のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

苦労も必要

2018年04月19日 | 日記・エッセイ・コラム

 「三千世界の烏を殺し主と朝寝がしてみたい」高杉晋作の都都逸と言われています。

 援助交際と称する買春で辞任した米山新潟県知事。高学歴がご自慢なんだからこのくらい粋なことを言って辞任すればよかったのに。そうすれば、そんなにいい女だったら人生狂っちまったって仕方ないわな。と、売春婦のおねえちゃんだって少しは浮かばれる。野暮を通り越してゲスですな。

 昨年は「このハゲ~」と威張り散らした女性議員や不倫セス・ガソリーヌ議員など女性の活躍が目立ちましたが、男だって黙っているわけにはいきません。

 貧困女子の生活調査に出会いバーに入り浸っていた文科省事務次官とか、「胸触っていい?」とセクハラで辞任した財務次官とか、買春で辞任する新潟県知事。ボケの味わいは男性の持ち味なんでしょうね。

 こいつら、東大卒の肩書がなければただのアホですね。だいたいどこの街にも一人二人こうしただらしない人がいるもので、村八分とはいかないまでも距離を置いて扱われている。

 そういえば、四国に獣医学部を作りたくない玉木と言う議員も、自衛官に罵倒されたクイズ議員の小西も東大か。小西なんてスパイ活動防止法のない国に亡命するって言ってたのにまだ日本にいたんですね。こいつらただの目立ちたがり。きつい言い方をすれば軽いキチガイです。

 寮歌”ああ玉杯に花うけて”には♪栄華の巷低く見て♪と謳われているけれど、その巷に低く見られるのですから娑婆をなめてはなりませぬ。矜持と慢心は別物です。

 若い頃の苦労は金を出してでも買えと言われていますが、私の場合は苦労を買う金がなくて苦労しました。若い頃に踏みつけられておくことって重要なんですね。負け方を知らないと言うこともゲスの元なんですね。

 「惻隠の心は仁の端なり」孟子の「公孫丑・上」に出てくる言葉ですが、「羞悪の心は、義の端なり。辞譲の心は、礼の端なり。是非の心は、智の端なり。人この四端あるは、猶お其の四体あるがごとし」と続きます。

 昨今ではこの惻隠の情に通じる「忖度」が悪いことになってしまい、執着に通じる「こだわり」が探求心に見えるような使われ方をしていますが、勘違いしないよう気を付けたいです。

 このところ気温が低かったのでヤマザクラがまだ満開です。今日は暑かったのでそろそろ散り始めるのかな?

 キリンの「生茶」飲みながら野点気分でサクラを眺めました。

 今年河川敷に私が植えた八重桜三本。

 監督4人作業員1人という過酷な環境下でムシロを敷いて酒盛りしているじいさんたちを横目で眺めながら、てめえら少しは体を動かせ!と穴掘りをしまいたが、そのかいあってか根づいたようです。

 花芽ができていた苗木だったので今年は咲くだろうとは思っていましたが、重要なのは来年で、しっかり根付かせなければ花芽が付きません。

 栄養分がある土をあまり根元に撒いてしまうと根が伸びないので少し離れた場所に撒いて苦労して値を伸ばすように仕向けました。艱難汝を玉にする。そこそこ苦労させねばなりません。

 私の場合?艱難汝をダメにする。でしたな。

コメント
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