想像は楽しい。これで、おのれを閉じ込めている外壁を突破して行ける。閉じこもってばかりしていないでいいのである。おのれの限界を爆破していいのである。しかしこの想像の成果を人様に強制してはいけない。人様は人様流に自由な想像をして楽しめばいいのである。
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「仏加持故 我証菩提 以仏神力 利益衆生」と舎利礼文にある。ここから想像を逞しくしてみる。加持とは加持祈祷の加持だ。守ってもらっていること(加)を内でしっかり受け止める(持)ことだ。仏がわたしの味方を買って出てくださるのなら千万力ではないか。その加護を得て修行者は菩提(仏智)を自証することになる。そこで仏同様の神通力が、不思議や不思議、むくむくと雲のように泉のようにわき起こってくる。そこで最終地点だ。衆生利益(しゅじょうりやく)をほしいままにする。起承転結する。
「神力」の「神」は「優れた」「この世のものとは思われないほど神秘的な」の謂だろう。おのれを神秘化することが力の源泉になる。わたしがスーパーマンになるのである。この想像は楽しいではないか。浮き浮きするではないか。想像するだけでわが足下から力が湧いて来るではないか。
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人は神力を隠し持っている、それほどに偉大なのである。偉大を実行に移してみる。なるほどそうだった、間違いはなかったということになる、これが自証だ。そういう推移を考えてみるだけでもわくわくする。「おれにそんなことはできない」で終わらいためにはどうすべきか。発想に蓋をしないことだ。おのれを不自由にしている蓋からはみ出して、ともかくトライをしてみたらどうだろう。いや、それがそうなったところを想像してみるだけでも十分に楽しいはずである。
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