「大坂は米が欲しがる選手」の見出しにつられて、米ならこちらも産地だぜ!とクリックしてしまいました。
テニスの大阪なおみ選手のことで、まだ日米の二重国籍のままなんですね。22歳までのどちらかの国籍を選ばねばなりませんが、USAも有力テニス選手が不足しているので欲しがるだろうと言う記事で、米の作付けを増やせるような景気のよい話ではありませんでした。
平成の始め頃はテニスブームであちこちにテニスコートができたものでしたが、今ではこの界隈のテニスコートで人を見かけるのも稀です。ブームが去ったら日本選手が強くなってきたスポーツだと思いますが、今やこうしたスポーツのトップアスリートの多くは、当人の意思とは関係なく親の道楽の延長線で子供の頃からその競技に付き合わされて育ってきた選手で、特異な才能を持つ選手が突然出現できるような時代ではなくなってしまった感があります。
巨人の星のような家族はかなり多いのでしょうね。
星一徹は野球の鬼でしたが、子供の学校のことになると星一徹のようになる親はものすごく多くて、今日もそう言う御人の御高説をうかがってきました。
私のどうのこうの言ったって子供がいるわけではないし、単なる憂さ晴らしにしかならないと思うのですが、歌舞伎揚げのせんべいをかじる音の方が耳に心地よく、有難いお話は右の耳から左の耳に抜けていきました。
なんだかねぇ、子供の将来のために一生懸命教育に力を入れてその結果がこの土地から出て行かせるような気がして、高齢化限界集落も消滅集落も努力の結果がこのざまか?と思うとあだ花を栽培しているみたいで悲しいわな。
働けなくなったら人様に迷惑かけないように人生を引退するのも考えておかねばならない気もする。
入水自殺した学者の西部邁さんじゃないけれど、遺体をすぐ引き上げられるようにロープに結んで木に括り付けてから水に飛び込んだ配慮。西部さんは手が不自由だったみたいで、誰かしら手伝った人がいるのじゃなかろうか?と疑われているようですが、上手な人生の幕引きってなかなか難しそうです。
将来を見据えると、どう人生を終幕させるか?そこの希望を見出さねばならなくなる。
だから今をそこそこ生きることにしてます。
いつ、どのタイミングで積荷を燃やそうかって。
近所のママ友は、私に同人誌のありかをこっそり教えて、自分にもしもの事があったら葬儀のどさくさに忍びこんで処分してほしい、と遺言をたくしています。
勉強は出来なかったけど、空想の世界で色んな話を作ってきました。
この時間を勉強に使うべきだったと、今の私を見た教育熱心な方々はおっしゃるのでしょうね。
でもあの時間は何よりも替えがたい。
脱がさないのか?
意味深なシーンです。
同級生から「俺が死んだらどこかに隠してくれ」と裏ビデオを託されてます。
苦労して入手したから捨てられたくないんでしょうね。さりとて死後見つかったら恥ずかしいみたい。
学びて思わざれば、則ち罔(くら)し、 思いて学ばざれば、則ち殆(あやう)し
与えられたルーティーンをそつなくこなすことが「勉強ができる」と勘違いするととんでもないアホになります。
やがてAIにとって代わります。
空想、大いにいいことではないでしょうか?