のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

百年河清を俟つ

2013年01月29日 | 日記・エッセイ・コラム

 百年河清を俟(ま) 黄河文明発祥の地といわれる現在の河南省、省都は鄭州です。春秋時代の紀元前565年、小国だった鄭(てい)をはさんで大国の晋と楚がありました。

 鄭の属国の子耳という人物が、蔡を討伐して蔡の公子(司馬氏)捕らえましたが、蔡は大国の楚の属国でしたから、楚は仕返しとして鄭に攻撃を仕掛けてきました。

 あわててしまったのは鄭の国です。早速6名の高官が集まり会議を開きました。あるものは「楚に降伏してしまいましょう」と主張し、またあるものは楚と並ぶ大国の晋(鄭はその同盟国だった)に助けてもらおうと主張し、なかなか解決を見ません。

 なかなか解決策は見当たりませんが、子駟(しし)という高官が結論を出しました。

 「濁った黄河の水を澄むのを待っていたら人の寿命などではとても足りないもんです。相談ごとも意見をいう人が多ければ物事は決定しにくくなるものです。ここはひとつ人々がどうなるかということを中心に考えようじゃないですか。とりあえず、楚に従っておいて人々の苦しみを和らげましょう。晋の援軍が来たらまた晋に従えばいいじゃないですか。贈り物を持って楚と晋の国境に行って様子を見て、強いほうについて民を守りましょう。敵が悪いことをしなくて、民が苦しまなければそれでいいではないですか。それが小国の道でしょう」

 どこかの国の考え方に非常によく似ていて好感を感じるやら恥ずかしいやらですが、大きな勢力との緊張中で渡り歩いていくにはこのくらいしたたかでなければ生き延びられません。

 当初、「つまり、北朝鮮が日本人拉致したらUSAが出てきてしまったもんだから謝っちまおうか、時間かせぎして中国(もしくはロシア)の助けを待って・・・」などと当てはめていたのですが、日本だって似たような立場だなと考えてしまいました。

 大国にはさまれた国の心情は2500年前も変わらなかったようですし、2500年前から黄河は濁っていたんですね。とお茶を濁しておきましょう。

 ちなみに、百年河清を俟つの意味は黄河の水が澄むことなどないように「ありえないことに期待をすること。いくら期待しても実現することがないこと」を意味します。

コメント
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