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<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

道筋が敷かれているのなら、ここを辿って行けばいい。

2021年01月13日 14時48分21秒 | Weblog

「本願を信受するは前念命終(ぜんねんみょうじゅう)なり。既得往生(きとくおうじょう)は後念即生(ごねんそくしょう)なり。」

 「愚禿鈔(ぐとくしょう)」より

ここを高森顕徹氏は「親鸞聖人の花びら 桜の巻」で、このように解釈をしておられた。

「弥陀の本願、まことだったと信受した時、永(なが)の迷いの命が死ぬのだ。同時に往生一定(おうじょういちじょう)の光明の世界に生まれるのである。」

わたしはほっとした。死んで生まれることができる、とあったからである。

わたしはわたしなりにあれこれと考えることになった。考えないでもいいのかもしれない。信受してしまえばそれでいいのかもしれない。

☆☆☆

迷いの命を死んで、光明の世界に生まれる、と。

阿弥陀仏の本願を信じたときに、それが成立するのだ、と。

どうか迷いの命を死んで下さいよ。死んで下さったらそこで初めて光明の世界に生まれる、と。

光明の世界は阿弥陀仏の真如界のことである。

我らは煩悩の世界、迷いの世界にいる。長い長い流転の世界に居る。

流転の世界はかりそめの世界である。此処にいる限りはいつまでたってもかりそめの、虚仮の世界を出ることがない。

虚仮不実の煩悩界を経由して、やがて智慧の光明輝く仏陀の世界に招き入れられる。橋渡しを買って出ているのが阿弥陀仏である。

我我は行くところがある。進むところがある。目的地がある。目的地は光明の世界、真如界である。

迷っているばかりではない。迷いを死ぬのだ。死ぬことによって迷いを離れるのである。この道筋が敷かれているのなら、そこを辿っていけばいいのである。

この道筋は阿弥陀仏の本願の道筋である。それがわたしに向けられている。わたしの足下から始まっている。嬉しいではないか。

 

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わたしのことまで思っていてくれているなんて、

2021年01月13日 11時36分20秒 | Weblog

途中、友人が電話をくれた。彼の家のニュースを聞いた。椎茸の原木にいま椎茸がたくさん立ちだしたらしい。それが上等らしい。猫の頭ほどにも太っているらしい。この厳寒の冬なのに。

椎茸は春と秋が収穫の季節らしい。まだいまは1月。彼も頭をかしげている風だった。

春になれば、秋口に切っておいたクヌギの原木に、椎茸菌を打ち込む作業をするから、それが済めば分けてあげられるよ、と友人は言った。有り難い有り難い。わたしのことまで思っていてくれるなんて。

楽しみに待とう。

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人を愛するという道は、苦難の道なんだろうね。

2021年01月13日 11時26分39秒 | Weblog

ずっとBSチャンネルのテレビを見ていた。「ベートーベンの恋文」を取り上げたNHKの1時間番組だった。楽聖ベートーベンの恋はとうとう実らなかった。生涯を独身で過ごした。57歳で世を去ったようだ。背後に、彼の作曲した美しい音楽が流れていた。楽しんだ。

人は恋う。男は女を恋う。女は男を恋う。恋わないではいられない。才能の高い音楽家なら、ただ音楽だけに打ちんでいても退屈しなかっただろうに。そういうことにはならなかった。美しい人を美しく愛し続ける、という苦難の道を彼は選んだ。

「恋に破れたので、その苦悩の深さだけ音楽に深みが増した」なんて解説も聞いた。

 

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そろそろ動き出したい。体がむずむずする。

2021年01月13日 11時23分32秒 | Weblog

もうそろそろ何か動き出したい。活動をしたい。むずむずする。閉じ籠もり引き籠もりにも飽いた。退屈を覚える。

何かするといっても、高齢な老人のすること、たいしたことはできない。一人、畑に行ってぼちぼち草取りをするくらいしか。草取りをするにはまだ指先が冷たかろう。水分を含んだ土塊は凍っている。

ベランダのスレートに落ちてくる屋根の雪水の、落下の音が高い。

 

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耐えて耐えて懸命に働いてくれている我が肉体様に感謝。

2021年01月13日 11時13分59秒 | Weblog

昨日は、途中、クリニックに薬を貰いに行った。42日分、つまり1ヶ月半分の薬をもらって来た。2種類の薬で、1200円を支払った。患者負担は2割だから、あとの8割は市が負担をしてくれたことになる。長生きしてて申し訳がないような気もする。

今日は家内が皮膚科に行っている。老人になると病院通いが多くなる。

体のあちこちが故障する。当然だろう、長年同じものを、取り替えもしないで、生まれてからずっとそのまま使いこなしているんだから。それに耐えて懸命に働いてくれている我が肉体様に、感謝しなくちゃね。

 

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争いのない世界はいい。長閑でいい。ほっとする。

2021年01月13日 11時10分50秒 | Weblog

あらかた雪が解けた庭の餌場に、雀が集まって来ている。餌を啄んでいる。賑やかだ。10数羽ほどいる。餌場は4カ所ある。木々の枝に吊されている。くず米が撒いてある。喧嘩もせずに場所を次々に譲り合っている。青い空から光が降り注いでいる。

争いのない世界はいい。長閑でいい。ほっとする。

 

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畑の野菜が大雪の下から顔を出してきた。凍らずに。

2021年01月13日 08時28分42秒 | Weblog

1月13日、水曜日。晴れ。

まもなく午前11時。山里はまだ雪に埋もれている。北側の屋根を滑り落ちた雪が、日陰に堆く盛り上がって積もっている。解け切るには数日かかりそう。畑や庭にも雪が残る。

白菜も大根もフカネギもサニーレタスもよく耐えたものだ。凍り付かないでいた。雪の重みで幾分か変形はしているが、どっこい打たれ強い。しだいしだいに元の姿勢に戻りつつある。

 

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