伊勢崎市で41.8度の日本記録樹立!こちらも36度の猛暑でした。
湿気が少なかったのでシャツがずぶぬれになるようなことはなかったのですが、汗が乾いて塩のラインが年輪のように浮き出ました。
日陰の全くない広い場所で作業していましたが、作業で草むらから虫が湧きあがるのでそれを食べにトンボが飛び交っていました。午後3時ごろになると今度はツバメの集団が飛んできて、トンボを捕食し始めました。食物連鎖を目のあたりにしながら、巌流、佐々木小次郎となった私は長い杉の枝を手に、ツバメ返し!とばかりに飛んで来るツバメを真っ二つになるわけですが、かぁるく逃げられました。
夕方同級生の家に顔を出したらこの秋に3歳になる孫がすっぽんぽんで飛び歩いていました。暑いので服を脱がせたら原始裸族に先祖返りしちゃったみたいで、服を着せても脱いでしまう。もはや原人に帰っちゃったみたいです。
この同級生、時折アルバイトに行って夜の7~8時ごろに帰ってくるのですが、「日が短くなったねぇ。」あとひと月半で秋分ですから、日が次第に短くなっています。夜7時が薄暗いから暗いになってきました。が、暑さは宴もたけなわ。太陽からの熱気が届くにはしばらく時間がかかる。12月の中頃が当時で、一番寒いのは1月20日過ぎ。
暗くなった7時ごろになると5-6人の若者が歩いている光景とすれ違うのだそうで、なんだろうな?と疑問に思っていたんだそうです。近くの工場で働くベトナム人の若者たちで、仕事が終わってからコンビニに飯を買いに行くのですが、顔つきも違うし色も黒いからなんとなく異様に見えてしまうようです。人畜無害な工員ですので、熊や幽霊と違って見ても影響ないと思います。
影響あるかどうかははなはだ疑問ですが、時折、道路をランニングしている幽霊を見かけるそうです。足はついているようですが、流れるようにスゥ~と姿が見えなくなるみたいで、「この春急死したデジローちゃんじゃなかろうか?」
デジローちゃんは毎朝ランニングしていた72歳のおやじさんで、春の彼岸明けごろにランニングから帰って来て「胸が苦しい」と倒れて、心筋梗塞でその日の夕方亡くなっちゃった人で、穏やかで温厚なオヤジさんでした。「この世に思い残すことでもあったんかな?」デジローちゃん結構のんびり天然ボケしてましたから、死んじゃったことを忘れてランニングしているんじゃあるめぇな。「それは十分考えられる。」まぁ。お盆には誰かが連れて行ってくれるだろうから、幽霊だからってクルマで跳ね飛ばしたりするなよ!「あんないい人の幽霊なら粗末にゃできねぇやな。」還暦過ぎたら、たとえ幽霊でも懐かしい人が出てくれるならありがたく思える。「あの世が近づいたからだろうな。」違いねぇ。
そのデジローちゃんの家、奥さんは浜松に住む息子のところに行っちゃって、空き家になった家はガイジンさんがかりて住むとかで、今改修工事しています。お盆の時だけ一家が帰って来て新盆を済ませたら浜松に行っちゃうみたいで、それ以後はニュージーランド人が住むのだそうです。このところオーストラリアを含むオセアニア系の人が多く住む町になってリトルオセアニアになってきたわが町。原住民の我々はアボリジニなんだろうか?腰蓑つけて槍持って。裸族の孫!一歩先を読んでいるな!