藤原の武尊山の負もとのキャンプ場で「芽吹きフェスティバル」なるイベントをやっていました。何の芽吹きだろう?
どんなイベントなのか見に行ってきましたが、”何の集まりなんだ?”と思い切り意表をつかれてしまいました。
ルーマニアのロマの一族が集結したのか?英国貴族の荘園に集結した黒魔術の集団か?
およそ森の中で出会うには似つかわしくない謎に満ち溢れた人々の集団がいました。
3-40年も遡れば穂高の麓の小梨平あたりに下山する人から残り物をもたっれ食べて生活している山岳乞食なる登山家がいましたが、山の中でレゲエの象徴ドレットヘアーなどまず出くわすことはありません。
何かとんでもないことが起きている?
漂白の民のロマたちはキャンプを張った地で鍋を作ったり家具を修理するなどの仕事を持っていますが、戦前の日本にもサンカなる漂白の民がいて、我が家の近くのどさん娘がある川原にも「川原乞食」なる人々が夏になるとやってきたそうです。
蓑屋、籠屋、などと呼ばれていたそうです。こうした漂白の民も戦中に米が配給制度になると戸籍が無ければ配給を受けられないため戸籍を取り、日本人になったわけですが、などと呼ばれていたそうです。漂白の民が物を作って販売する。基本を踏まえている。
きっとこの人たちは現代まで生き残った漂白の民のサンカの末裔に違いない!天皇家の日本にまだ同化しない先住民の末裔に違いない。そうだそうだ、そうに決まった。
男達は山で狩猟をし、女たちは手工芸の品物を作って売っているのに違いない。
道理で色の黒い若者ばかりだったわけだ。
そんな目線で見ると、この色柄だって縄文人ならこうした色柄を好んだに違いないと見えなくもありません。
レゲエ、ヒップホップ、ハウス系だのアフロなどと語っていても、渡来人が侵攻して来る以前の日本人の遺伝子が開花したに違いない。
安保闘争華やかな頃に流行ったマキシースカートの女性など真っ当な世間では見かけなくなりましたが、この世界ではまだ生き残っていて、これがまた縄文チックに見えました。
屋台のメニューがヘルシーなとろろご飯や味噌汁。思い切り日本的。およそ渡来人が持ち込んだ縁日に並ばない屋台。
「きれいな空気とヘルシーなご飯。グレートでしょう!」
否、彼らの中に流れる縄文の血が呼び覚ます原始回帰への欲求に違いない。
プリミティブな太鼓のリズムとDJのラップに合わせて踊りに興じる若者たち。
当人達は新大陸から輸入したものと思っているけど、2000年も遡れば集落の宴はこんなものだったのかもしれない。
アレックス・ヘイリーの「ルーツ」がベストセラーになったことを知らない世代の若者が、実は自分たちのルーツに遡っている貴重な光景。
白樺やブナに囲まれた環境に馴染まないように見えた人たちが、だんだん違和感なく借景に溶け込んでくるように思えました。
先端を走っているように見えて実は原始への回帰だったことが自然との融合の中で見えてきました。
しっかり自主的にゴミの分別までやっていて、「分けて捨てておくからそのへんにおいておけばぁ~」とアンニュイな姉ちゃんが他人のゴミの世話までやっている。
自分たちのことしか考えていない身勝手な家族連れのキャンパーよりもよっぽど他人への気配りができている。
彼らなりの社会の中で自分の役割を担っている。
こんな身なりをしていても背広とネクタイの人たちよりよほど他人との関わりをしっかり把握しているように思えました。
「俺達一般ピープルから受け入れられていないことを知っているから、嫌われることはしたくないっしょ。おじさんみたいに認めてくれる人がいると嬉しいわけよ。ここは最高!パラダイス!」
なるほどね。認めてもらいたいのか。認めるよ。
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