アリ・ナリ・トナリ・アナロ・ナビ・クナビ
これは法華経最後のチャプターにあたる陀羅尼品(だらにぼん)のうちの、毘沙門天王の陀羅尼神咒(だらにじんじゅ)である。短い。短いが金剛力を発揮する。神咒だから、神のコトバである。音波・声紋のパワーである。「神」は形容詞で「優れた、不可思議の、パワフルな」の意。
仏陀はゆたかである。力を発揮する。緩むことなく精進して進め。仏陀の守護は無限無量である。
毘沙門天王がそういうって法華経の教えを説く人たちを鼓舞している、激励している。あなた方に刃向い苦しめる者たちがいてもわたしがあなた方を守り抜くから安心をするがいい。そういう後ろ盾の役目の神咒となっている。
毘沙門天王は仏の教えを守護する四天王のうちの一人で、多聞天王とも呼ばれている。法華経を説いておられる仏陀(釈迦牟尼世尊)の前に進み出て、法華経守護を約束し誓っている場面である。
大乗仏教の法華経を弘めて歩く行者たちは、降りかかった災難災厄のただ中にあっては、この神咒を懸命に唱えて、怯(ひる)もうとする己を鞭打ち叱咤して歩いたであろう。そういう図が想起される。
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法華経は妙法蓮華経、梵語ではサッダルマ・プンダーリーカ・スートラ。「正しい教えの白い蓮の華の経典」を意味している。鳩摩羅什が漢訳した。8巻28品からなる。紀元前1世紀ごろにその思想が形成され、紀元前後に韻文が文章化され、散文が紀元後1世紀ごろに成立したとされる。仏陀(釈迦牟尼世尊)が霊鷲山(りょうじゅせん)の山頂で説いた教えである。竺法護訳の正法華経もある。ダルマ=法は仏の教え・真理の意。華は白い蓮の華の意。サッダルマの「サッ」は「正しい」「妙なる」「不思議な」「優れた」の意。白い蓮プンダーリーカは淤泥華である。世の悪・己の煩悩を根底にしていてもそれに染まらずに真っ白は清浄の華を咲かせる。
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