景気が悪くなってから「ワークシェアリング」と言う言葉をよく耳にするようになりました。単純に日本語に置き換えると「労働の分かち合い」ですし、日本の場合は「解雇をせず、失業者を出さないかわりに、みんなの給料と労働時間を減らすことで対応しよう」と言う方向を示しているように思えます。
日本的な意味合いではない「ワークシェアリング」もあり、USAなどの「ユニオン」などその一つでしょう。映画監督としてハリウッドに撮影に行った北野武監督がテレビでよく話していましたが、俳優、監督はもちろん、大道具、小道具から掃除、極端なところではタバコの灰皿を出す仕事まで全てユニオンに加盟したプロがいて、「この仕事はどこのユニオンの仕事、これはこのユニオン」と分業になっているそうです。
他のユニオンの仕事を犯すような事はなく、そのユニオンの人間はその仕事に徹底したプロフェッショナルに徹する世界です。こうした分業制は「平等」とは相容れない面がありますが、「雇うもの」と「雇われるもの」の違いはあっても、職種そのものに「上下」をつけたがるから「平等」に見えなくなるのかもしれません。
ワークシェアリングを突き詰めていくとインドのカースト制度になってしまうのではなかろうか?と、「平等」第一主義の日本人には受け入れがたいものがあります。あの多様な民族多様な言語、多様な宗教多様な習慣が混在しているインドに行ってみれば、カースト制度でもなければ国がまとまらないなと思ってしまいます。
カースト制度は生まれ落ちた階級で将来の仕事が決まってしまうワークシェアリングで、ユニオンなどは自分で選んだ仕事のプロとしての組織の違いはあります。かつての日本の「士農工商」もある意味ワークシェアリングだったのかもしれません。
いづれにせよ、公務員を除けば日本の労働者の所得は下がる一方。単価も年々安くなる。税金を上げるようなときではないのだけど・・・
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