月光を蝶舌技巧の死がねぶる
高岡修 高岡修句集より
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月光が春先、地上の湿った落ち葉に降っている。蝶々が死んで横たわっている。月光が、舌先でそこに静かに落ちている死を、ねぶっている。くまなく嘗め回している。少しだけあたたまったのか、一条の朦朧とした湯気が上がるのが見える。これが超絶技巧に見えて来る。蝶々に舌先がある。その細い小さな舌先が降って来る月光を嘗めている。死が月光をねぶっている。
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俳句はこれだけの風景を包摂できる器である。大きな深い器だ。
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今朝の西日本新聞俳句月評にこの句が紹介されていた。世界はそこにごろんと転がっているだけのようだが、俳人にはこんなふうに見えているんだ。俳人がむしろ独自のあやしい世界を作って、それを楽しんで生きているんだろう。
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