重誓偈(じゅうせいげ)
我建超世願 必至無上道 斯願不満足 誓不成正覚
(大無量寿経より)
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がこんちょうせいがん ひっしむじょうどう しがんふまんぞく せいふじょうしょうがく
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我は世に超えし願を建つ。必ず(衆生を)無上道(=仏国土)に至らしめん。斯(こ)の願、満足せずんんば、誓って正覚を成さじ。
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これは、阿弥陀如来の前身の、法蔵菩薩が、師とする世自在王仏に向かって、仏になる誓いを述べられているところである。
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宇宙中の、生きとし生きるもののすべてを仏にしないなら、わたしは仏となりません、と。
あらゆる生命体が、いつまでも苦海にあって迷いに繋がれ、苦しんでいるままであれば、仏の正覚(=悟り=涅槃)には入られない、と。
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そして、この至心信楽の願いが原因と為って、必至滅度の願いがとうとう成就したので、法蔵菩薩は阿弥陀如来になられたのである。
(滅度は仏の寂滅世界に渡っていること)
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ということは?
わたしの霊性本質が、その願いの無上道に至って、仏と等しい正覚を成満させて、実は、いまここで大涅槃に達しているということである。
(そういう自覚を持てなかったらわたしはいつまでもいつまでも迷ってばかりになっている、はずだ)
(これはわたしの解釈)
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苦海を生きるわたしが、無上道に至っていなければ、法蔵菩薩は阿弥陀如来にはなっていないのである。
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法蔵菩薩は超世の願いを建てられて、その願いが成って、阿弥陀如来となられているのである。
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ここは仏の世界である。本願成就の世界である。それを自覚すれば、わたしはわたしは必至無上道を完了していることになる。
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さっきからわたしは、仏の建てられたお誓いを思って、何度もこの重誓偈を唱えています。
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