昨日の夕方5時過ぎに町内の鉄道で、熊が貨物列車にはねられる事故があったようです。
この時期、バックカントリーと称するスノーボーダーが勝手にスキー場外のコースを滑って事故にあうことは珍しくもないけれど、熊が貨物列車にはねられるなんて事故は聞いたことがない。冬眠していなかったのか?しかも、町営住宅などがある人里だ。少なくも私が住んでいるところよりお町です。
熊は、鍋になっちまったんだろうか?血抜きをしっかりやっておかないと臭いぞ。と、心配してしまいます。
カン太君のおとっつぁんは年が明けてから鹿と熊と猪しか食べていないというので、サケの切り身を買ってきて、ジャガイモぶっこんで石狩鍋もどきを作ってやったら、「今年初めての魚だ!」と、喜んで食っていました。貨物列車にはねられた球磨のように、餌を求めて徘徊されては困るから。
神戸のルミナリエの電飾が4年ぶりに灯されたそうです。逆にまだ再開していなかったのか?と驚きましたが、ルミナリエ中止の原因がコロナの影響だったこともどことなく忘れかかっていました。
13年ほど前に亡くなった知人が毎年ルミナリエの街に行くのが楽しみで、彼が大阪に住んでいた時に阪神淡路の震災を経験しているだけに、明かりがともった街を見ると安堵感が湧き上がってくると言ってました。
あの地震の時は米などを持って日本海側から明石に向かい、何とか到着したのが19日でした。幸い母の親戚関係は無事でしたが、母の実家の近所に住んでいた私と同い年の人が神戸で亡くなっていたそうです。小学校5年生の頃に会ったのが最後だったかな?もっと幼少の頃は遊んでいても言葉が通じなかったんですよ。関西弁しゃべれへんかったから。ありゃぁやっぱ漫才ブームが大きかったですなぁ。
この年末年始、スキー場に西宮から来ていた学生バイト。「両親が若いころに大きな地震があったみたいですねぇ」と言ってましたが、21世紀生まれですからもはや「歴史」なんですね。
あの頃はまだ番組流行っていなかったけど、「ここが変だよ日本人」目線で物を言う人が珍重されていた時代でした。ネットもようやく始まったばかりで「何それ?」って時代でした。携帯電話だって、ようやく都会で使えるかな?で、この田舎じゃおよそ自分が持つようになるとは思ってもいなかった。
ずいぶん変化していたんですね。
ルミナリエの明かり見て震災以前を思い出す人よりも、震災以降に生まれた人たちが多くなる時代になるんでしょうね。
今回の年末年始はず〜っと外出せず、葬儀場・火葬場・自宅・買い物のためのスーパーしかでかけませんでした。苦笑
帰国時には恒例の大阪での飲み会や買い物は、やらないまま戻ってきちゃいました。
なんか・・・仏様のそばを離れたくないという気持ちも強くあったし・・・
でも、1日ぐらい出かけても良かったのですが、49日が終わるまでは、人に会うのは失礼になるといいますしね・・・
石狩鍋って、味付けは味噌ですか?
我が家では、酒粕を入れて粕汁というものを冬に食べます。その材料が石狩鍋に似ているように思います。
私・・・石狩鍋は食べた事ないかも・・・
30年こちらに住んでいるという日本人の知り合いのおばちゃんがいて・・・確か北海道出身だったかな。
今度、その石狩鍋を作ってもらおーっと🎵
その料理好きおばちゃんはね、最近とうとう日本食屋を市内にオープンさせました。
でも・・・レストラン経営って、思っていた以上に大変な様子。
そちらは雪はどうですか?
スキー場に雪はたっぷりありますか?
今日は大寒なのに南岸低気圧が来ているし、春が近いのかな?
石狩鍋はみそ仕立て。なんちゃって石狩鍋みたいなものですが、サケは必需品ですね。
サケの文化圏とブリの文化圏。フォッサマグナあたりが境みたいです。
時折街路灯があるくらいの山の中。星空とお月さましか照明がない。