<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

シアワセ上手でいたい。

2024年06月03日 15時11分26秒 | Weblog

ワタシハシアワセって、感じると、わたしがシアワセになる。感じないと、それが此処に有ることもないことも、両方とも分からない。

たとえ此処になくったって、有ると感じさえすれば、有る。有ることになる。

だから感じ上手が、シアワセ上手ということになる。測定器がないから、だから、却って重宝で、シアワセ浅くも、シアワセ深くもなれる。つまり裁量が自由なのである。

まわりの人が眺めて、さぞかしシアワセだろうと推測に及んでも、当人は少しもそう思っていない、ということだってあり得る。それどころか、フシアワセに苦しんでいたりもする。

その逆もありうる。さぞかしフシアワセだろうと推測を逞しくして眺めている人でも、当該の人その人は、シアワセをたっぷり感じていることだってある。

勝ち負けのあるスポーツのようにはいかない。勝ち負けがない。1等2等の順位もない。重さがない。距離数がない。カウントできない。

でもって、けっこう振り回されている。ワタシハ・フシアワセを呟いて、振り回されても居る。絶対値がないのに、ワタシハ・ゼッタイ。フシアワセと思い込んでいたりもする。

6月の晴れた日の、午後3時。柿の木の下に立つと、柿の若葉の下影に、樹陰の緑の風が吹いている。そよそよと吹いている。気温は24℃。からっとしている。椅子を持ち出して来て、座る。生きて元気でいるシアワセを感じてみる。普通サイズのシアワセを感じてみる。

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