のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

うらなり

2006年10月09日 | 日記・エッセイ・コラム

 久し振りに良い天気になりました。風が吹いたために湿気もありません。
 昨日の道路清掃以降に吹いた強い風と雨のおかげで、側溝には枯葉や折れた枝が流れこんでいました。
 都合のつく人を集めて集水枡のドブさらいをしてきました。

061008e  このあたりは気温が低いので甘くなる柿の木は少ない土地ですが、数少ない甘柿の木。本来ならもっと熟している季節ですが、まだうらなりの状態です。

一緒に作業していた年配の人が「うらなり」と言う言葉を使ったときに、壷井栄の「二十四の瞳」でに出てきて憶えた言葉だったことを思い出しました。うらなりの柿の実を食べて死んでしまった子供のことが書かれていました。
 柿や梅など実が熟していないと果実の中に青酸が残っているので、食べ過ぎると生命に関わることがあります。植物が自分の実を守るための手段ですね。

 「気が熟す」何事にもあるもので、熟す前のうらなり状態で失敗することもあれば、肝心な時期を見過ごしたがために熟しすぎて実が落ちてしまったり。
 男女の仲などその際たるもので、お互いの気持の盛り上がり方がなかなか一致しないものです。
 人生の一瞬でしかないのですが、このときにお互いのピークがそろうことも稀です。だからこそ「人生」なんでしょうが、「待つ」こともあり、「待たせる」こともあります。

 耐えて「待つ」ことはあっても「待たせて」はならない、それは紳士の態度ではないと心に決めていますが、あっちのほうでは?????
 お先に行かせてもらいます?????

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