のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

市民

2011年08月16日 | 日記・エッセイ・コラム

 京都の大文字の送り火に津波でかれた岩手県の松の木を使う「支援」が行われたものの、「市民団体」に指摘され、薪に使う松の木から放射性物質が出たために使用を中止。親切があだになったような心地よくない話題です。

 こういう事件に暗躍する「市民」ってなんだろう?前々から「市民」と名乗る無責任なくくり方には違和感を感じていましたが、こういう人たちって「市民」ではあっても「国民」ではないんですね。中には、「どこの国の市民?」と聞きたくなるような人たちもいます。

 合併前、私たちは行政上「村民」と呼ばれる数少ない日本国民でしたが、合併して町に区分されるようになると「町民」になってしまいました。「町民」と言うのもなんだかありきたりで、時代劇なら脇役どころかエキストラ。少数派の「村民」のほうが存在感があったななんて思っています。

 町民になってしまったものの、市民でないだけまだ幸せかな?

 

 

コメント
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