傍観者の独り言

団塊世代で、民間企業で「チンタラ・グウタラ」に過ごした人間の手前勝手な気儘な戯言・放言。

運動部体罰と介護暴力も同質(雑感)

2013-01-11 03:46:06 | 社会

大阪市立桜宮高校のバスケットボール部主将が体罰を受けた翌日に自殺した事案は、在宅介護における暴力と同質部分があると思いましたね。
どちらも絶対的上位者と弱者との関係であり、閉鎖的空間での暴力行為が常態化する可能性が問題なのです。

運動部での体罰には、気合(カツ)を入れるとか発奮させるという指導的な側面があり、一部にそれを厳しい指導と容認・許容する部分が周辺にあり、指導者(監督、顧問)は体罰は許されるものと誤認し、長期にわたり体罰が常態化し罪悪感が希薄になるのでしょうね。
大阪のバスケット部主将の事案は、顧問の期待に応じられない負い目に体罰(暴力行為)の激しさが自殺に追い込んだのでないかと推察します。

当方は公立高校時代に運動部に所属し、主将をも務めましたが、3年間で一度だけ、試合後、選手全員一列に並ばされ、顧問からカツを入れると全員ピンタ一発もらったことがありますが、体罰という意識はなく、試合では、ノーサイドまで全力を出し切ろうと思った記憶があります。
大阪の事案は、顧問による体罰が長期間にわたり常態化し、ピンタも複数であり、絶対的上位者による弱者への暴力行為であり、許容の余地はない暴行ですね。

絶対的上位者による弱者への暴力行為は、在宅介護における暴力行為を連想しました。
当方の一人暮らしの老母が数年前から認知症状が顕在化し、当方が在宅介護を担うことになり、直前に言ったことも失念し同じ問題を起こし諌めると「知らない」「聞いていない」「教えてもらってない」「・・・ない」と認知症特有の弁明をし、毎日毎回、同じ事を言うことに、イラツキました。
時々、大声を発したこともあり、言うより手が出そうとなりました。
昨春、利用してたディサービス系列の特養が増床し、入居の紹介もあり、入居出来ることになりました。

当方が、老母の入居を決断したのは、在宅介護を続けていると抑制への衝動的な暴力行為を起こすのではないかという不安があったからです。
当方と老母の二人での閉鎖的な在宅介護では、当方が絶対的な上位者であり、老母は弱者の関係であり、老母の異常行動の抑制への暴力的行為は外に漏れることはなく、最初は衝動的であっても常態化する危険性は内在しています。

大阪の体罰の事案は、顧問と部員との関係は、絶対的な上位者と反論も言い訳も許されない弱者との関係であり、運動部の活動は一部の同類の人間だけの空間の世界であり、顧問は、当初は口頭で気合(カツ)を入れていたと思うが、衝動的に体罰したら効果的であり、周辺も体罰を黙認・許容したことで、体罰への罪悪感が希薄になり、体罰を指導的行為と誤認し体罰することが常態化したのでしょうね。

在宅介護で、時々、介護する人間の暴力行為がニュースになりますが、異常行動への抑制が衝動的な暴力行為になったことが大部分とは思うが、在宅という閉鎖空間で、絶対的上位と弱者との関係が抑制への衝動的な暴力行為を生じると思っております。
在宅介護は、1人の人間が長期間介護に担うことは衝動的な不幸を生む危険性があり、複数で介護を担うことで閉鎖的空間を回避することが賢明と思いますね。

一方、大阪の体罰の事案は、体罰には指導的な部分は無く絶対悪という社会通念を指導者自身(顧問)が自覚するしかないでしょうね。
難しいのが、体罰としごきの境界であり、体罰がしごきに変容し、厳しい指導者という周辺が許容することがあり、体罰なりしごきなりを回避するには、指導者は絶対的な上位者という認識し体罰なりしごきなりは絶対悪という自覚のもとで勝利の方程式を解くことが求められているのです。
マアー、更に、大阪の体罰の事案で嘆かわしいのは、体罰を黙認・許容してきた学校側と教育委員会の「仲間からは悪者は造らない」という組織防衛でもあります。



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