小沢一郎事案に、第一検察審査会が「不起訴不当」議決を受けて、7月16日付け朝日新聞の社説『「不起訴不当」―市民の声に耳を澄ます』で、本議決は、小沢一郎氏の政治的責任を免れない傍証で、小沢氏の「政治とカネ」の問題は、参院選大敗の一因となり、小沢氏は説明責任を果たすべきと主張しています。
一見、客観的な論評であるが、今までの朝日新聞の報道を省みると空々しいとしか思えない。
まずは、小沢事案についてですが、昨年春の西松献金事件ではじまり、大久保元秘書は起訴・公判へ、そして、小沢代表は辞任し、その後、「陸山会」の土地取引疑念を市民団体が告発し、検察は石川議員らは起訴したが小沢一郎氏を「不起訴」処分、それを、2市民団体が「不起訴」に異議を2検察審査会に申立、小沢幹事長は辞任し、一つの第5検察審査会は「起訴相当」を議決したが検察側は再捜査し、再度「不起訴」処分とし、2回目の第5検察審査会が審査中で、もう一方の第1検察審査会が「不起訴不当」を議決し、今日に至っている。
経緯については、ブログ「雑感」様のエントリー『産経もとうとう泣きが入ったようだ』 で、記載されており、参照されたらと思います。
ブログ「雑感」様は、主に産経新聞をネタに、報道各社の報道姿勢を追及していますが、当方は、大手メディアの朝日新聞の報道姿勢について言及します。
まずは、朝日新聞の報道姿勢に批判したのが、小沢代表の辞任前の昨年4月22日で、本ブログ『朝日新聞の姿勢は、反小沢?、反民主党?』で、
”「4月21日の朝日新聞の社説「小沢民主党―あっという間にこの守勢」で、「小沢氏に代表辞任を求める人は依然として6割に及ぶ。あれだけ巨額の献金をもらい続けてきたゼネコンと、どのような関係があったのか。どんな献金でも、政治資金収支報告書に記しておきさえすれば受け取っていいのか。そんな根本的な疑問に対して、小沢氏の説明はまったく足りない。」と書いており、小沢代表の政治手法、政治資金へ取り扱いを批判をしていると思え、当方には、西松違法献金における朝日新聞の報道姿勢は、反小沢、反民主党の印象をもっております。」”
と書き、朝日新聞の偏向報道を批判しました。
7月16日付け朝日新聞の社説『「不起訴不当」―市民の声に耳を澄ます』は、結論だけ読むと、一見、正論めいていますが、内容は、検察の外部批判をゴミ扱いで危険視しております。転載すると、
”「検察審査会が民主党の小沢一郎前幹事長について「不起訴不当」の議決をした。秘書らと共謀して2007年分の政治資金収支報告書にうその記載をしたという容疑をめぐり、議決は小沢氏の関与があったのではないかとの心証を強く打ち出したうえで、さらに捜査を尽くすよう検察当局に求めた。
小沢氏、そして氏を不起訴処分とした検察の双方にとって極めて厳しい内容である。だが「起訴相当」と異なり、検察が再捜査して改めて起訴を見送った場合、事件は終結する。
小沢氏に対しては別の検察審査会から、04、05年分の収支報告書の記載に関し起訴相当議決が出ている。土地取引をめぐる小沢氏や秘書らの弁明に疑問と不信が突きつけられたのは同じだが、結論において二つの審査会の判断は微妙に分かれたことになる。
釈然としない思いをもつ人もいるかもしれない。だが、証拠の評価やそこから導き出される結論は、見る角度や判断する人によって違いがあり、正解が用意されているわけではない。捜査当時、検察内部でも積極論と消極論が交錯していた。
先の起訴相当議決の際、我々が今後の展開について予断を控えるべきだと指摘したのもそのためだ。04、05年分に関し強制起訴の可能性が残るこの状況と行方を、冷静に見守りたい。
気になるのは、事件を機に一部の法律家やジャーナリストの間で持ち上がった審査会への批判だ。いわく、審査員には証拠を精査する能力がない。社会の風潮に左右される。そんな連中に強い権限を与えるのは危険だ――。
ためにする批判であることは明らかだ。今回の議決からは、補佐役の弁護士の助けも得ながら、健全な常識と感覚に照らして証拠を丹念に検討した形跡がうかがえる。政治資金規正法の改正に向けて具体的な提言もしている。
主権者である国民が司法に参加することで、司法の基盤は強まり、民主主義の発展をもたらす。そのことを再確認できる内容といえる。制度をより良いものにするための細部の見直しや検討は必要だが、市民の判断力を低く見たり危険視したりするような主張にくみするわけにはいかない。
今回の議決は強制起訴に結びつくものではなかったとはいえ、小沢氏は政治的責任を免れるわけではない。
氏は引き続き政界に大きな影響力をもつ。その「力」と密接にかかわる政治資金の取り扱いについて、再び重大な疑義が呈されているのだ。
政治とカネの問題は民主党への期待を掘り崩し、参院選大敗の一因になった。小沢氏は議決の趣旨を受け止め、国会で説明するなど国民に正面から向き合うべきだ。党執行部の姿勢も問われる。具体的な行動抜きに出直しを誓っても、前途は開けない。 」”
で、明らかに、検察寄り、反小沢の論評です。
また、小沢一郎氏に説明責任を問うていますね。
当方が注視したのは、
”「気になるのは、事件を機に一部の法律家やジャーナリストの間で持ち上がった審査会への批判だ。いわく、審査員には証拠を精査する能力がない。社会の風潮に左右される。そんな連中に強い権限を与えるのは危険だ――。
ためにする批判であることは明らかだ。今回の議決からは、補佐役の弁護士の助けも得ながら、健全な常識と感覚に照らして証拠を丹念に検討した形跡がうかがえる。政治資金規正法の改正に向けて具体的な提言もしている。」
の部分で、検察審査会を絶対視し、検察審査会への外部批判を、
”「市民の判断力を低く見たり危険視したりするような主張にくみするわけにはいかない。」”
と、 健全な市民の常識と感覚での検察審査会の議決への外部批判をゴミ扱いの阻害要因とみなす朝日新聞の報道姿勢です。
当方は、メディアの姿勢に疑問があり、朝日新聞の検察寄りの報道姿勢については、本ブログ『朝日新聞社説「大林検事総長―国民と「協働」する責任」・・・正論だが空々しい』で、
”「6月24日付け朝日新聞の社説「大林検事総長―国民と「協働」する責任」は、正論とは思うが、小沢一郎氏の「政治とカネ」問題で、朝日新聞も偏向報道で、世論を誘導してきたメディアの一員であり、 社説で『(検察)批判の中には見当外れのものも少なくなかったし、何より法廷で犯罪を立証することが検察の本分である。情報の扱いには慎重でなければならない。』は、情報に慎重でなければならないのは、朝日新聞にも言える批判であり、空々しいと思いましたね。」
と、検察批判には検討外れもあると中立公正を装っていますが、基本的には、朝日新聞は、検察の御用新聞の論調で、「情報の扱いには慎重」でなければならのは、朝日新聞にも言えるのですと書きました。
大林検事総長の就任挨拶で述べた国民と「協働」する責務は当然であるが、朝日新聞は検察と「協働」するのが既得権保持なのでしょうね。
検察審査会の新制度についての朝日新聞の社説については、本ブログ『朝日新聞の社説「検察審査会―新制度1年、経験踏まえ」・・・何が言いたい?』で、
”「5月10日付けの朝日新聞の社説「検察審査会―新制度1年、経験踏まえ」で、検察審査会の運用の疑問点を提起しているが、「小沢事件を機に民主党内に浮上した見直し論のご都合主義をあぶり出すことにもなるだろう。」の語句は何を意味するのか不可解な社説ですね。
一見、検察審査会の運用上の問題を提起しているがごとく印象だが、民主党の「司法のあり方を検証・提言する議員連盟」を「ご都合主義」を批判したいのか意味不明の「ご都合主義」の社説ですね。」”
と、朝日新聞は、検察審査会に実態に、民主党議員が質問するだけでも「ご都合主義」と批判しており、朝日新聞の反小沢の偏向報道姿勢を批判しました。
朝日新聞は、4月27日の社説『「起訴相当」―小沢氏はまだ居直るのか』では、
”「小沢氏に進退を迫る「起訴相当」の重み 小沢氏起訴相当 「公判で真相」求めた審査会
民主党の小沢一郎幹事長について検察審査会は「起訴相当」と議決した。国会などでの説明を拒み続けてきた小沢氏の姿勢が、今の政治不信を招いた。なお応じられないというのであれば、幹事長職を辞すべきだ。」”
と検察審査会の「起訴相当」議決は重く、小沢幹事長が説明責任を果たさないのであれば、「幹事長職を辞すべきだ」と主張しており、まるで、恫喝の論調ですね。
朝日新聞も然りですが、大手メディアが検察寄りの御用報道機関の姿勢は、本ブログ『大手メディアに、検察を論評する人間はいないのか・・・皆、「親方日の丸」か!』で、
”「小沢幹事長の検察の再度「不起訴」処分について、メディアは一面で報道したが、検察審査会の制度解説の範疇で、検察審査会が再度「起訴相当」を議決し、小沢幹事長が「強制捜査」になるかの憶測記事で、検察審査会の「申立」「議決」を問う大手メディアが皆無なのは、皆、「親方日の丸」に迎合する虚勢された人間の集団なのか?
「寄らば大樹の側」で、批判精神が欠落したメディアは、「社会の木鐸「社会の公器」から「御用組合」に看板の替えかけたらどうか。」”
とメディアの報道を批判しました。
特に、当方が問題視するのは、大手メディアが、検察審査会に申立した市民団体に関しての報道が皆無であり、審査会の議決だけで反小沢を論調するのは、不可解です。
特に、申立した市民団体が、民族主義の色彩の濃い団体を、健全な市民の声とするのは詭弁ですね。
報道機関は、申立した市民団体は、民族主義の色彩の濃い団体で、街宣車を保有する「実行力」があり、ビビッてるのでしょうね。
当方は、朝日新聞らの報道機関は、軽微な犯罪程度を「政治とカネ」問題の枕詞にし、小沢氏に政治的・道義的な責任があるとし、説明責任を問うことは、本ブログ『小沢幹事長への説明責任の要求は、痴漢容疑者への弁明要求と同質』で、
”「小沢幹事長の不動産疑惑で不起訴について、メディア・野党は嫌疑不十分の不起訴は「政治的・道義的責任」があり「説明責任」を求めているが、当方には、痴漢容疑で事情聴取をうけ、嫌疑不十分で不起訴の人間に、過去に胡散臭い噂があるので、嫌疑を払う弁明しないと社会は許容しないと強要しているとしか思えないですね。
弁明内容をメディア・野党が納得しなければ、今の社会生活を継続することは、世間が許さないと様相に写りますね。」”
と、説明責任は、白黒の結論がでていない痴漢容疑者に、自白を強要しているのに過ぎないと書きました。
メディアは、小沢一郎氏の言う”「自分にやましいことはない。特捜の捜査が結論を出しているのは証だ」”以外に、何の説明を求めているのでしょうか?
メディアは、特捜以上の調査能力があり、確証でももっているのであれば、説明責任の問うことは容認できるが、検察情報以上の情報もなく、「小沢一郎氏は、政治と金問題を抱えており、国会で弁明し、議員辞職する」ことが国民の声とでも言いたいのでしょうか?
一体、何の説明を問うているのでしょうか?
無罪の痴漢容疑をかけられた人間に、「有罪」を認めろと恫喝しかないですね。
当方には、朝日新聞の報道姿勢は、検察の御用報道機関に成り下がり、反小沢で国民を誘導しているとしか見えないですね。
説明責任(謝罪責任)を問われるのは、検察であり、メディアです。
朝日新聞の社説『.「不起訴不当」―市民の声に耳を澄ます』の検察および検察審査会への外部批判は許さないという朝日新聞の主張は、独善的な御用報道姿勢で、空々しいとしか思えない社説ですね。
朝日新聞が「耳を澄ます」のは、検察への一部の外部批判の声です!
「参考」
① 公認会計士の細野祐二氏の『公認会計士の目から見た陸山会政治資金事件』は、「陸山会」の政治資金規正法違反容疑に論考。