所修一切衆善業 利益一切衆生故 我今尽皆正廻向 除生死苦 至菩提 帰命頂礼 大悲毘盧遮那仏 真言宗経典「第九廻向方便」より
そーしゅういっせいしゅうせんぎょう りーえきいっせいしゅうせいこ がーきんしんかいせいかいきょう ちょーせいしーこー しーほーてい きーべいていれい たいひーひーろーしゃーだーふー
(我が)収める所の一切の衆善業を、一切の衆生に利益せんが故に、我今尽く皆正しく廻向(えこう)す。生死の苦しみを除きて菩提に至らん。大悲(だいひ)毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)に帰命し頂礼(ちょうらい)したてまつる。
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わたしはわたしが収め得た善業のすべてを、ただ多くの人々を手助けするために役立てようと思います。わたしはわたしの善果のすべてをすべてことごとく人々に廻らし向けましょう。人々が生死の苦しみより出て悟りに達しますように。わたしはここに大悲を具えられた宇宙の法身、大毘盧遮那仏に帰依して頂礼いたします。
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ここを読経する。ここでわたしは顔をしかめる。わたしには収め得た善業がないからである。これでは人々に廻向することは出来ない。人々を利益(りやく)することができない。
ではできないことが書いてあるか。そうではないと思う。大悲の毘盧遮那仏の名を称えたことがきっともっとも大きな善業になったのである。これが大悲に与(あずか)ったことである。毘盧遮那仏が大宇宙の法身仏であると認識し得たことが最大最高の善業だったはずである。ゆえにこの読経をする。ゆえに高らかにこれを朗読して、我が顔の曇りを除き去る。
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ここは仏の世界である。われわれは仏と共に生きているのである。仏に導かれてこの道をどこまでも進んで行くのである。それを思う。この安心を届けることがわが廻向(えこう)である。
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