8日の朝日新聞の連載記事『民主党政権 失敗の本質』((4):政府と与党 一元化の幻)で、民主党が政府・与党全体で政権運営に責任を持つ「政府・与党一元化」をめざしたが、一元化が実現しなかった起因に、小沢一郎氏を入閣させなかったことが紛糾の始まりと書いています。
当方は、小沢一郎氏の入閣・閣外の云々より、鳩山元総理をはじめ民主党全般が政権運営を担うには、未熟と野心の党体質が主因と思いますね。
朝日新聞の連載記事「民主党政権 失敗の本質」は、現・野田政権は民主党政権であり、民主党政権を「失敗」と決め付ける論調は、メディアとして野田政府否定は異色と思いますが、政治の混迷を見せれている現下では現実感がありますね。
連載記事『民主党政権 失敗の本質』については、本ブログ「皆、小沢一郎を、そんなに怖く、抹殺したいのか?・・・鳩山元総理も一因(雑感)」でも取り上げましたが、連載記事の主旨について再掲すると、
”「この連載で問いたいのは、消費増税の是非ではない。官僚主導を打破して統治のあり方を根本から変えるという、民主党が描いた「政権交代の物語」が失敗したということだ。09年総選挙で集めた国民の期待は「統治機構の変革」を叫ぶ橋下徹・大阪市長にさらわれつつある。「失敗の本質」は何か。野党時代から民主党を見てきた記者として、反省を踏まえながら考えたい。(村松真次)」”
とあり、1回目は、【「脱官僚」の裏で握手】「政権交代前 財務省幹部と密会」、【予算も人事も結局 財務省】「主計局長「編成やりますよ」」「野党時に掲げた政治任用 撤回」で、政権交代前か財務省と密会し、財務省依存で政権スタートし、「脱官僚」3法案が未成立に。
2回目は、【マニフェスト文化挫折】「細かく列挙 変化に追いつけず」、3回目は、【年金争点化 遠のく改革】「与野党にくさび 協調進まず」で、本日,8日は、【政府と与党 一元化の幻】「閣外に小沢氏 紛糾の始まり」で、小沢一郎氏の存在と処遇が、民主党が目指した「政府・与党一元化」が破綻したと書いています。
今回の記事の概容は、民主党は、選挙や国会対策を指揮する幹事長と、政策責任者の政調会長を入閣させ、政府・与党全体で政権運営に責任をもつ「政府・与党一元化」を目指したが、一元化できない背景に、小沢一郎氏の存在があったと。
2009年総選挙直後の9月3日夜、鳩山由紀夫は、小沢一郎氏を幹事長に要請したが、振り返ると入閣はさせなかった決断が重大だったと。
”「鳩山内閣の官房長官の平野博文は、幹事長就任直後との小沢との会談を覚えている。小沢は「定期的に君と意見交換していこう。ただ政策は全部、政府が決めてくれ」と告げた。表向きは一元化に沿った意見だが、平野は「逆に鳩山は人事も含めて党のことは言わない。政府と党の『二元』にした」と振り返る。
党の実権を握った小沢が真っ先に手をつけたのが政策調査会の廃止だった。
鳩山は菅直人を政調会長に起用し、国家戦略相で入閣させる考えだった。」”
とし、小沢一郎氏は、菅直人の影響力が党に及びことを警戒したかもしれないが、政調廃止を断行し、全国の陳情を幹事長室で集約し、年末の予算編成では、官邸に乗り込み、ガソリン税暫定税率廃止の見送りなどを政府にのませ、小沢一郎氏の政策決定に介入した瞬間だったとし、その後、菅直人が首相になると政調会長を復活させ、国家戦略相と兼務にして一元化を図ったが、幹事長も政調会長も反小沢で固め、党内抵抗の激化を招き、一元化の理念は、党内の権力闘争で崩れていったと。
この記事だけを読めば、鳩山元総理が小沢一郎氏の入閣させない意思が起点で、平野元官房長官の「二元化」解釈が介在し、「日本改造計画」で政府・与党の一元化を表明していた小沢一郎氏の政調の廃止は菅直人の影響力の抑制とし、小沢一郎と菅直人の党内権力闘争が「一元化」の理念が崩壊したとなり、今日の民主党の合意形成の仕組みの未熟さにつながったとなりますね。
記事では、小沢一郎氏が閣外になったことについて、
”「「参院選に専念してもらいたかつた。入閣させるつもりはなかったし、小沢さんも希望していなかったと思う」と鳩山は振り返る。入閣すれば国会で追及され続けて政権は立ち往生する。
鳩山のもとには党内からそんな懸念が伝わっていた。
小沢は今年2月の朝日新聞のインタビューで当事を振り返り、「俺は『政府に入らないで』という方針になっちゃった」と述べ、不本意な人事だったことをにじませた。」”
と書いています。
要は、小沢一郎氏の閣外は、鳩山元総理が周辺の声もあり、小沢一郎氏を閣外と判断したのであり、小沢一郎氏抜きでの判断だったが、周辺の声は誰かということですね。
本ブログでも取り上げた、平野貞夫氏の「日本一新運動」の原点(5)」によれば、
”「歴史的政権交代を果たした先の衆議院選挙に当たり、掲げられたマニフェストの基本は「政策の協議と決定は内閣に一元化する。そのため党の主要な役員は入閣させる」だったはずである。当初、幹事長を岡田克也氏の続投で固めていたが、菅氏の思惑でこの基本を無視して入閣させないことにした、ことが事実のようである。党の大勢が小沢幹事長となり、鳩山代表(当時)も、この変則的な事態を了承することになる。
9月3日に小沢氏は、「政策の協議と決定に関わらないこと」を条件に幹事長に就任する。小沢幹事長(当時)から電話のあった2日後、私は「それでは議院内閣制は運営できない」と強く指摘していたが、小沢氏は「いま理屈をいえば政権はできない。特別国会の組閣では基本に戻るだろう」という感じであった。しかし、鳩山政権の組閣で変化はなく、この時点で「小沢排除」は事実上確定した。」”
と書いており、鳩山元総理への周辺の声は、菅直人・前総理と推測されますね。
朝日新聞の連載記事『民主党政権 失敗の本質』の1回目に、
”「「脱官僚3法案」
民主党は09年の政権交代直後に「脱官僚」を実現するための3法案を準備した。
首相官邸が各省庁人事を直接行うため、内閣人事局を設置するための国家公務員改正法、首相直属の国家戦略局を新設して予算編成を主導させるための政治主導確立法案、副大臣・政務官を増やし、官僚答弁を制限する国会改革関連法案。
当時は衆参両院で与党多数だったが、国会提出は翌年にずれ込み、10年6月の鳩山内閣退陣で政権が混乱して成立しなかった。
同年7月の参院選で惨敗してねじれ国会になった後、成立させる機運はない。」”
とし、民主党は、表向き理由は「公務員の身分保障」として政権交代直前に「政治任用」を撤回しており、財務省が予算編成権と官僚の人事権を死守したと報じています。
本ブログ「皆、小沢一郎を、そんなに怖く、抹殺したいのか?・・・鳩山元総理も一因(雑感)」で、消費税増税の事前審査でも、小沢一郎氏が混迷の源と内外から言われることに、
”「要は、小沢一郎氏が「政策決定の政府一元化」の意図を、未熟な民主党議員が小沢一郎氏の真意を理解もせずに、組織力UPせずに、個人プレイに走ったのです。
消費税増税の是非を別問題にしたら、民主党の混迷の最大の要因は、やはり、ネジレ国会を陥ったことです。
先の参議院選挙は、鳩山・小沢辞任で、政権与党が優位に選挙できたのに、消費税増税を掲げ大敗し、ネジレ国会に陥ったことです。
この選挙に負けた責任を取らずに、現執行部、政府の要職にいる無責任体質の組織が根源的要因ですね。」”
と、政権後、政策決定の政府一元化、脱官僚3法案に、挙党態勢で臨みば、合意形成のスキームで確立できたのです。
マアー、今日の民主党の混迷は、政権交代前後の民主党幹部と財務省官僚との密会が起点だったのですね。
鳩山元総理が起因で、消費増税を安直に掲げた菅前総理が元凶ですね。