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ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

扇の話(その10) ~どの鬘扇? なぜ修羅扇?<1>

2008-02-13 01:23:52 | 能楽
能ではその曲に使う面や装束に いろんな約束事があるように思われています。もちろん約束事も多いのですが、意外に決められていない、演者の選択に任されている部分も多いのです。もう少し正確に言えば「形状の上でこういう基準を満たしていれば、文様はとくに指定はない」という場合が、むしろ多いと言えるでしょう。

その代表例が装束で、たとえば『葵上』のシテでは装束付け(装束の選択の規定を記した台本の一種。観世流の大成版謡本には前付に転載されて公開されている)にはこのように書かれています。

面—泥眼 長鬘(翼元結) 紅入鱗箔鬘帯 襟—白二 着附—鱗箔 黒地紋尽腰巻 紅入腰帯 紅入唐織壺折 鬼扇 物着ニ 面—般若 赤打杖

『葵上』を演じるときに面装束を選ぶ際の常識であることなのに、ここには省略されている情報もいくつかありますが、まあ大体のところは詳細に書かれています。前シテの面の「泥眼」についての説明は不要と思いますが、それ以下の装束・小物類について概説すれば次の通りです。

長鬘は鬘の中でも寸法の長めのものです。鬘を使うとき、多くの場合では鬘は上着となる装束の下に隠れてしまって、見所からは頭頂・頬・後頭部ぐらいしか見えないと思います。こういう場合は鬘はそれほど長さを必要とせず、こういう着付方をする役の方が多いので「常の」鬘と言えば やや寸が短い鬘を指して言うのです。ところが稀にはわざわざ上着の外に鬘を出して着付ける役もあって、この場合は長鬘を使います。長鬘を着ける役としては狂女とか天人とか、普通の女性の役よりも個性的。特徴のある役が多いように思いますが。。

たとえば唐織の右肩を脱いで着付ける(脱ぎ下げ、と言います)『班女』や『玉鬘』のような狂女の役は必然的に鬘を唐織の外に出すことになりますが、一方 長絹を着る役の『井筒』や『野宮』では鬘は長絹の下である事が多いように思います。それでも天女である『羽衣』や、やはり狂女の『百万』は長鬘を長絹の外に垂らしますね。また同じ狂女であるのに『隅田川』や『桜川』のシテが鬘を装束の外に出さないのは、これらの役が水衣を上着として着ているから、という理由のように思います。水衣はそういう性格を持った装束なのか、例外として今 ぬえが思いつくのは『巻絹』ぐらいのものです(いや、きちんと調査したワケではないのでほかにも例外があるかも、ですが。。)。

同じく唐織という装束も鬘は内側にしまっておく性格があるようです。これまたこの世を去って神仙の身へと戻った『楊貴妃』などの例外もありますし、『山姥』の後シテや『恋重荷』のツレなどは鬘を外に出したり、内側に隠したり、両様に演じられていると思いますが。そしてどの装束の場合でも、鬘を外に出す場合は長鬘を用い、それを束ねる元結を隠すように、奉書などで作った「羽元結」(ぬえの師家ではこういう表記です)という飾りを付けます(『羽衣』や『恋重荷』のように天仙や上臈の役の場合は「バサラ」というリボンを付ける)。

で、『葵上』の場合、前シテでは鬘は唐織の下に隠すのですが、やはり長鬘に羽元結を用います。ちょっと例外的な着付方法かも知れませんが、これは前シテがクライマックスで唐織を引き抜いて脱いでしまうし、さらに後シテは裳着胴と言って上着を着ないからで、あとで鬘が露わになるために、最初から長鬘を着け、羽元結を附けておくのです。

(す、すみません。。いずれ扇の話にたどりつきます。。)