のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

違う種族?

2021年07月07日 | 日記・エッセイ・コラム

 なかなかね、世の中には不可思議な種族がいるもんです。

 5日に葬儀を済ませた叔母の娘、私の従妹ですが、電話がありまして、白木の位牌じゃ殺風景だから検索してたらピンクの位牌やクリスタルの位牌もあるんだって。こう言うので大丈夫なのかな?

 と、聞かれたもんですから、先月亡くなった犬の方かな?と聞いたら「おかあさんのほう。」

 ショッキングピンクの位牌にラメ入りのペイントで描かれた叔母の位牌を想像してしまった。が、生前の叔母のキャラを考えると、それもありかな?ちゃんとした供養は私がやっておくから、お前さん達は自分の気持ちが安らぐようしなさい。と言っておきました。

 叔母の通夜の後、この従妹とその娘と家政婦さんの美魔女族が「法名って渋過ぎない?」「もっときれいな名前が良かったわねぇ。」「キラキラネームってのもありなんじゃない?」なんて相談しておりまして、どうも、こいつら私達とは異なる種族だな。と、傍観しておりました。

 家政婦さん、BMWのオープンカー乗り回す美魔女で、見た目は黒ミサのお方だろうか?と疑いたくなるような人ですが、叔母の話し相手になるだけあって教養豊かな人でした。英国文学で言うところのコンパニオンですね。老婦人の話し相手になる職業。シャーロット・ブロンテの「ジェーン・エア」なんかに出て来る。しかし、美魔女のいとこに感化されたのか?なんだか妙にエキゾチックに派手な人でした。

 浄土真宗本願寺派でのお通夜でしたが、曹洞宗や臨済宗などの禅宗系が多いこちらではなじみ薄い念仏系。非常に興味がったので、お経や法話などをメモっておいたのですが、お通夜の時に謡のような経が読まれ、念仏和讃だなとは察しがつきましたが、聞き取れる範囲でノートに書きこんで家に戻って調べたら、讃仏偈と言う経でした。

 翌日の本葬に備えて真宗の僧侶の友人にいただいた聖典で予習。このあたりが出るだろうと、ヤマをはってノートに書きこんで行ったのですが、当日、王道の正信偈が読まれました。出るだろうなとは予測していたのですが、寝てしまった。慌てて聖典開いて読んでるあたりと解説を照合。

 隣では父の兄弟の一番末の叔父夫妻が、カバンに蛇腹式の経典持ってきていて、「今読んでるのはどんなお経だ?」と、探しまくってましたが、法華経や般若経など真宗では読まれない経典まで持ってきているので、探すのに苦労してました。

 法話は歎異抄の中から出た話でしたが、私が持って行った本は講談社の梅原猛の解説付き、叔父のは岩波の解説抜き原文ママでした。ここで差をつけるわけね。姑息な学者根性。

 私たちの前には先月母親を送った従妹がおりましたが、前に美魔女、後ろはノートや本広げてお経の解読している私達。「私の親せきってこんな人たちしかいないのかい!」と怒ってましたが、自分だって葬儀の後叔母の遺骨と遺影置き忘れて帰って来たくせに。

 このところ親戚の葬式続きなので、和尚様が唱える「ナンマンダ~ナンマンダ~」が「何万だ、何万だ」に聞こえ、非常に苦しい懐事情です。

 引きもの、味付け海苔か?と思ったら相田みつをの言葉入りコーヒーセットでした。

 この騒動のおかげで、熱海の土砂崩れについては全く気にしておりませんでした。

 我が家の裏山にもメガソーラーがあるので明日は我が身なのですが、今頃になってソーラー発電がなんて騒ぐ人ほど10年もさかのぼれば脱原発なんて騒いでいた人たちで、自分で問題起こして不安に陥っているところなんかはマスコミ根性と同様。 

 災難に逢うときは逢うがよろし 死ぬるときは死ぬがよろし

 良寛さんの言葉です。

コメント
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