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<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

菜の花はいのちのバトン、植物たちの。

2021年02月26日 08時15分23秒 | Weblog

わたしの視力では雨が降っているのかどうかが判別できないが、耳が雨を認識している。スレートに雨垂れが落ちて来る。それが雨音になって耳に届く。もう雨はじきに止むのかも知れない。音が次第にか弱くなって行く。

雨が降るたびに、気温が緩んで行く。畑の野菜たちが次々と可憐な菜の花を伸ばして行く。巻く白菜も、巻かない白菜も、青梗菜もターサイも、ほうれん草も春菊も、高菜も大根も。ブロッコリーも。やがてはフカネギも。小ネギも。

花を咲かせて種を育てて次の世代に命のバトンを渡して行く。次へ次へ次へ。この営みがあるので、地上はいのちを常に溢れさせていることができる。そういう植物たちの生の営みを見ていると、それがにんげん達の営みにも重なり合って見えて来る。

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雨の一日になりそう、今日は。

2021年02月26日 07時02分55秒 | Weblog

夜中も夜明けも雨の音。大雨というほどではないが、雨粒が大きそうに聞こえる。まだ障子戸を開けていない。外ではもう雀の声がしている。

気温が上がっていて、夜中、お布団の中が熱く感じた。朝方も暑くて、早々とベッドを離れて来た。でも、炬燵はスイッチをオンにする。

昨日は夕方は寒い風が吹いた。暑かったり寒かったりして、季節が徐々に移動をして行くようだ。2月は今日を入れても残り3日となった。

雨の一日になりそう、今日は。だったら、畑仕事はできない。畑から冬野菜を一掃して、次の夏野菜作りの準備に入らねばならない。

畑を耕しておかねばならない。土を肥やすために牛糞などの肥料を施肥しておけねばならない。その前に、草取りも済ませておかねばならない。

忙しくなる。暇じゃなくなる。畑に出て行けば、するべき仕事が次々と見つかる。じっとしていられなくなる。花壇にも春の花の苗を植えておかねばならない。

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わたしの苦は如来様の苦である。わたしの安心は如来様の安心である。

2021年02月25日 23時47分05秒 | Weblog

わたしめは、なんでもぐにゃぐにゃっと曲げてしまう。わたしの方へ曲げてしまう。で、わたしめをよろこばせる。わたしめをよろこばせるように、よろこばせるように、曲げてしまう。曲がらない鉄の棒でも。かようにも怪力。怪力を見せる。

一切衆生の異(界)の苦を受くるは悉く是如来一人(いちにん)の苦なり。

涅槃経より

一切衆生は人間界・地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界の苦しみを受けている。この多くの苦しみを釈迦如来がことごとく一人で受け止めてくださっている。

そこで如来はどうなさったか。仏法を説かれたのである。苦しみを超えて行く道を指し示されたのである。苦しみを超えて行く仏の知恵を授けられたのである。

それでどうなったか。このさぶろうが仏法を聞いているのである。如来の知恵をこの身に頂いているのである。日々に異界を経巡りながら、なおかつ、異界の苦をことごとく如来に背負わせているので、我が身は仏道の安穏を得て暮らしていることができるのである。

如来様のご苦労を思う。如来様の御守りを思う。如来様のお助けを思う。如来様のお導きを思う。

かくしてわれらが世は如来様のおわしましける世である。それをわたしはよろこんでいさえすればいい。

ぐにゃぐにゃと曲がって曲げて此処へ来ました。

わたしの苦は如来様の苦である。わたしの安心は如来様の安心である。

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これも河津桜

2021年02月25日 20時26分03秒 | Weblog

これも河津桜。

 

有田町のチャイナオンザパークの。

 

 

キレイキレイキレイキレイキレイ。

 

 

僕がそう言って誉めると嬉しそうな顔をする花たち。

コメント (2)
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そうして頂いたことが嬉しいのです、今日は。

2021年02月25日 18時31分04秒 | Weblog

億載阿僧祇 常説法教化 無数億衆生 令入於仏道        「妙法蓮華経如来寿量品」より

おくさいあそうぎ じょうせっぽうきょうけ むすうおくしゅじょう りょうにゅうおぶつどう

(我は)億載阿僧祇(の間)、常に(仏)法を説いて、無数億の衆生を教化して、仏道に入らしめたりき。

「億載阿僧祇」は時間の単位で、測ることもできないくらいの長い長い時間のこと。「衆生」はいのちあるもののすべての存在。だから人間だけではない。法を説いたのも、教化したのも、仏道に入らしめたのも、その主語は仏陀=釈迦牟尼世尊。これらの動詞の目的語は衆生。それも無数の衆生。ですからここにはこのさぶろう老爺も含まれている。当然、含まれていることになる。

ですから、わたしは仏陀によって仏法を説いてもらえたことになります。教化していただいたことになります。そして仏道に入らしめていただいたということになります。

今日は是が有り難くて此処にこの句を引用してきました。そうしていただいたということが嬉しいのです。

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畑から丸々太った小ネギを行く株か引いてきました。

2021年02月25日 18時21分54秒 | Weblog

畑から小ネギを抜いて来ました。5株ほど。5株と入っても、1株がずいぶんと増えているから、どっさりになった。

 

鬚根を切り落として、黄色くなった葉を捨てて、根の部分を一皮剥いて、丁寧に揃えました。水洗いを繰り返して、きれいになったところで台所へ運びました。

 

今日はこれを熱い湯でさっと茹でてもらって酢味噌和えにしてもらいます。これがわたしの晩酌の酒の肴になります。これで春のいのちの勢いを味方に付けることができます。

 

幸せです。これでこの老爺は簡単に幸せになれます。今日はいい日でした。そんなふうに思えます。夕方はちょっと冷え込みましたけれど。

 

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河津桜が咲いていましたよ。

2021年02月25日 15時03分28秒 | Weblog

河津桜が咲いていましたよ。

有田町のチャイナオンザパークに。

 

片道2時間半を掛けて見に来ました。

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もう彼岸桜が咲いていた。

2021年02月25日 09時44分41秒 | Weblog

春の彼岸はずっとまだ先なのに、彼岸桜が咲いていた。

 

梅の花もいいけれど、桜も亦いい。ドライブしているときに見かけてはっとなる。

 

川津桜も咲いているそうだ。新聞が写真入りで伝えていた。できれば、見に行きたい、すぐにでも。でもその場所までかなり遠い。

 

これから次々に桜の開花情報が続いていくだろう。だんだん温かくなってきているから、吉野桜が3月の半ば頃から咲き始めるかも知れない。

 

楽しみだ。わが住む国、日本はいい。桜咲く国だから。桜が、花籠いっぱいの楽しみを連れてきてくれるから。

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風もない。日の光が地上に降るばかり。

2021年02月25日 09時39分48秒 | Weblog

白木蓮が咲き出している。よその家の庭先でだが。

 

あざやかだ。晴れ晴れとする。風もない。日の光が降るばかり。

 

ああ、もうすっかり春なのだと思う。

 

さっき、家の周囲の小径を歩いた。畑の野菜たちが菜の花を伸ばし始めていた。

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わたしを卑下してはならないなとも思うのである。

2021年02月24日 18時18分15秒 | Weblog

仏教の経典は、これを読む人を、よろこばせようよろこばせようとしているようだ。恐怖を払拭させようさせようとしているようだ。嬉しがらせることばかりが、これでもかこれでもかという具合に次々と述べられている。

毎自為是念 以何令衆生 得入無上道 速成就仏身   

妙法蓮華経「如来神力品」より

まいじさぜねん いがりょうしゅじょう とくにゅうむじょうどう そくじょうじゅぶっしん

毎(つね)に自ら是の念をなせり 以何(いかん)が衆生をして、無上道に入るを得しめて、速(すみ)やかに仏身を成就せしめんやと。

仏陀はいつもいつもこういうことをお考えになっておられる。どうしたら生きとし生ける者たちが無上道(=仏道)に入ることができて、一刻も速く、仏陀と等しい悟りの知恵を身につけることができるだろうか、と。

こればかりを仏陀は念じておられるのである。

こういう行(くだり)を聞くと、ああ、有り難いなあとさぶろうは思うのである。そんなふうに思っていてくださっているのかと思う。

仏陀にこれほどまでにあたたかく熱く思われているわたし。わたしを卑下してはならないなとも思う。

 

 

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