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のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

41.8度の日

2025年08月05日 | 日記・エッセイ・コラム

 伊勢崎市で41.8度の日本記録樹立!こちらも36度の猛暑でした。

 湿気が少なかったのでシャツがずぶぬれになるようなことはなかったのですが、汗が乾いて塩のラインが年輪のように浮き出ました。

 日陰の全くない広い場所で作業していましたが、作業で草むらから虫が湧きあがるのでそれを食べにトンボが飛び交っていました。午後3時ごろになると今度はツバメの集団が飛んできて、トンボを捕食し始めました。食物連鎖を目のあたりにしながら、巌流、佐々木小次郎となった私は長い杉の枝を手に、ツバメ返し!とばかりに飛んで来るツバメを真っ二つになるわけですが、かぁるく逃げられました。

 夕方同級生の家に顔を出したらこの秋に3歳になる孫がすっぽんぽんで飛び歩いていました。暑いので服を脱がせたら原始裸族に先祖返りしちゃったみたいで、服を着せても脱いでしまう。もはや原人に帰っちゃったみたいです。

 この同級生、時折アルバイトに行って夜の7~8時ごろに帰ってくるのですが、「日が短くなったねぇ。」あとひと月半で秋分ですから、日が次第に短くなっています。夜7時が薄暗いから暗いになってきました。が、暑さは宴もたけなわ。太陽からの熱気が届くにはしばらく時間がかかる。12月の中頃が当時で、一番寒いのは1月20日過ぎ。

 暗くなった7時ごろになると5-6人の若者が歩いている光景とすれ違うのだそうで、なんだろうな?と疑問に思っていたんだそうです。近くの工場で働くベトナム人の若者たちで、仕事が終わってからコンビニに飯を買いに行くのですが、顔つきも違うし色も黒いからなんとなく異様に見えてしまうようです。人畜無害な工員ですので、熊や幽霊と違って見ても影響ないと思います。

 影響あるかどうかははなはだ疑問ですが、時折、道路をランニングしている幽霊を見かけるそうです。足はついているようですが、流れるようにスゥ~と姿が見えなくなるみたいで、「この春急死したデジローちゃんじゃなかろうか?」

 デジローちゃんは毎朝ランニングしていた72歳のおやじさんで、春の彼岸明けごろにランニングから帰って来て「胸が苦しい」と倒れて、心筋梗塞でその日の夕方亡くなっちゃった人で、穏やかで温厚なオヤジさんでした。「この世に思い残すことでもあったんかな?」デジローちゃん結構のんびり天然ボケしてましたから、死んじゃったことを忘れてランニングしているんじゃあるめぇな。「それは十分考えられる。」まぁ。お盆には誰かが連れて行ってくれるだろうから、幽霊だからってクルマで跳ね飛ばしたりするなよ!「あんないい人の幽霊なら粗末にゃできねぇやな。」還暦過ぎたら、たとえ幽霊でも懐かしい人が出てくれるならありがたく思える。「あの世が近づいたからだろうな。」違いねぇ。

 そのデジローちゃんの家、奥さんは浜松に住む息子のところに行っちゃって、空き家になった家はガイジンさんがかりて住むとかで、今改修工事しています。お盆の時だけ一家が帰って来て新盆を済ませたら浜松に行っちゃうみたいで、それ以後はニュージーランド人が住むのだそうです。このところオーストラリアを含むオセアニア系の人が多く住む町になってリトルオセアニアになってきたわが町。原住民の我々はアボリジニなんだろうか?腰蓑つけて槍持って。裸族の孫!一歩先を読んでいるな!

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困った人たち

2025年08月04日 | 日記・エッセイ・コラム

 2日の晩に私の地区で行われた祇園祭の代わりの納涼会。久しぶりの飲み会だったから私の2年先輩のヨーちゃんがベロベロになって、若い衆に家まで送って行ってもらったんですが、その夜中、階段から転げ落ちて救急搬送されてました。

 翌早朝の片付けの時にその話を聞いたのですが、地区ではお祭り大好きの90代が亡くなって4日がお通夜、5日が葬儀の日程が入っていたので、ヨーちゃんどうなるのかな?お寺は違うからブッキングしないけれど、斎場がな。なんて心配してたんです。結構我々の世代冷静で使える人材多いから、想定はさっさとできてしまう。

 そんな心配をよそに夕方ヨーちゃんは頭に白いネット状のヘッドギアつけて娑婆に戻ってきました。「居間で寝ていて寝室に行こうと二階に上がったらしいんだけど、どうやって転げ落ちたか全く記憶にねぇんだよなぁ。病院に運ばれたのも知らなかった。」祭りの太鼓叩きながらビートルズのゲットバックを熱唱していたことは憶えているらしいのだけど、「大声出して歌ってたら意識が飛んじゃってさぁ。」とそこから記憶がなくなっていたようでした。そのあと、スタンドバイミー歌ってレットイットビー歌っている最中にぶっ倒れたのだけど、困ったおじさんがいる土地だな。

 そんでね昨日の続きなんですけど、困ったおばさんたちのベリーダンスの後の打ち上げの居酒屋さんでね、スパイ防止法の話になったんですよ。日本には存在していない法律なのですが、作っておいた方がよかったですねぇ。

 スパイ防止法に近い法律としては刑法81条に外患誘致罪ってのがあって、今までこれで有罪になった人っていないらしいんです。せっかくある法律なんだから石破さんはじめ閣僚の皆さんが抵触していないか問うてみるのもいいんじゃなかろうか?なんて話が出たんですね。憲政史上例がない連発の石破さんだから外患誘致で有罪ってのも記録に花が添えられていいんじゃないですか?箔が付くよね。

 辞職しないでリコールで首切られて、党から追い出されて、最後に外患誘致罪で有罪!なんてことになれば、名が残ることでしょう。ぜひそうなっていただきたいな。

 ちなみに外患罪で有罪は死刑しか罰則ないけれど、石破さんならいいんじゃないの?

 まぁ、人様の事どうのこうのと言える諸行していない我々なんだけどね。他人に厳しく自分に甘く。立憲民主党みたいだな。

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35度!

2025年08月03日 | 日記・エッセイ・コラム

 とんでもない猛暑でした。道路の掲示板に出ていた気温35度。一日草刈り仕事をしていたのですが、時折ポ~っと意識が吹っ飛んでました。

 こんな暑い日にやる仕事じゃないのだけど、「急ぎでお願い!」の依頼を今朝受けて仕事してきました。一反ほどの農地(耕作放棄地)草ボーボー。刈り払いすると草むらに潜んでいた虫が慌てて飛び出し、それを狙ってトンボの大群がやって来る。シオカラトンボもいましたが、圧倒的にアキアカネの集団でした。あと半月もすれば赤身を増して赤とんぼになるちょっと手前。それらトンボを狙ってツバメが飛び回っていました。

 温まるばかりが風呂じゃない。家に戻ると30度のぬるま湯につかってジンワリ体を冷やす。いやぁ~気持ちいいなぁ~!と、家の外でやかましい蝉の鳴き声もなんだか許せる気分。

 風呂で体を冷やしたら、少し寝ようか!と横になると電話が。セフレ(世間話フレンド)の会から緊急招集の電話。今日から祇園祭の隣町。おばちゃん達のベリーダンスショーがあるので息をひそめていたのですが、「出てきて孫の世話をしてろ!」

 ♪義理と人情をはかりにかけりゃ♪高倉健さんの心境ですな。私が到着した時は白塗り80代マダムスの日舞が終わったところで、70代レディースのハワイアンダンスが待機してました。やっぱ暑いんだよな。冷風機の周りに集まってましたもん。団扇持ってくればよかった。

 そりゃもう妖怪百物語のような光景で、こんな猛暑ですから、汗ばんで顔が溶けるんですね。ハクション大魔王みたいないでたちで60代ガールズのベリーダンスが始まったのはいいけど、還暦過ぎて30分踊り続けるのはそりゃもう酷ですよ。一曲終わるごとに疲労度が増していくのがわかります。しまいにゃ腰なんか振れていなかった。夫たちは舞台そででレモンスカッシュ手渡して、これで男尊女卑なんていうやつがいたらどついたるでホンマ。

 汗で黒いアイラインが流れて、鬼滅の刃の上弦の鬼のような顔つきで舞台終了。それはもう、この世のものとは思いたくない素晴らしい光景でございました。

 ステージ終了後は衣装もメイクもそのままで予約していた料亭に直行して打ち上げ。他のお客さんびっくりしてましたわ。料亭の板前さんも厨房から出てきて「いつもお世話になっとります。」と挨拶しながら、えらい姿だなぁ!とおびえとりました。

 料亭のBGMで村下孝蔵さんが歌う「初恋」が流れてましたが、晩年はこうなっちまうんだなあ。

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納涼会

2025年08月02日 | 日記・エッセイ・コラム

 今年も地区の祇園祭は役員と神主さんがお参りするだけで済ませましたが、もはや山車も神輿も動かす余力がない高齢化。それでも、納涼会には夏休み里帰りの子供たちなど多数の現役世代が顔を出してくれました。

 キッチンカーも2台来てくれて結構な賑わいでした。従妹の息子に「何食べたい?もつ煮か?から揚げか?好きなもの注文しろ。」と買ってしまうおぢさんですが、平成2年生まれだから30越えてるんだよな。子供会の世話役やってた頃のガキどもの皆さんがみな相応に若者通り越して娑婆の中心世代になっている。自分が高齢化のけん引しているとはなかなか認識しずらいけど、そうなっているんだべな。

 久しぶりに顔を合わせたキヨちゃんのお姉さん。私より1歳上ですが、弟の方が遊び仲間だったこともあって昔から「キヨちゃんのねえちゃん」と呼んでいましたが、個人の名があることを50年経って知りました。

 お祭り、と言うより、こうして集まって飲むこと大好きなタケシちゃんが亡くなった報が聞こえてきました。昭和10年生まれだから90代ですが、昨年は田んぼを作ったりこの納涼会にも顔を出してくれていましたが、春先に体調を崩してしばらく入院してました。さすがお祭り男、お祭りの日に息を引き取るなんてなかなかできない。あっぱれ!と、皆でたたえましたが、こうした行事には必ず顔を出して、黙々と裏方仕事をこなしてくれる人だったので、受け継いでいかねばな。

 私たち世代は結構人数が多いんですが、その下の世代、昭和40年世代になると急速に人がいなくなる。宮沢内閣でこけて細川政権になり、村山政権になり、政情不安定の時代に日本の産業が安い労働賃金と緩い環境規制求めて国外流出し、地方にあった下請け企業などがほとんどなくなってしまった。失われた30年ってそれだと思うのだけど、小沢の妬みから始まった「妬み」の時代から構築へと歯車が変わってきている流れを感じます。

 実行して何かしら形を残さねば物も言えない時代になってきましたから、批判だけで存在感を示す幼稚さは通用しない。すでに田舎ではそうなっています。

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123456.7

2025年08月01日 | 日記・エッセイ・コラム

 今朝、仕事に出るため軽トラに乗ったら、ある事に気が付いた。123456.7kmおぉ~そろっているじゃねぇの!パチンコ、やったことないけど、何か出るのかね?777じゃないとダメ?

 台風は太平洋側を北上したようですが、このところの猛暑と雨の少なさで、山の雑木林が赤っぽくなってきました。この界隈ではアンニンゴと呼ばれるウワズミザクラも黄色っぽくなっていました。広葉樹は干ばつなどで山の水分がなくなると葉を落として休眠状態になりますが、昨年の8月の猛暑の時も葉を落として仮眠する広葉樹がありました。こりゃこの秋は山の樹の実が不足して獣が人里に降りてくるな。

 間伐か?と思いきや、川の水量は多いんですね。決して積雪は多くなかったので、県境の山脈や山の上はそこそこ雨が降っているのでしょう。

 夕方、温泉に行って風呂から上がったら夕立が来ました。久しぶりの雨ですが、地面が乾ききっているのでしみ込む前に表面を流れていく雨。それよりも、問題は、今の雨。傘がない!ずぶぬれになって家に戻り、シャワーを浴びました。

 風呂で近所のおやじさんといろいろ話していたのですが、俳優で歌手の上条恒彦さんがお亡くなりになっていたんですね。85歳で老衰だそうです。昭和の時代なら長生きしなぁって感じでしょうが、令和の時代に80代で老衰ってあるのか?って、なんか釈然としない。

 「木枯し紋次郎」の主題歌で上条恒彦さんは名が売れた気がしますが、あのドラマが流行ったのは昭和47年だったな。私は小学生でしたが、木枯し紋次郎が咥えている長い爪楊枝。あれを一生懸命作っていましたよ。で、学校に持って行って見せびらかすんですね。授業で、「これ答えてみろ!」先生にさされてわからないと「あっしには関わりのないことで。」「てめぇ、立ってろ!」と、教室の後ろに立たされる定型句でしたね。

 また昭和が一つ遠ざかったかな?

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二度目の土用

2025年07月31日 | 日記・エッセイ・コラム

 7月も終わりですね。今日も猛暑でした。が、湿度が低くて風が吹いていたのは幸いでした。夕方にはシャツの回りに汗で出た塩が輪を作っていましたが、こまめに塩昆布かじってお茶飲んで脱水症状を防ぎました。先日はスポーツ根性ドリンク飲みながら仕事してましたが、あれ飲むと妙な満腹感が出て食欲がなくなっちゃうんですね。なので、できるだけ飲まないようにしています。

 カムチャッカで発生した地震による津波騒ぎは収まったようですが、台風9号は?明日の晩あたりに関東に接近してそれから北に進路を変えるみたいで、今回の津波警戒地域をまた高波が襲うのだろうか?

 今日は二回目の土用丑の日だそうで、ウナ次郎でプチうな丼を作ってみました。前回のチクワウナギのかば焼きよりやっぱこっちの方がおいしいわ。

 昨日、ハルちゃんの家の納屋にアナグマが入り込み、すぐ出られるように戸を開けて追いまわしたそうですが、パニックになったのか?石破さんに感銘したのか?納屋の中を飛び回るだけで出て行かない。あけ放ったとの前を何度も通り過ぎ、一度は出た!と思ったら、また中に入って必死に逃げ回る。この野郎、戦後80年談話を出す気だな!そいつは許さねぇ!と,スコップで二回ほど殴りとばしたら、たまたま外に転がりだして、すごい勢いで逃げて行ったそうです。

 たぶん、かなりのけがを負ったものと推測されますが、そこらへんで野垂れ死んでいることでしょう。

 今日は防災無線でツキノワグマの目撃情報が4回ほど流れましたが、目撃された現場の距離もそれぞれ離れていたので、多分複数の個体が人里に下りてきているのでしょう。熊に限らず他の獣もやたら人里に下りてきているのは猛暑で山の中に餌が少ないのか?

 夕方、近所の80代がクマ情報で心配して顔を出してくれました。毎年、お盆前になると私が忠霊塔の草刈りをしているのを知っているので、「このところ熊が人里に出ているし、あまり人が来ない場所だから無理してやらなくてもいいんだから。」と言ってくれました。8月の10日に行こうかと思っていると言ったら、誰かを誘って行けと忠告されました。

 いつも仕事から帰ってきて、草刈り機もって忠霊塔の草刈りしてくるのですが、幽霊は2回出てきましたが、まだ熊が出てきたことはありません。

 念彼観音力(ねんぴかんのんりょく)と何度も問えると大丈夫だ!と、とある先人に教わりましたが、熊にもご霊験はあるのだろうか?

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津波警報

2025年07月30日 | 日記・エッセイ・コラム

 カムチャッカ半島で起きた地震による津波警報で朝からラジオが同じ情報を繰り返していました。ラジオが高台に逃げろというので標高500mほどの高台で草刈り作業をしてましたが、津波はここまで押し寄せなかった。

 兵庫県の丹波市では41.2度の記録的猛暑だったそうで、日本全体が猛暑の中、津波非難で逃げられた方々も慣れない場所で暑さの危機にさらされる。こっちのほうが気がかりでほうが気がかりです。

 炎天下、日陰もなく脱水症状ヘビー級。声がハスキーになりました。

 今日は金田屋旅館さんでもらい湯してきました。毎年恒例の若山牧水のイベントの話をしに行ったので「風呂入ってけ!と、事のついでにもらい湯してきました。牧水がこの旅館に泊まったのは100年ちょっと前ですが、牧水が来たことを知ってこの旅館に駆けつけた「みなかみ紀行」に出てくる青年二人。まだ見知っているのは私世代。すでに年老いたじいさんたちでしたが、およそ短歌などとは無縁そうなじいさんたちでした。そんな話題で話してきました。

 昼間、炎天下で汗まみれになって作業していると、携帯に電話がかかって来て「何事?」と出てみると、au発電なんたらとかいう名目で「お客様のお住まいの地域が対象かどうか・・・」屋根に乗せるソーラー発電か?あんなの乗せたらこの猛暑熱気だけが家の中にこもって生きちゃいられまい。

 「あのね、冷房が効いた部屋でそんなこと言ってないで、野に出て汗を流して働きなさい。まだ若いんだから。津波で大勢が避難している最中に不謹慎だとは思わねぇかい?こんなやくざな仕事はさっさとやめて、世のためになる仕事を見つけなさい。」と電話のおねえちゃんに説教しました。

 いやなじいさんになった気分で、爽快でした。

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水道管

2025年07月29日 | 日記・エッセイ・コラム

 カラッとした猛暑日でした。

 カズヤちゃんに誘われて水道本管の引き込み作業を手伝いに行ってきました。道路を横断して溝を掘り、水道管を本管から引き込む作業で、ユンボでその穴掘りをしてほしいと頼まれました。半日で終わるだろうなと、気軽に引き受けましたが、これがなかなかの曲者。

 役場大本営発表では地下75cmに敷設してあるというので、その高さを注意しながら掘って行ったのですが見当たらない。しかも地下水がどんどん湧き出してくる場所なので作業は難航。しまいに番線折りまげてダウジングで「このあたりに反応があるぜ。」まさかと思うほど道路の中央付近。

 鉄筋のバールで地面を突き刺し、登山でいうところのゾンデでパイプを探す。雪の中に埋まった遺体を探すときの技法です。まさに、あれ?ってな場所にそれらしき感触が。手掘りで掘り進めて見ると、水道の本管が出てきました。その深さ、地面から105cm。役場の話より30cmも深いところにあった。

 役場大本営発表ではこの村道を作るとき本管を敷設して、その後1度舗装の張替えやったのでその時に「道路が高くなっちゃったのかなぁ。」何より、その周辺に家が建つことがなかったので本管がどのへんか?なんて気にしなかったんでしょうが、発掘作業で一日費やしました。小判の入った壺でも出てくればよかったのに。

 スポーツドリンク飲みながら仕事していたので、夕方になってもすきっ腹感覚がない。こりゃまいったなぁ。何でも食っておかねば?と、辛子たっぷり入れてご飯をかきこみました。

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狩猟採取民族

2025年07月28日 | 日記・エッセイ・コラム

 作業場の周辺でイノシシの子供がふらふらしてました。先日死んでたイノシシ青年よりまだ小さい体だったので、別の集団のものでしょう。豚さんでいうならようやく乳離れして独立したくらいのイノシシ。周囲に親もいないので、思いました。「勝てる!」

 片手斧と鳶口持って気配を消してこっそり近づき、斧を投げつけると。外れた。慌てて走り出す子供イノシシ。鳶口を手に追いかけましたが結構早い。取って食おうというわけ・・・なんだけど、そんなに夢中になって逃げなくてもいいじゃないか!肉鍋は杉林の奥に消えていきました。

 山菜なら何とか採れるけれど、動く相手にゃ歯が立たぬ。

 縄文生活の厳しさを実感しました。

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中華三昧な日

2025年07月27日 | 日記・エッセイ・コラム

 日曜だけどお休みにしました!って当たり前かな?このところの猛暑で脱水症状ヘビー級。しかも今日は一人作業なので身の安全を考えて体を休めることにしました。

 日本列島の南には三つの台風、北には三つの低気圧。関ケ原の合戦開始直前のような晴れた空。

 午前中は家の中まで温まっていないので、じっくり眠れました。昼過ぎ、そろそろが粋の熱が家の中にも入り込んできたので、新装開店したスーパーマーケットベルグに行くために沼田市に行きました。しばらく足を運んでいない地区だったのですが、薬屋スーパーが増えましたね。アオキなんた紳士服だと思ったら薬屋。今度できたベルグの隣にはウェルシアが入ってました。薬屋さん、コロナで儲けたんだな。

 店内、移動困難なほど混んでいまして、カート押しながら買い物する人たちって3人分くらい場所を使うんですね。チラシを見たらもやし一袋9円!これは買っておかねば!と狙っていました。キュウリは貰い物があるし、中華クラゲは干物があるし、自分の畑で作っているネギもあるからもやしナムル作れるな。

 明日のお昼は冷やし中華にしよう!

 で、今日の特売品がバナメイエビの冷凍もん777円。結構たっぷり入ってお買い得。エビチリ!ってのも芸がないかな?先日越後の業務用スーパーで買ってきた豆板醤があるので、麻婆エビにしてみようか!と思いつく。畑からネギ3本引っこ抜いてくればいいか。冷凍庫にトウモロコシが残ってい鉈。それも使おう!

 麻婆エビ決定!

 精肉コーナーでは豚肉のひき肉の半額シールが貼られていたので、ゲット!野菜コーナーに戻ってピーマン二袋買い込んでチンジャオロースー決定!

 家で中華三昧料理作ってカン太君のおとっつぁんにもおすそ分けしました。苗場のフジロックフェスティバルで行きつけのローソンの弁当が売り切れて、食うに困っていたところ、と言うので、グッドタイミングでした。

 中華三昧料理作っていて思ったんだけど、中華料理って大味で大雑把。その方がおいしかったりするのだけど、鍋にぶち込んで強火で炒めればなんとなくそれっぽくなってしまう。もちろん突き詰めれば奥は深いのだろうけれど、チャイナクオリティーでもそれっぽく作れてしまう。男料理にはもってこいだよな。 

 日本の家庭料理の煮魚や煮っころがしなど微妙なバランスで味が崩れてしまうから、火加減や具の入れ方などにも気を使うけれど、中華はそういう気を使わない。アクセル踏み込んでロックンロールさ!

 スーパーでね、近くの村の農業実習生らしき5人を見かけたんですね。ニーハオ人ですよ。一人がカーゴ押してその周りに4人が大声でミャーミャー騒ぎながら買い物しているんですけど、他の人たちに気が付かないから、カーゴをぶつけてみたり、人同士が部下使ってみたり、狭い通路で立ち止まって後ろに行列ができていても気にしない。お決まりの下品な行動はしていなかったけれど、遠巻きに眺めて感じたのは、ああ、この人たち俯瞰で見て自分がどいう言う立ち位置にいるのか全く分からないんだな。

 使い方によっては中華料理みたいになじむのだろうけれど、使える素材じゃねぇな。ってな目線で見てしまいました。

 クオリティー勝負で行ったら日本には追い付けないと思うよ。

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舞台?

2025年07月26日 | 日記・エッセイ・コラム

 今日も猛暑でしたが湿度がなかったので、大汗をかいたものの何とか仕事ができました。

 ごへい餅をもらいました。もち米ではなくて、うるち米で作るのがごへい餅と言われていますが、山仕事の伝説によると山に天狗様の好物で、山神様にお供えすると事故が起きないなんて話もあります。

 

 女優の和泉雅子さんが亡くなったこともあって、日活青春映画をネット配信で見ていますが、ミーハーなのでこうしたロケ地や舞台を歩いてくるのが大好きなんです。ついこの間も「北国の街」の舞台だった越後の十日町や長野の飯山などをドライブしてきたばかりでした。「高原のお嬢さん」の蓼科高原に行ったときなんか、♪あの人に会いたい~ たまらなく会いたい~♪と「高原のお嬢さん」のテーマソング歌っている高原のおばちゃん達がいました。多分、あの映画が出た昭和40年代には狼じゃなくて、娘さんだった世代なんでしょうが、50m年も経過すりゃなかなかホラーな光景でしたぜ。

 今日は「絶唱」を見ましたが、あれ、鳥取と岡山の境当たりの伯耆山周辺が舞台なんですね。八頭郡(やずぐん)なんて呼ばれる地で、八岐大蛇に由来した名前なんだとか。

 最初の大学生時代に山岳部で大山に行ったときに映画「絶唱」の舞台となった土地を巡ってきました。仲間たちは山口百恵と三浦友和の「絶唱」がメインイメージでしたが、私は子供の頃に映画館で見た舟木一夫と和泉雅子版が印象に大きい。

 この年になって改めて映画を見ると、山が違うんですね。山林の植生が鳥取の物とは違って関東の植生なんです。まぁ、映画会社がお江戸ですから、近場でロケしたんでしょうが、山仕事でもしてなけりゃ気が付かないだろう。

 最近知ったのですが、石破さんって一応八頭郡の出身ってことになっているんですね。やっぱ八岐大蛇の末裔か?あの顔。

 誰が退治するのだろう?

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そのうち何とかなるだろう

2025年07月25日 | 日記・エッセイ・コラム

 なんか、やけに国道の交通量が多いので、局地的なゲリラ豪雨でもあって高速道路がストップしているのかな?と、思っていたら、昨日の夜から苗場でフジロックフェスティバルが開催されているのだとか。

 フジロックフェスティバルが苗場で開催されるようになって30年以上たっていますが、最初の頃は知っているロックバンド名でも出ていたんです。今は?全然わからない。時代についていけない感がたっぷり漂っている。この何年かはどんな今日が流行っているのか?音楽そのものが耳に入ってこない。

 クルマのカーステで聴くCD。ダッシュボードに入っているのはナナ・ムスクーリと倍賞千恵子のCDだけでした。

 寅さんの妹の倍賞千恵子の歌いいよなぁ。なんでこのCDが手元にあるのか?と言うと、あれは平成に入って間もなく、世の中には植木等のスーダラ節が席巻している時代がありました。んで、レコード店に行って「スーダラ伝説」のCDを買ったんです。レジでは店のおばちゃんとご近所のおばちゃんが立ち話してまして、倍賞千恵子のCD手に「今はこうした正統派の歌手っていないよねぇ。」なんて話をしていたんです。

 おばちゃん達の長話に割り込むのも身の危険があるので、「スーダラ伝説」のCD手に黙ってその後ろで並んでいたんです。「あたし、今年の夏まつりのカラオケ大会にはこのCDにおなかから選ぼうと思っているの。さよならはダンスの後でなんかいいかな?」と話しながら後ろに黙って並んでいる私に気が付いて、先を譲ってくれたんです。ありがとうごぜぇますだ。と、レジを先に済ませたのですが、そのさなかもレジのおばちゃんと客のおばちゃんは「下町の太陽なんて私たちの世代の象徴だったわね。」なんて倍賞千恵子談義してました。

 世代の歌か。我々世代はフォークソングからニューミュージックに移り変わる時代だったな。なんて考えながら、家に戻ってCDの入った袋を開けると・・・倍賞千恵子のCDが入っていた。取違い?聴いてみたら実にいいんだ。正統派歌謡って。・・・ってことは?私が買ったスーダラ伝説は・・・???

 夏祭りのカラオケ大会でおばちゃんが歌ったのはスーダラ節だろうか?無責任一代男だろうか?

 そのうち何とかなるだろう!

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かば焼き

2025年07月24日 | 日記・エッセイ・コラム

 北海道で気温40度になる地域があるようで、猛暑だったけど、湿気が少なかったから何とか生き延びられました。台風も複数出ているみたいだし、石破さんは辞めないし、国難だなぁ。

 暑さでヘタレて土用丑の日にかば焼きも食べなかった。と言ってもウナギ、得意じゃないんだけど、おでんに使うチクワをヒラキにしてうなだれをかけて焼くとこれがなかなかオツなんでございますなぁ。ウナギと違ってチクワは身がしっかりしているから串刺しもいらない。ウナギ特有のにおいもない。そして何よりとってもリーズナブル。

 なのでチクワウナギのかば焼きやいてうな丼にして、カン太君のおとっつぁんにもおすそ分けしたんだけど、おとっつぁんはあしながバチに刺されてパンパンに腫れてました。おなか?じゃなくて右腕が。

 温泉配達の仕事で温泉汲み上げるパイプにハチが巣を作っていたんだそうです。

 ヘビーメタルバンドのブラックサバスのボーカリストだったオジーオズボーンが亡くなったんだそうで、魔界からの使者が帰還されたってことですかね。76才だって。

 イギリス、すげぇなぁって思ったのは、エリザベス女王の就任何十年だったかのイベントでロックフェスティバルがあり、女王もその会場に来てコンサート観ていたことがありました。個人的にはエリッククラプトンとポールマッカートニーがマイギタージェントリーウィーブス演奏したのが印象的だったかな?

 そういう場にブラックサバス再結成?ギタリストのトニーアイオミまで出てきて、そのころすでにヨレヨレになっていたオジーオズボーンが歌ってました。

 こういうヘビーメタルバンドでさえ「女王様おめでとうございます」とやって来るんだから、イギリス王室すげぇなぁって。

 巷では、プロレスラーのハルクホーガンも71歳で亡くなったそうで、急性心不全だったみたいです。

 やんちゃな人が消えていきますなぁ。

 ボク、まじめだしぃ。

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その頃

2025年07月23日 | 日記・エッセイ・コラム

 大工のハルさんと驚異深い話をしました。昭和43年12月10日にお江戸の府中市で三億円強奪事件が発生しましたが、その時、大工になりたてのハルさんは冬の出稼ぎ仕事で事件現場に近い鹿島建設の工事現場に行ってました。行くところ行くところ警察の検問で、そのたびに車の荷台を調べられて「これはなんだ?」。大工だもん、角材やのこぎりや金づちが積んでいて何が悪いんだ?車内にあったヘルメットとタオルでまたつつかれる。工事現場でヘルメットの何がおかしいんだ?といらいらしながら検問を通過したそうです。

 こりゃこの現場じゃ仕事にならないから新宿の別の現場に行けと回されると、そちらでは学生運動が電車を襲うテロ活動。見ればヘルメット被って顔はタオルで隠している。ああなるほど、三億円事件ではなくてゲバルト学生調べてたのか!と、理解できたそうです。

 線路から石をかっぱらってくる奴、それを運ぶ奴、その石を電車に投げつける奴。ちゃんと分業制度が成り立っていたようです。その騒ぎのおかげで、その日一日は日当を得られなった。

 こちらは生活のために出稼ぎ安宿に泊まって飲み食いも抑えて、少しでも金を持ち帰ろうと出稼ぎに来ているのに、自分と同じくらいの年代の若者が、姓つの心配もなく親のすねかじって破壊行為で遊んでいることに腹立たしさを感じてならなかったそうです。こんな連中が「労働者が」なんていうこと自体「人を馬鹿にしている。まずは自分で働け!」と怒りがこみあげてくるそうです。

 三億円事件の時、私は小学校1年生でしたが、億の単位なんて知らない子供たちばかりなので、先生黒板にゼロを九つ並べて三億の数字を書いた覚えがあります。億の上には兆。その上には京なんて桁があることを教わりましたが、どっちにしても縁がない数字で、スーパーの見切り品タイムで半額になるのが398円の親子丼弁当か、358円の海苔弁当か?半額なので20円の差でしかないけれど、この差は大きいリアルな数字。

 ハルちゃん、一昨日仕事に行ってた現場で午後からの作業に使う道具が足りず、雷が鳴る中を家まで取りに行く途中草むらの中に立っている人を見かけ、道路に出そうだったのでクラクション鳴らして通り過ぎたそうです。服は茶色っぽい服装で帽子をかぶっていて、軍人コスプレみてぇだな?と通りながら思ったそうです。道具を積んで戻って来る途中その現場に差し掛かったので車を停めて周囲を見ると人影はない。人が立っていた草むらには草を踏みつけた跡もない。ありゃぁ幽霊か?そういえば雷の稲光と一緒に見えたな。

 なので、仕事帰りにその場所に立ち寄ってみました。ちょっと奥の草むらに「陸軍伍長〇〇」なんて草ぼうぼうのお墓があり、昭和20年7月21日戦地で亡くなっていました。80年か。なので、軽トラの荷台に積んである草刈り機で30分ほどお墓の回りの草刈りして、ハルちゃんに「やっぱ軽い幽霊みたいだから心配しなさんな。」と電話しておきました。

 そうか、80年か。お盆前に忠霊塔の草刈りにも行かなきゃならねぇな。

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偲ぶ会

2025年07月22日 | 日記・エッセイ・コラム

 山岳会の先輩のお通夜に行ってきました。もうすぐ80歳になる人でしたが、19日の午後に「胸が痛い。」と救急車を呼び病院へ、その7時間後には息を引き取ったそうです。今月初めに私たちが裏方やっていた「蚤の市」に顔を出してくれて、元気そうだったのに急でした。

 もともとは山岳部ではなく日大射撃部出身で、猟師もしていましたが、猟師仲間が言うには「スポーツで射撃やってきた人だったから、クレー射撃などやたらうまかったけど、獣撃つ時には一瞬躊躇があったなぁ。だから猟師じゃなくてスナイパーって感じだったよ。」猟師、ハンター、スナイパー。彼らの中では違うんだそうです。個人が昔よく言ってたのが「俺らの世代のちょっと上に吉田茂の孫がいて、これが凄腕の撃ち手でさぁ、ルールさえ変えちゃったくらい影響力ある人だったんだ。モントリオールオリンピックに行ったんだけど、麻生太郎さ。」と、射撃協会の会議で並んだ写真見せてもらったことがありました。

 登山家としては群馬学連初の遠征でヒマラヤのダウラギリ登山に加わり、高山病で死にそうになって帰ってきたり、槍ヶ岳で転落した山仲間の捜索に行って、槍沢で雪崩に埋まって30分後に意識不明で発見されたり、山岳会のロッククライミングゲレンデに生えていたケヤキの大木伐倒したら倒れた樹にはじかれて下敷きになって死にかけたり、コロナで人工呼吸器に繋がれたりしつつもいつの間にか娑婆に戻ってきていましたが、ついに娑婆から脱出してしまいました。

 お通夜の後居酒屋で偲ぶ会になりましたが、「あの人はトップランナー目指していたからなぁ。」1970年代、80年代、ヒマラヤ登山に大きな変化が訪れて新しい時代に、同時に岩登りなどはフリークライミングの概念が出てきてよりスポーツ方向へと別れて行った時代でしたが、どちらの世界でもトップランナーが身近にいた。坂の上の雲追いかけているような時代でした。

 頂上目指している頃はギトギトしたものが漂っているけれど、頂点を知るとなんか別の次元に入ったようになる。ある先輩はこれを「求道」と呼んでいましたが、探求心が内への深まりを高めていく。なんて話題になりました。本日の故人、かつては山岳会の理事長やっていましたが、なんたってめちゃくちゃな人だったので、ヒマラヤ登山に行っている留守中に緊急理事会が開かれて理事長解任された事件などもありました。ちょい悪オヤジではなくめちゃ悪オヤジのやんちゃなガキ大将でしたが、近年非常に穏やかなじいさんになっていて「やっぱあの変貌が寿命を縮めたのでは?」いい人になるのも命取りかもしれない。

 寿命の短い男性も、80直前まで生きて「早死にだよなぁ」って言われる時代になったんですね。

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