小田原周辺のマイナースポットや些細な出来事を少しずつ
小田原の端々



小田原市内を散策していると数多くの石仏や石塔を目にすることが出来る。その多くは、江戸時代初期以降のもので、年代や信仰によって特色のある造りがなされている。小田原市内に数多く残存している石塔の中で最も古い時代のものは、小田原市城山の居神神社の境内にある板碑で、銘文によると造立は鎌倉時代末期の文保元年(1317年)。また、小田原市国府津の宝金剛寺には建武5年(1338年)造立の古碑が残っている。先日、小田原城の近くにも古い時代の古碑があると知り散策の途中に立ち寄った。小田原の歴史のシンボルである小田原城。その周辺の城址公園内は意外と石塔は少なく、比較的新しい時代の顕彰碑や記念碑が点在している。その小田原城址公園内の市立図書館から遊園地に向かう遊歩道沿いに碑面が磨耗した古碑が目立たずに立っている。この碑の存在は以前から気付いていたが、古碑ではなくて周辺の崩れた石垣に刻まれた刻印の一部とばかり思っていた。遊歩道脇の古碑は高さが110cm、幅は80センチほど。自然石の上部にはサンスクリット語で仏を表す種字と、下部には漢字が刻まれている。磨耗がひどくて下部の漢字の判別は難しい。古碑上部に刻まれているのはバンという種字で大日如来を表している。古碑下部の文字は判別か難しかったので、図書館で調べたところ「右志者為 結衆 毎月十五日 法界衆生 平等利益也 敬白」と刻まれているようだ。碑文の意味からすると、先祖の霊を供養して現世の利益を願うため毎月15日に集まりを持っていた集団が造立した石塔のようで、おそらくは念仏供養塔であると思われる。残念ながら造立の年代が刻まれていないが、かなり古い時代に造立された可能性があり、ひょっとすると小田原市内に残る石塔の中で最も古い物かもしれない。実は、この小田原城の裏手では大正時代に建武元年の銘がある古碑が発掘されたが、東京国立博物館に持ち去られてしまったために当地には残っていない。その大正時代に発掘された古碑は、東京国立博物館の庭園に建てられているようなので、機会があれば見に出かけたい。

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