福島原発事故は、原子炉は微妙な不安定な安定状態で、汚染水から放射性物質を取り除く浄化設備の正常稼動が火急な課題になっていますね。
18日に、東電は、被災直後の対応状況をプレスし、従来、政府の見解・メディア報道と不一致がありますね。
事故後、関係部門は従来の規則を見直しするとし、事故責任が分散し、責任不在の雰囲気ですね。
当方は、事故当初から、外部電源の確保と現場体制整備への後方支援は対策本部の責務とし、政府・安全委員会・保安院・東電本店を批判し、現場取材しないメディア報道を批判してきました。
東電が、18日にプレス『東北地方太平洋沖地震発生当初の福島第一原子力発電所における対応状況について』を一部のメディアが報道しています。
読売新聞は、記事『一進一退のベント記録、首相滞在中の詳細なし』で、
”「資料によると、震災翌日の12日午前1時半頃、東電が国にベントを申し入れ、了解を得た。東電本店から同原発には、「あらゆる方策でベントしてほしい。午前3時の発表後に行うこと」という連絡が入った。しかし作業は難航。」”
とし、
”「ただ、菅首相が同原発に視察に来た時間帯については詳しい記載はなかった」”
と報道。
毎日新聞は、記事『東日本大震災:福島第1原発事故 震災後、障害次々 ベント遅れる--東電対応公表』で、事故状況を時系列に報道。
朝日新聞は、16日に、記事『ベント・注水に難航…福島第一の経過、東電資料に詳細』で、
”「朝日新聞が入手した東電の内部資料で明らかになった。原発を統括する吉田昌郎所長が、全電源喪失から1時間半後、炉心損傷などの過酷事故に至る恐れありと判断して指示を出したが、作業は思うように進まなかった様子が浮かび上がった。」”
とし、他紙と違いは、
”「東電は中央制御室に残っていたデータを分析し5月に結果を公表したが、ベントと注水の経過については、経済産業省原子力安全・保安院に報告したうえで、6月15日の会見で公表する予定としていた。しかし、複数の関係者によると、公表について官邸側の了承が得られず、会見直前になって見送られたという。」”
と報道しています。
朝日新聞は、19日に、記事『福島第一原発事故 東電の報告書要旨』で、東電報告は、現場の作業がいかに困難を極めたか詳しく説明されている一方で、”「何がどのように遅れにつながったかまでは分析しておらず、不明のままの部分が残っている」”と論評しています。
メディアは、毎日新聞は、時系列に紹介しているが、読売新聞は、菅首相の現場視察については詳細の記載が無いと指摘し、朝日新聞は、遠まわしで、遅れにつながった分析していないと報道していますね。
3月28日の日経の記事『官房長官、首相の原発訪問「情報把握への問題意識あった」』では、
”「枝野幸男官房長官は28日午後の参院予算委員会で、菅直人首相が東日本大震災の発生翌日の12日午前に福島第1原子力発電所を訪問したことに関して「首相には現場の責任者、担当者と直接コミュニケーションを取らなければならないとの問題意識があった」と述べた。
訪問の理由に関しては「なかなか現地の把握ができない。
(水蒸気を排出する)ベントを早く進めるべきだと伝えても、東電からなかなか答えがこない。 (このままでは)責任を持った対応ができないとの問題意識があった」とも語った。
これに関連し、原子力安全委員会の斑目春樹委員長は28日午後の参院予算委員会で、
海江田万里経済産業相が12日未明の段階から「東電にとにかく早くベントをしろと言い続けていた」と明らかにした。
社民党の福島瑞穂氏への答弁。 」”
と報道していました。
菅首相が、国会での答弁は、当初は、対策本部長と現場状況の視察は有意義とし、その後は、ベント作業の念押しとし、現在は、対策本部長として、現場責任者(吉田所長)と直接面談できたのは有意義としていますね。
官邸(枝野官房長官、海江田経産相)の説明は、ベントが不可避という認識で、東電に作業を指示したが、東電が難色を示し、指示から命令を発したという説明で、東電がベント作業を抵抗したという内容でしたね。
枝野官房長官は、6月15日の参院復興特別委員会で、菅直人首相が東日本大震災翌日の3月12日に東京電力福島第一原発を訪れたことについて「万が一、放射能を浴びるおそれがあったとしても、将来的に影響の出る可能性はあり得ると思ったが、緊急事態で事態を収束させる方が優先だった」と述べたと報道。
菅首相は原子力には知見の持ち主で、現場視察は状況確認が有意義とし、ベント作業の念押しとし、保護服・被災服も着ずの被爆覚悟の行動だったとの主旨の答弁は、英雄扱いですね。
東電の発表で、「oliveニュース」の徳山 勝氏のコラム『原発事故拡大の原因は菅にあり、その科学的根拠』で、毎日新聞の記事(東電のプレス)を参照し、
”「当初、ベントを渋る東電に対し、経産相が説得したが東電が応じなかった。そこで、菅首相が現地に赴いて現場の所長に命令して、東電がベントに応じた。このように報道された。」”
とし、
”「1時半ごろ、【ベント実施を首相、経産相、保安院に申し入れ了承を得る】とある。東電本店からは「あらゆる方策でベントをして欲しい。午前3時にベント実施を発表する。発表後にベントすること」とある。だが、実際に吉田所長がベント実施を指示したのは12日8時3分。処が、8時27分に大熊町住民の避難が遅れていることにより作業中止。作業再開は9時4分。10時17分にベント開始となっている。」”
”「菅が現地に到着し、ベントの命令を出す。その前に住民を避難させておく。
放射性物質の大気中への放散はあるが、メルトダウンは避けられ、チェルノブイリの再来とはならない。そのタイムリミットを計算させた。その時の東電のデータでは、12日午前7時か8時がタイムリミットであった。それに合わせ首相命令は6時50分に発令され、首相の到着は7時となった。当に悪魔のパフォーマンスなのだ。」”
と、菅首相の悪魔のパフォーマンスと糾弾しています。
徳山 勝氏の「悪魔のパフォーマンス」の語句で、当方は、本ブログ「原発事故:ブログ「ささやき」様の推察が真相でしょう・・・政治ショー」で、ブログ「ささやき」様のエントリー『空白の6時間と悪魔のシナリオ』を紹介したのを思いだしました。
『空白の6時間と悪魔のシナリオ』では、”「注目したいのは、東京電力がベントをすることにしたと発表した午前3時から実際にベントに着手したとされる午後9時4分までの空白の6時間である。)」”とし、幾つかのシナリオを考察し、”『【シナリオ5】悪魔のシナリオ 欺瞞とパフォーマンスの官邸(可能性:大)』と論じていました。
「ささやき」様の【悪魔のシナリオ 欺瞞とパフォーマンスの官邸】とは、
政府は東電がすぐベントできないことを知っており、東電を恫喝し、政府がベントを東電に指示し、東電は政府の指示でベントするという欺瞞の会見をし、ベント作業の終了時刻に、菅首相が現地に赴き、水素爆発の危機回避に陣頭指揮したとするストリーです。
経過をみれば、「ささやき」様の推察するシナリオは納得性がありますねと当方は書きました。
また、何か、ブログ「ささやき」様は、徳山 勝氏と近い人物ではないかと邪推しますね。
菅首相は、現地視察は有意義であったとし、枝野官房長官は菅首相の視察は被爆覚悟の収束への問題意識だったとし、海江田経産相はベントは必要不可避だったとし、細野豪志首相補佐官はベント遅れは東電の抵抗とし、原子力安全委員会の班目委員長は「人災」だが、誰も「水素爆発は予見しなかった」とし、政府(保安院)は「原子力災害対策マニュアル」の見直しが必要とし、枝野官房長官は「SPEEDI」試算結果の存在は知らなかった「官邸職員の対応まずかった」とし、東電は未曾有の被災とし、一体、原発事故による放射能汚染、内部被爆調査の遅れは、誰も責任を問われないことになるのでしょうか?
安全管理が杜撰と批判され、浄化処理装置がトラブっている現場は工程表厳守できなかったと現場責任だけが問われることになるのでしょうかね。
「付記」
本ブログ「NHKスペシャル「事故はなぜ深刻化したのか」・・・責任分散、責任不在」で、
”「NHKスペシャル『事故はなぜ深刻化したのか』は、全体像は間違いがないが、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」と印象で、精一杯努力したという責任所在を分散させ、誰も責任をとらない内容ですね。」”と書きました。
枝野官房長官のSPEEDI試算結果を知らなかったということで免責できる内容でしょうかね。
無知(知らなかった)は理由にならないのが現場の常識です。