高野孟氏が『高野論説:「中央集権国家を止めるのか止めないのか?──総選挙の真の争点は「国家像」』で、来る総選挙は、自民党主導の過去120年間に渡る「中央集権国家」を継続するか?、民主党政権を誕生させて次の100年のための「地域主権国家」への道を拓くのか?の国家像の選択選挙と論じていますね。
当方も、「社会変革」の良否を問う選挙を思っています。
高野論説では、来る総選挙は、国家像の選択の良否を問う選挙であり、その他の政策は重要度が低いとし、例えば「子育て支援」は、自民党国家像の下での「上からの間接支援」か、民主党的国家像の下での個人・家庭への「下からの直接給付」かの方法論に過ぎないとしていますね。
高野論説では、
●各党の「地方分権」政策
●地域主権と地方分権は違う
●道州制は必須ではない
で、道州制にも「地域主権型」と自民党に根深い「中央集権型」とがあり、「地域主権型」の国家像を目指す場合には、道州制が絶対視されないと論じています。
●直接給付か間接支援か
で、2日付日本経済新聞のマニフェスト特集で、「民主は直接給付、自民は間接給付」見出しは適切だったが、マスコミ全般は、マニフェスト対決の肝心要を理解しておらず、例えば、7月30日付朝日新聞は、「自・民“ばらまき対決”に」と揶揄的な見出しで解説を付して「民主党が創った“ばらまき合戦”の土俵に(自民党が)引きずりこまれ」ていると述べていると批判しています。
自民党は、扶養控除という形で間接的な家庭を支援で、民主党は「控除から手当へ」の考えで、当事者の親に直接支給への転換で、個人・家庭こそが問題解決の主体であり、そこが安心を実感できるように下からの政策発想があるという論調です。
そして、民主党の農家への戸別所得補償については、『週刊現代』8月15日号の「噂の天才・ドクターZが民主党のマニフェストを徹底分析」の記事は適切と紹介し、戸別所得補償は補助金と同一視した”ばらまき”ではないと論じていますね。
小沢一郎親派(?)の高野孟氏は、小沢一郎氏の政権交代の意義を「明治以来100年余の官僚主導体制を打破する革命的改革」の見解を同調して、「要するに、これまでの120年間の惰性を選ぶのか次の100年への冒険を選ぶのか、過去をとるのか未来をとるのか、争点はそれしかない」と結んでいますね。
当方は、「破壊と創造」が生成発展する源という考えであり、社会変革の待望者であり、来る総選挙で政権交代の実現を切望しています。
高野論説ではないですが、民主党の政策は、現行社会システムを破壊し、新たな社会システムを創造であり、来る総選挙は、「国家像」の選択選挙で、麻生首相が言う「政策選択」選挙の低次元ではないですね。
自民党は、マニュフェスト〔政権公約〕の論じる前に、今までの政権与党としての「「政策の実績:結果」の総括すべきで、総括もなく、従来路線と矛盾(行き過ぎ市場原理主義との決別)のマニュフェストを公表自体が厚顔無恥ですね。
行き過ぎ市場原理主義で弱体した日本は、自民党であろうと民主党であろうと一定の再配分は不可欠で、自民党の「既得権益の組織経由の配分か」、民主党の「既得権益を回避した直接配分か」の選択ですね。
「配分」について、高野論説の読者がオリーブニュース『「こども手当」、民主党は説明が下手ですね」』を紹介していましたが、民主党は説明が下手でもあり、メディアも各論での「マニフェスト比較」を取り上げており、現体制での前提であり、何か矮小化している印象ですね。
当方は、高野論説の「国家像の選択」の問題提起には賛同ですが、一方、日本は、高齢少子化が問題ですね。
「JPpress」の記事「日本の財政の脆さ・・・少子高齢化という時限爆弾」でも問題視していますが、やはり、少子化対策が日本の生成発展への投資ですね。
オリーブニュース『「こども手当」、民主党は説明が下手ですね」』を抜粋すると、
”「この(民主党政策の)「こども手当」をバラマキと批判する人たちは、人口が減ることは、将来自分達の首を絞めることだ、との認識がないのだろう。人口が減れば、内需が縮小し、労働力が不足する。その労働力として、自民党のスポンサー・日本経団連は、数千万人規模の移民受け入れを唱えている。移民を単なる労働力として受け入れ、不況になれば解雇する。こう云うことが、将来許されるとでも思っているのだろうか。」”
と、民主党の政策には、「子供は国の宝であり、活力のある国の根源は人であるとの政治的洞察と理念がある」とし、的を得ていると思いますね。
民主党の説明も下手でもあるが、メディアの矮小化された論評、報道には、ウンザリです。