などが手に取るように解る4コマ漫画は、戦後の歴史書とも言えると思っている。ページを開けば、戦後の始まったあの日からの庶民の日々が鮮やかに蘇ってくる。

 記念館にはサザエさん関連の作品が沢山、記念館には町子さんや画家のお姉さんが集めた絵画が展示してあった。ゆっくり二つの館を回り、売店でお茶して絵葉書などのグッズを買って、大満足な私の「お出かけ・晴れの日」となった。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

早朝散歩、睡蓮の池。

2024-06-24 10:23:15 | 2023年10月より横浜での日々

梅雨に入ったが、晴れたり降ったりと目まぐるしく天候が変化する。昨日は灰色の空、雨の一日、今朝はカラリと晴れ上がって、昼間は30度を超すそうだ。

「降るかな」と空を見上げながらも、出来るだけ早朝散歩と途中の公園での6:30からのラジオ体操は続けることにしている。小さな池だが睡蓮の咲く池があり、この時期は立ち寄るのが楽しみだ。睡蓮にもいろんな種類があるようで、この池の睡蓮は比較的花が小さく、白い花が多く、間に紅色のも花開いている。

薄く朝日が広がる中に、静かに花開いた睡蓮と濃い緑の一面の葉をしばし眺める、早朝のひととき。

 睡蓮は古代エジプトで【太陽のシンボル】として親しまれていたという。

花言葉は【信頼・信仰・清純な心・優しさ・甘美】とある。絶世の美女クレオパトラが睡蓮の花を手にした姿…が浮かんで「絵になるなあ」

 私の父は俳句を趣味としていたので、吟行のつもりだったのだろう、お供に小学生の私を連れて、舞鶴城のお濠に睡蓮の花を見に行った。日曜日に早起きさせられた私は有難迷惑ではあったが、「睡蓮は花が開くときにポンと音がするそうだ」の一言に、そのポンが聴きたくて、目がパッチリ覚めて、いそいそと父について出かけた。黒田の殿様のお城の濠一面に睡蓮の葉が浮かび、仏のうてなのような花は、子供心にも気高く感じられた。が、幾ら耳を澄ませても「ポン!」という音は聞こえず、また花が開く瞬間を上手く見ることはできなかった。

 のちになって、開花の時に「ポン!」と音がするというのは、実験などの結果、通説で実際には何の音もしないということで巷の説にけりが着いたそうだ。父の俳句作り・吟行のお供で、太宰府にも良く行った。結婚して太宰府に住むことになり、博多は第1の故郷、太宰府は第2の故郷になった。自然に恵まれ、古き大和の歴史・筑紫万葉の里太宰府は、亡き夫もお気に入りの土地となった。娘達が幼いころから、宝満山や四王寺山によく登ったものだ。多くの長年の友人達も出来て、現在初めての地、横浜を終の棲家とした私をLINEや℡などで元気づけてくれる。人に恵まれ、その点では良き半生を過ごせたと思っている。

 恋するや 遠き国をば思へるや このたそがれの睡蓮の花   与謝野晶子

さて、明日も梅雨の晴れ間かな?雑木林の中の小径「緑道」を散歩しながら、睡蓮の花を愛でるとしよう。

瞬間豪雨などがない梅雨でありますように!災害のないことを願うのみ。

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝のひと時、港が空見える丘公園へ。

2024-06-17 15:26:48 | 2023年10月より横浜での日々

 先日の休日、娘が「近代文学館に行くけど、付き合う?」チャンスがあればどこへでも、横浜探索したい私「行く、行きたい!」と車に便乗。開館時刻に「港が見える丘公園」に着いた。展示の方は私はパスして、大さん橋や港など・瀟洒な高層ビル群などを眺め「ローズ・ガーデン」を散策した。観光案内によると約470種・1900株もの薔薇があるそうだ。凄いなあ。

 横浜と言えば「港が見える丘公園・山下公園・異人館通り・外人墓地…」などが”超”有名。ポピュラーな観光名所。横浜をまだほとんど知らない私でも近代文学館や大佛次郎記念館、坂道歩いて異人館などは、少しだけお馴染みの場所となっている。戦後流行った歌の題名をそのままに名付けた公園ということも。昭和22年、平野愛子という新人歌手が歌い、大いに流行ったという。その歌手は知らないが、ラジオから流れる歌は、幼かった私も記憶にある。

 手入れの行き届いた庭園は周りのお洒落な洋館にマッチした「ローズ・ガーデン」や噴水。薔薇はもう時期が遅いけど、それでも色とりどりに美しさを残していたし、クレマチス(てっせん)はじめ、様々な花達が夏を迎えようとしていた。鈍色の空が広がり、残念ながら景色はおぼろにしか見えなかったが、広がる海の景色は それでも美しかった。にわか仕込みの「横浜の開港の歴史」などを想い出しながら、”ちょこっと横浜探訪”これからも機会あるごとに続けたいな。ここ横浜がこれからの私の終の棲家となるのだから。

    

    ささやかな朝の短い時間だった筈なのに、初夏から夏へと移ろうとしている海からの風を感じながら、娘が戻るまで、アレコレの想いが沸き上がって、長くその想いの中に、独り包まれていたような気がしたものだった。

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アール・デコ様式の【東京庭園美術館】と【大正ロマン、竹久夢二特別展】でのひととき。

2024-06-09 16:11:10 | 2023年10月より横浜での日々

6月8日(土)

今日も夏を思わせる天候、雲一つない青空が広がっている。娘と東京都庭園美術館を訪れた。竹久夢二展も開催中なので人出も多くなるだろうと朝一で行った。丁度開館時に着いた。竹久夢二特別展示は6/1より8/25までと長期間の開催だそうだ。

 

 本館は1933年(昭和8年)に皇族・朝香宮家本邸として建てられたそうだ。1983年に美術館として開館以来、様々なジャンルの展覧会が催されている。 本館は主要な内装に著名なフランスのデザイナーが起用されて、アールデコ様式の飾りなどがあちこちに。2025年には国の重要文化財に指定されている。と説明に書かれていた。庭は美しい芝生で覆われ、さまざまの花木があり、四季折々楽しめるようになっている。奥には日本庭園も、風情のあるお茶室もしつらえてある。

ご家族それぞれの部屋、もてなしの主賓室・書斎・図書室(個人の屋敷なのに凄い!)・庭をガラス越しに眺める日当の良い大理石仕様のベランダ…などなど。そうそう、各部屋に洒落たアールデコ風の飾りのシャンデリアや暖炉などがあった。素敵としか言いようがない。。庶民の私は「凄いなあ、皇族ってこんな家に住むんだ」って妙な感慨を覚えたものである。【日本国民は全て平等である】という憲法はまだなかった頃だもんなあ…なんて言葉が、ちらっと頭をかすめたのは「朝ドラ」見ているせいか。

 そんなことはともかく、こういう歴史的な建物が遺されて、美術館として使われているのは素晴らしいことだなと思う。竹久夢二のあの大正ロマン・儚げな細い女たちの画像の展示にふさわしい。当時の女学生は争って夢二の描いたものを求めたと聞く。一代人気アーティストだったということだろう。夢二の故郷は岡山だ。以前生家を記念館とした(…と思ったが)岡山の「竹久夢二記念館」には行ったことがある。夢二は絵画・屏風・額・童話・雑誌の表紙・挿絵・千代紙・・・などなど、沢山の作品が残っている。ノートや日記などもきちんと保管されている。今度の出展も殆ど岡山記念館からのようだった。ゆっくり巡回しながら、夢二の描く世界に浸ることが出来た。沢山の展示で、見応え充分だった。

撮影は夢二の作品もOKのところが幾つか用意されていた。

 レトロな飾りの各部屋に展示された夢二の作品を巡り、美術館庭園のレストラン「コモド」(お店の画像はネットから拝借)でランチ。娘が予約していたので食卓に着けたが、昼席は予約で満席。来館ついでに立ち寄った人たちは、残念そうに戻って行った。フレンチのランメニューは【生ハムと夏野菜のカポナータ クスクスのサラダ仕立て 柑橘ヴィネグレット】に始まった。(フレンチは料理の名前が難しい)

ランチにしてはそれなりのお値段ではあったが、たまには母娘で楽しむのもいいだろう。亡き夫も美味しい物が好きだったし、出掛けるのも大好きな人だったから「この位の贅沢はいいわよね」なんて思っている自分がなんとなくおかしかった。外食するということに、まだ主婦としてのためらいを感じているのが。画像はうっかり取り忘れが二品あったのでUPは見送り(苦笑)

一面のガラス窓越しに、緑の葉裏が光と風に輝きながら揺れるのを眺めて、心地よい時間を過ごした。まさに命の洗濯…の半日だった。横浜も東京都内も、さすがに文化的なものに溢れているし、演劇やコンサートなどもあちこちで行われていて、取捨選択が必要な位だ。流石だなあ!!と改めて思う。

 
コメント (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする