小田原周辺のマイナースポットや些細な出来事を少しずつ
小田原の端々



滝巡りの好きな知人がいる。その知人曰く、滝を見るのには雨が降った翌日の晴れた日が良いとのこと。今日はちょうどそのような条件に当てはまるので、朝から曽我丘陵にある弓張の滝に行くことにした。弓張の滝は普段水量が少なくてあまり見栄えがしないが、未明まで降り続いた雨で水量が増えているかもしれない。曽我に向かう途中、小田原大橋から酒匂川を見ると昨日の雨で増水している。期待できそうだ。穴部国府津線の未完成部分の進捗状況も気になっていたので立ち寄ることに。一番遅れていた関口川との合流部分である高田橋交差点付近は、ローラー車が何台か停まっていたので、舗装はまもなくと思われる。寺横跨線橋を渡り剣沢川の土手へ向かう。跨線橋の上から富士山も良く見えた。剣沢川に到着。2週間前に満開だったが桜は葉桜になっていた。目指す弓張の滝はこの剣沢川の上流。橋の上から剣沢川を覗くと普段と変わらないくらいの水量でちょっと拍子抜け。剣沢川沿いを上流へ向け進む。曽我梅林を望む土手道から梅の枝を見ると実がだいぶ大きくなっていた。県道72号東光院先のカーブを渡る。このカーブの近くにあったステンドグラス工房はいつの間にか無くっていた。県道を渡り、剣沢川沿いを上流方面へ。川幅もだんだんと狭くなってくる。弓張の滝は農道の途中に案内板があるので比較的分かりやすい。この弓張の滝に初めて来たのは20年ほど前。その当時は案内板が無かったので、再訪時に幾度と無く道に迷った。農道の案内板から程なく、草の生い茂る広場に到着。ここまで車で来ることが出来るが、道幅は相当狭いので車で来る気はせず、大抵自転車で訪れている。広場の先に小さな小川が流れ東屋が建っている。この小川沿いを360mほど進むと弓張の滝がある。小川を縫うように進み、荒れた竹林の中の遊歩道を登る。ここはとにかく蚊が多いので肌の露出の少ない格好で来たほうが良い。東屋から5分ほどで弓張の滝に到着。普段と変わらない水量でがっかりだが、新緑とせせらぎの音が清清しい。

当地の説明板の内容を要約すると「曽我の里の剣沢川の上流、剣沢山の深い谷筋に二段の滝があり、上段は鎧の滝、下段が弓張の滝と呼ばれてきた。『新編相模の国風土記稿』によれば、当時鎧の滝は高さ八尺(約2.5メートル)弓張の滝は一丈五尺(約4.5メートル)であった。室町時代、剣沢には剣状の岩が立ち、名所として知られていた。文明18年(1468)の冬ここを訪れた聖護院道興准后は『此頃はみさびわたれる剣沢、こほりしよりぞ名は光ある』という歌を残している(廻国雑記)。また戦国時代には、小田原北条氏配下の数人の若侍たちが、この滝の下で藤の花見を楽しんだいう。その一人はその情景を『滝水にうつろう影もしげり行 松に契りてさける藤波』(小田原記)と詠んでいる。」この弓張の滝の上に鎧の滝があるとのことだが、周辺から上に行けるような脇道は見当たらない。この弓張の滝だが、個人的には滝に行く途中の小川が好きで訪れている。この周辺の川や用水は大抵、コンクリートや人工的に造成された護岸沿いを流れているが、ここでは大地を削って流れている。草原の中の小さな流れを見ているだけでずいぶんと癒される気がする。ここの小川の石をひっくり返すと大抵、小さな沢蟹が潜んでいる。手のひらにのせて写真を撮ってからそっと元の場所に戻した。

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