小田原周辺のマイナースポットや些細な出来事を少しずつ
小田原の端々



有名な歌川広重の東海道五十三次小田原宿では酒匂川を渡る旅人の姿が描かれている。当時、酒匂川を渡る手段として、浮世絵でも描かれている川越人足による輦台での渡しのほかに、船による渡しも行われていた。江戸時代後期に酒匂川での舟運に使われていたものと同じ型の高瀬舟が小田原市飯田岡のお寺に保存されていると知り出かけた。小田原市飯田岡の福田寺。創立は保延2年(1136年)の東寺真言宗のお寺。もともと当地は水害を受けやすい土地で、この福田寺も度々水害にあったとのこと。その事と関係しているのか分からないが、かつて本堂裏に高瀬舟が掛けられていた。本堂裏に掛けられていた高瀬舟は現在、境内の別の場所に移されている。本堂裏手の参拝者用駐車場へ。駐車場奥に覆い屋が見える。覆い屋の中を覗くと、木造の古い高瀬舟が置かれていた。この高瀬舟は明治10年建造と伝えられており、長さ5.3m、幅は1.8mほど。高瀬舟は室町末期に岡山県で使用が始まり、江戸時代に日本全国に普及。帆走のほか、馬や人間が曳いて運行し昭和の始めまで多くの河川で使用されていた。高瀬舟は川や浅い海を渡るために船底が平らに作られている。福田寺の高瀬舟は船底や側面に大きな損傷もなく比較的保存状態が良い。この高瀬舟は、戦後狩川の飯田岡橋が流出した際に実際に渡し舟として用いられたとのこと。一度に10人くらいは乗船できそうな大きさ。この高瀬舟には和釘が使われている。ところどころに和釘ならではの四角い釘の頭部が飛び出していた。水害の多かった飯田岡地区に伝わる貴重な郷土資料である福田寺の高瀬舟。このままの姿で今後も保存されることを願っている。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )