のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

赤身肉

2024年03月14日 | 日記・エッセイ・コラム

 イノシシの肉をもらいました。

 一昨日、野を駆け巡っているときにうっかり罠に引っかかってしまい、ロース肉とモモ肉になってしまった哀れなイノシシさんの供養です。

 イノシシと言えば牡丹鍋なのですが、鮮度も良く血抜きもよくできていたので、手間のかからない焼肉で供養することになりました。

 まずはロース肉の供養。塩コショウで執り行われました。

 もともとこのあたりにイノシシなんかいなかったのですが、バブル以降あちこちに出没した旗を荒らす害獣となってしまったので駆除対象です。多分、ハンターと呼ばれる趣味で鉄砲撃ち人たちが狩猟の獲物としてはなしたのが増えたのだと思いますが、生活するうえでの迷惑にもなっています。一頃、疥癬で毛が抜ける病気が流行ったのと、豚コレラで頭数が減ったと言われていましたが、この1-2年でまた増えてきたようです。

 昨今、川口のクルド人や、インバウンドと称するニーハオ系観光被害など、グローバル化の弊害が出ている日本ですが、イノシシだって似たようなものです。でも、食べられるだけマシです。

 豚と違って脂身がないのは日々生活のために運動しているからで、肉も堅い。なのでやっぱり焼肉より鍋に向いているかも。赤身ならマグロの刺身。たまには食いてぇ。

 ついでモモ肉の供養が塩コショウで厳粛に行われ、イノシシは天へと旅立っていきました。

 イノシシの焼肉しながら、なぜか上杉謙信の話になりました。と言うのも、このイノシシ肉持ってきてくれたおやじさんの近所で、便所で倒れたおじさんがいて救急搬送されたという話を聞いたからで、幸い命は助かったみたいですが、同じような状況で亡くなったのが戦国武将の上杉謙信。確か1578年の3月13日だったかな?

 上杉謙信は酒の飲みすぎが原因での脳卒中だったようですが、村のおやじさんは酒を飲まなかったようですが、糖尿病だったそうです。血糖値が下がって意識がなくなったのだとか。

 それでも名だたる戦国武将と並べて語られることは名誉でしょう。早く娑婆に戻ってくることを願っています。

 上杉謙信のお墓についての話題となりましたが、新潟の上越の林泉寺、山形米沢の春日山林泉寺、はたまた高野山などあちこちにありますが、酒を詰めた樽に入れられたご遺体がどこになるのかは謎のまま。上杉家が会津や米沢に配置転換になったときに持ち出されたと言われています。

 こちらは上杉謙信ゆかりの地でもあるので、この手の話題になるとおぢさんたちは結構雄弁になります。私なんか毎年毘沙門様お参りしているし。

 とは言え、上杉景勝の時代になると、武田との和議で領地が譲られ、真田が入ってきた土地。そして、最後はおとりつぶしになるのですが、その真田の末裔が祖母の家系。昭和50年頃NHKの人形劇で真田十勇士が放送されるまではあまり評判がよくなかった真田の土地でした。

 上杉や武田にもスッパとかラッパなんて呼ばれる忍びの一門がいたようですが、戦術が異なるゲリラみたいなもので、我々のような娑婆から離れた辺境の山奥の人々だったんでしょうね。

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