傍観者の独り言

団塊世代で、民間企業で「チンタラ・グウタラ」に過ごした人間の手前勝手な気儘な戯言・放言。

麻生首相の「安心社会の実現」は、自民党政治の反省の弁!

2009-06-27 10:13:26 | 国家の計

麻生首相が、25日の日本記者クラブでの記者会見で、「解散・総選挙の前にどうしてもやっておかなければならないことがある。それが安心社会の実現に向けた道筋を国民に示すことだ」の発言は、15日の発表された「安心社会実現会議」の報告書『安心と活力の日本へ』を指していると思われますが、「安心社会」の裏を返せば、「不安社会」であり、「不安で活力のない日本」にしてきたのは、積年の自民党主導の政治が醸成してきたのでないですか?
「安心社会の実現に向けた道筋を示すことだ」は、自民党の反省の弁ですね。

安心社会実現会議のメンバーであった宮本 太郎氏(北海道大学大学院法学研究科教授)が、日経ビジネス・サイトに、対談記事”「小泉改革が置き去りにした「雇用保障」”(安心社会実現会議のキーマンが「生活保障」を語る)を、伊藤 元重氏(東京大学大学院経済学研究科教授)が、新聞案内人に”「安心社会」実現をみんなで考えたい」”を寄稿しており、「安心社会実現会議」の報告書『安心と活力の日本へ』を紹介しておりますね。

当方も、安心社会実現会議の議事録を一読(斜め読み)しましたが、言っていることは、それなりの有識者ですから、メンバーの発言は、正論で、建設的でもあり、共感はできます。
また、麻生首相は、自ら、

”「私は、今、国民が日々暮らしている中で、いろいろな分け方はあると思いますけれども、
基本的に3つぐらいに分けられるのかなと思って、不安を感じていること3つ、
一番身近なところで家族への不安で、例えば失業するんじゃないかとか雇用の不安、子育てとか教育とかの不安、また、子どもが自立できないとか、将来に感じる不安が1つ。
もう1つは制度への不安でして、社会保障制度などなどいろいろありますけれども、少しほころびが目立ちつつあるのではないかというのが問題な点かなと思っております。
そして3つ目が社会への不安で、食の安全もそうでしょうし、治安ということもありますでしょう。格差の不安とか、そういった分類に分けられるのかなと思っております。
いずれにしても、日本という国を、治安はもちろんのことですけれども、安心できる社会というためには、今、私は3つに分けておりますけれども、もっといろいろ分類できると思います。それに対する処方せんというものについて率直なご意見をいただければと思っております
。」”

と3つの不安として、「家族の不安」、「社会の不安」、「制度の不安」を掲げ、これからはその寄って来る原因、また背景などを分析していただき、目指すべき日本の社会の姿の道筋を「安心社会実現会議」にもとめていますと発言しています。

この3つの「家族の不安」、「社会の不安」、「制度の不安」は、明らかに、積年の自民党主導の政治の結果であり、「政官業」の既得権構造という硬直の社会を形成してきた結果です。
その当事者が、「安心社会の実現に向けた道筋」を国民に問うのは、「反省の弁」であり、「謝罪の弁」に過ぎないと思いますね。

また、報告書は、雇用保障が活力を生み、社会保障が安心を生むというストリーで、国民にも責任・役割(税負担)があるとし、そして、国民に分かりやすい政策の一つに、「社会保障カード」の導入を提言していますね。
一理ありますが、「社会保障カード」を導入を検討する前に、「住基カード」はどうなっているのか?問いたいですね。

当方が、「安心社会実現会議」の報告書『安心と活力の日本へ』が不満なのは、現行の社会を基点に、不安・不満解消の解決策に過ぎない点です。
当方は、本ブログで、「100年の一度の危機」は、「国家100年の計」の策定の好機という考えを書き、現状不安の解決策程度では、「国家100年の計」にならないということです。

当方は、資源・食料・環境も、将来どうなるか分からない不透明な状況下で、国民の安心・安全を守るのは、まずは、日本の国の位置づけそのものを変える必要性を感じております。
位置づけを明確にしてから、報告書にあるような、雇用保障、社会保障をどうするかではないかと思っています。
やはり、有識者・政治家は、社会分析はできても、社会変革(現状否定)を望まないのでしょうね。

当方が思う「国家の計」については、別ブログで書きたいと思っています。




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