だれかに/あいたくて/なにかに/あいたくて/生まれて来た/そんな気がするのだけど/それが/だれなのか/なになのか/いつなのか/おつかいの/とちゅうで/迷ってしまった子どもみたい/とほうにくれている/それでも/手の中に/みえないことづてを/にぎりしめているような気がするから/それを手渡さなくちゃ/だから/あいたくて 工藤直子の詩「あいたくて」から
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あいたい。何かじゃなくて誰かにあいたい。お遣いをしている途中で道に迷ってしまった子どものわたしが、会いたいという人は、道を教えてくれる人である。指し示してくれるだけでもいいけれど、いっしょに手を取って歩いてくれる人がほしい。途方に暮れて道に座り込んでいるわたしだから、そこへ歩いて来てくれる人の人影だけで、わたしはほっとするかもしれない。胸を撫で下ろすかもしれない。でも、やがて彼は通り過ぎる。その後でやって来た彼女も通り過ぎる。幾人がやって来てもそこに立ち止まってはくれない。わたしはとうとう夕暮れにいて西の空が赤く焼けてくのを見ている。もう我慢がならない。手の中に握りしめているもの、生まれたときからずっと握りしめている大切なレターを開いて見る。と、生まれる前のわたしの、こういう言づてが保存してあった。「わたしにあったら、どうか、わたしを好きになって下さい。そうすればわたしはとたんに氷の魔法が解けて美しい人間になれます」
あいたい。わたしを好きになってくれる人にあいたい。あまったれと言われようと独立心欠乏症といわれようと、非建設的となじられようと、それでもいい。受け止めよう。愛されない苦しみは大岩である。あいたい。愛すること、人を好きになることが、愛されるための唯一の重要なシークレットだということを理解した上で、あいたい。わたしを好きになってくれる人に会いたい。
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工藤直子さんの詩を読んでいるうちに、さぶろうの胸にも詩が生まれた。詩とは呼べないかもしれないけど。
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