のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

鶏口牛後

2007年02月08日 | 日記・エッセイ・コラム

 鶏口となるも牛後となるなかれ 史記・蘇秦伝   大きな集団の尻についているより小さな集団のトップになったほうが良いという意味です。

 日本人の感性からすれば不安定な小さな企業の社長より安定した大企業や公務員のほうが良いのではないか?と牛後鶏口の考え方が一般的でしょう。わかりやすく言えば、鶏肉の高級品より安い牛肉のほうがいいに決まっているではないかといったところでしょうが、牛肉も輸入物が入ってきたり、昨年のBSE問題もあって牛後も安泰でもなくなってきたのは世相の現れでしょうか?

 狂牛病問題で存在を危ぶまれる牛丼250円のご時世、スーパーの駐車場の異動販売の焼き鳥屋ならねぎま2本半です。

 鶏口牛後は少なからずも中国人気質を言い表しているような気がします。組織に埋没せず自分のやりたいように行動してしまう人が多いことは事実のようです。中国に進出した日本の企業も人心掌握には苦心しているようです。

 上からの一方的押し付けの専制主義の歴史の中で生き抜いてきた人々に、反発心があるのかどうかはわかりませんが、組織や法は自分達を縛り上げるためのものだと当てにしてはいないようです。家族や人間関係ほどの強い絆や帰属心はもてないのでしょう。

 「三国志演義」「西遊記」「水滸伝」。日本でも人気の中国の長編小説です。関羽張飛諸葛亮ら並み居る英雄を率いる三国志劉備孫悟空猪八戒沙悟浄の三人の従者を従えて旅する高僧玄奘。108人の豪傑を束ねる梁山泊のリーダー水滸伝宋江

 これらのリーダーには共通の特徴がありまして、強力なリーダーシップで部下を率いていくことはせず、むしろ陰に回って個性豊かな周囲の登場人物に自由にやらせて、要所を締める役割に徹しています。野球の監督より、サッカーの監督に近い印象がします。

 中島敦の「わが西遊記」では三人の英雄の三者三様の個性を分析しています。たとえばもののけが出そうな廃寺に一夜の宿をとることになった場合、孫悟空は「妖怪の住処だったら退治してくれる」と戦闘的入っていきますが、猪八戒はいまさらほかを探すのも億劫だからどこでもいいや夕飯食って寝るだけと享楽的。沙悟浄は災難などどこにでも転がっているのだからここがその場所だとしてもそれまでとニヒル。

 三者三様の個性ですが、案外中国の人々の個人個人の中に持っている個性を言い表しているかもしれません。当然これらの個性は人それぞれ持ち合わせているでしょうが、その個性のボリュームの大きさが日本人と違う気がします。というより、日本人が小さすぎる思いがします。

 中国人は1人では龍だが、三人寄れば豚になる。日本人は1人では豚だが三人寄れば龍になるという中国のことわざがありますが、強烈な個性とリーダーシップを取りたがる性分が仲間割れを招くことを自ら揶揄しています。

 誇大妄想のような大言壮語をする中国の人に出会うことは良くあります。とくに、おじさん連中。このままで終わる人材ではないんだぞという気概は感じられますが、現実が現実なので困ってしまいます。前向きに生きていれば良いのですが、卑屈になると魯迅の「阿Q正伝」の阿Qのような人間になってしまいます。

 バブルのころの日本では青年実業家が雨後のタケノコのように現れましたが、中国も今は起業のブームです。人に使われる身でいたくないと言う考えの人が多いので、リヤカー引いての物売りでも大企業の社長と同じ誇りを持っています。

 やはり、乱世を生き残ってきた人々ですから、ちゃっかりしたところがあって、夫婦で役所などに勤めている場合は夫か妻の片方だけがビジネスを始めて、最低限の生活を確保しながら徐々に起動にのったビジネスのほうに移行していく夫婦も多いようです。

 個性は人生にも仕事にも多大な影響をもつものですが、それをどう操るかは度量のみせどころでしょう。

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