麻生首相が日本青年会議所(JC)での挨拶で、報道各社が「元気な高齢者は働くことしか才能がない。働ける才能をもっと使ってその人たちが働けばその人たちは納税者になる。日本の社会保障は全く違うものになる」発言を報道しています。
多分、真意は別にあると思われるが、誤解を生む失言というより、資質の問題発言ですね。
麻生首相の発言主旨はわかりませんが、当方は、高齢者が元気にいることが、社会保障費の軽減になるという考えだが、麻生首相の発言は「上から目線」であり、問題発言で、高齢者の不評を買うでしょうね。
麻生首相の問題発言を、日経新聞では「麻生首相「高齢者は働くことしか才能ない」 活力社会巡り発言」、共同通信では「「高齢者、遊び覚えても遅い」 首相、麻生流勤労の勧め」、時事通信では「高齢者は「働くしか才能がない」=遊び覚えても遅い-首相発言」、読売新聞では「麻生首相、高齢者は「働くことしか才能がない」と報道しており、真意は他にあると思うが、高齢者から批判される発言ですね。
例えば、日経新聞では「麻生首相「高齢者は働くことしか才能ない」 活力社会巡り発言」を転載すると、
”「麻生太郎首相は25日午前、横浜市内で開かれた日本青年会議所(JC)の会合でのあいさつで「日本は65歳以上の人たちが元気。その元気な高齢者をいかに使うか。この人たちは皆さんと違って働くことしか才能がないと思ってください」と述べた。
高齢者の勤労を促すことが、社会保障制度の安定や活力ある高齢化社会を作るとの考えは首相の持論。
ただ発言は高齢者への冷やかしともとれる表現だけに、言葉足らずとの見方もある。
首相は「80を過ぎて遊びを覚えても遅い。遊びを覚えるなら青年会議所の間くらいだ」とも指摘。「60過ぎて、80過ぎて手習いなんて遅い。働ける才能をもっと使ってその人たちが働けばその人たちは納税者になる。日本の社会保障は全く違うものになる」と語った。」”
と報道しています。
各報道機関は、「揶揄される」、「言葉足らず」という補足していますが、発言は、高齢者を敬う立場ではなく、元気な高齢者を働く事しか能(脳)が無いので、働かせれば、納税者が増え、社会保障で苦労が軽減されるとニュアンスですね。
麻生首相の問題発言については、人気ブログの【きっこのブログ】が「麻生首相が『高齢者は働くしか能がない』と暴言」、「自民党のマニフェスト詐欺に注意せよ!」で、暴論とし、過去の総裁選での同質の発言を紹介し、批判していますね。
「麻生首相が『高齢者は働くしか能がない』と暴言」を転載すると、
”「麻生太郎首相は、25日、横浜市内で行なわれた日本青年会議所主催の会合に出席し、「介護を必要としない高齢者は8割を超えている。こうした元気な高齢者をいかに使うか。この人たちは皆さんと違って働くことしか才能がない。80過ぎて遊びを覚えても遅い。60過ぎて80過ぎて手習いなんて遅い。働ける才能をもっと使い、その人たちが働けば、その人たちは納税者になるんだよ」と発言した。
麻生首相は、外務相時代の2006年9月1日に、小泉純一郎元首相の後を受ける総裁選に出馬し、当時の安倍晋三官房長官、谷垣禎一財務相と3人で、広島市内での自民党中国ブロック大会で討論をしたが、その時も「65才以上の人のうち本当の意味での寝たきりは15%しかいない。あとの85%は周りが迷惑するくらい元気。こういう人は働くしか才能がないといえば語弊があるが、あんまり遊んだことがない。そういう人たちをうまくおだてて使うことが私のような会社経営者の才能だ」などと高齢者を侮辱する暴言を繰り返したため、全国の高齢者や団体から厳しく批判された。
今回の発言を聞く限り、麻生首相は、首相になっても高齢者を侮辱する感覚に変化はなかったということになる。
自公政権が数の暴力で強行採決した後期高齢者医療制度で苦しんでいる全国の高齢者が、今回の麻生首相の暴言を聞いてどんな気持ちになったのかは、8月30日の衆院選で分かるだろう。(2009年7月25日)」”
と書いていますね。
そして、野党から批判され、共同通信は、「高齢者は働くしか才能ない」 野党、首相発言に批判」、時事通信は『野党、首相発言を一斉批判=「高齢者侮辱」「生活見てない」』を報道しています。
当方は麻生首相の発言記事で問題視する点は、
・高齢者を雇用する視点で、高齢者は働くことしか才能(能無し)
・元気な高齢者に、雇用促進すれば、納税が増え、社会保障も軽減できる
という「上から目線」で、「高齢者は遊び意識が希薄で、働くことが生きがい」で、「高齢者が働ければ、税収増加に寄与し、社会保障が軽減」というストリーです。
極論すれば、経営者は、高齢者は働くことしか能(脳)が無いので、如何に、高齢者を上手に働かせれば、経営は良化し、日本の国は、税収増になり、社会保障にカネを回せ、皆が幸せになるということになりますね。
高齢者の「不安」は、「自分(伴侶)の健康」「老後の生活糧」であり、また、「老後は、子供にも、他人にも迷惑をかけたくない」という心情があり、蓄財意識があります。
当方は、認知症の母親の世話に時間を割いており、介護および老人医療は、切実な問題ですが、母親も当方も、他人様には、なるべく迷惑(負担、世話)をかけたくないという意識がありますが、限界もあり、近所にも見守りをお願いし、介護施設を利用させてもらっております。
当方は、麻生首相の唱えた「安心社会実現」については、本ブログ「麻生首相の命名の「安心社会実現選挙」は、「不安社会」を醸成した責任回避・転嫁!」、「麻生首相の「安心社会の実現」は、自民党政治の反省の弁!」で、安心社会実現は、それは、現在は「不安社会」ということであり、その「不安社会」を醸成してきたのは、自民党政治であり、その張本人から「市場原理主義」を否定し、「安心社会実現」とは責任回避・転嫁に過ぎないと書きました。
麻生首相は、施政方針演説では、
”「(安心と活力ある社会)
もう一つの政府の役割は、皆が参加できる社会を創ること、そして安心な社会を実現することです。
日本は、勤勉を価値とする国です。この美徳が、今日の繁栄を築きました。それを続けるためにも、高齢者、障害者や女性も働きやすい社会、努力が報われる社会を創ることが重要です。また、競争に取り残された人を支えること、再び挑戦できるようにすることが重要です。 」”
と指針を発表しました。
施政方針演説の(安心と活力ある社会)は、美辞麗句であり、コメントしようがありませんが、「高齢者は働くしか才能ない」発言は、元気な高齢者は働きたがっているし、それしか能(脳)が無く、・・・それが、日本の勤勉の象徴・・・・働かせることが、高齢者の生きがいにつながり、税収増につながり、それをすることが経営者であり、日本の総理の仕事となりますね。
「高齢者は働くしか才能ない」発言は、麻生首相の基本的な姿勢の表れですね。
元気な高齢者は働きたがっているし、それしか能(脳)が無いのではなく、戦前・戦後の混乱時代に、生きるのに必死であり、子育てに必死であり、そして、老後は子供には迷惑をかけたくないという精神が醸成されてきたのです。
高齢者は、元気にいたいのが第一であり、元気であれば、子供にも、世間様にも迷惑をかけずにいられるという思いがあります。
社会は、高齢者には、元気にいてもらいたいということに注力することが肝要で、社会保障が安定充実し、究極は「安心社会」になると考えています。
高齢者自身も、可能な限り、生涯現役で、社会参加したいのであって、どういう形(非生産性でも)であろうとも社会参加することが 元気の源になるのです。
そして、元気にいられなくなった時の終末の安心を願っているのです。
麻生首相の「高齢者は働くしか才能ない」発言は、麻生首相の根源的な資質の問題の表れですね。
麻生首相は、与謝野財務・金融相との対談記事(文藝春秋:2009.06)で、「労働は美徳である、と固く信じているのが日本が世界に誇るべき国民性です。・・・・我々保守政治家が守るべき日本人の美徳のひとつは、真面目に働くこと、それがきちんと評価されること、「勤労大国」の正しさではないですか」と語っています。
語っている内容は、正論ですが、「高齢者は働くしか才能ない」発言は、労働は美徳の国民性を、経営者は、活用することであり、高齢者は働くことしか能無しであり、より、活用することが、経営安泰であり、日本が安泰になるという偏狭・偏向の価値観の表れであり、日本のリーダーの資質ではないですね。
当方は、麻生首相については、資質の問題より、「小山大将肌の目立ち屋」で自意識が高く、負けず嫌いの気質が問題と批判してきましたが、今回の「高齢者は働くしか才能ない」発言で、首相失格の基本的な資質の問題と思いましたね。
世界が大変容する現下において、新たな「国家100年の計」が策定の好機に、市中の経営者感覚では、少子高齢社会の日本の将来を麻生首相にも、麻生首相の率いる自民党に委ねる事は出来ませんね。
それにしても、昨年秋の「チンタラ・グウタラ世代」発言で、中高年齢層から酷評され、今回の「高齢者は働くしか才能ない」発言で高齢者から反発を受けるでしょうね。
資質失格の麻生首相を、人気があるということで、自民党総裁に選んだ自民党は自壊しかないでしょう。