のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

菜の花フェスタ

2007年04月30日 | 日記・エッセイ・コラム

1 菜(な)の花(はな)ばたけに 入(い)り日(ひ)うすれ
(み)わたす山(やま)のは かすみ深(ふか)
春風(はるかぜ)そよ吹(ふ)く 空(そら)を見れば
夕月(ゆうづき)かかりて においあわし
 
2 里(さと)わのほ影(かげ)も 森(もり)の色(いろ)
田中(たなか)の小道(こみち)を たどる人(ひと)
かわずのなく音(ね)も 鐘(かね)の音(おと)
さながらかすめる おぼろ月夜(づきよ)

070430_1 誰でも知っている歌ですが、「おぼろ月夜」という題名がなかなか出てきませんでした。

 「月」がテーマなので、「秋」を連想してしまいますが、春の歌だったんですね。

 菜の花が食用になることを知ったのは随分歳を経てからで、学生時代に市場でアルバイトをしていた頃のことです。

 こちらでは連休近くなって菜の花が咲くので、菜の花が硬く花そのもは食用にむきませんが、菜種油を作るのならそれは大きな影響を持ちません。

070430a  猿ヶ京で菜の花フェスタがありました。休耕田に菜の花を植えて、菜種油を取り、これを温泉地の旅館に使ってもらったり、将来的にはバイオ燃料を作ってバスに利用してもらうなど計画は広大です。

 エコロジーなんてことを特に考えて生活している田舎の人たちではありません。「おらんずが汚したら川下の人たちが難儀すべぇ」とそれだけの気持で汚さないようにしているだけで、きれいにしていれば自分たちも心地よく生活できるからです。

070430b  大義名分はしばしば人を傲慢にするもので、傲慢ならまだしも戦争だって大義名分で成り立つので要注意です。

 エコロジーを錦の御旗にエコならぬエゴを振りまく机上の空論の人々がまかり通る中、地に足がついたエコロジーほどささやかな思いやりの中で行われているものです。

 

070430c  昨年取れた菜種油で山菜のテンプラを振舞っていました。

 私が幼少の頃は油を買いに行くときにはビンを持っていって、1合、2合と量り売りで買っていました。子供の私が買いに行くと、「おまけ」と余計に入れてもらえるのが嬉しかったもので、これがまた自分の稼ぎのように誇らしいものでした。菜種油も貴重なものでしたが、ビンもまた貴重なもので、油用のビン、醤油用のビンと分けて、何回も使っていました。醤油用の一升瓶は首の部分が太くて2?入るビンだったと記憶しています。

070430d こちらは家庭でできる食用油の再利用。石鹸の作り方コーナーです。

 本当は旅館の浴場に使いたいのですが、テンプラ油の再生石鹸など使っていたとなれば理解を示さない客も多いことでしょう。これからです。

 油から油を落とす石鹸ができることも不思議な思いもしますが、昔は使い古したテンプラ油と重曹で石鹸を作ったおぼえがあります。

070430e

 田んぼの堰で昔遊んだ「舟競争」紙で船を作ってやったこともありましたが、ピンポン球など水に浮くもので遊んだものです。

 水に浮かべてヨーイドンで下流のゴールにどちらが先に到着するかを比べる単純な遊びです。

 子供時代のこうした遊びにも達人がいて、水の流れを読めるんですね。こうした子供達はおしなべて勉強のほうはさっぱりでしたが、それでも秀でた一芸なので尊敬されていました。

070430h  会場ではハーモニカ名人のコンサートが行われていました。

 早春の生暖かさにハーモニカの音色ってよく似合うんですよね。

入日

いりひ

コメント
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