傍観者の独り言

団塊世代で、民間企業で「チンタラ・グウタラ」に過ごした人間の手前勝手な気儘な戯言・放言。

大河ドラマ”八重の桜”に知的刺激を受ける(雑感)(続)

2013-08-11 08:14:35 | 独り言

NHKの大河ドラマ「八重の桜」は、主人公の山本(新島)八重が盲目になった兄(山本覚馬)の住む京都での物語になり、新島八重に知的刺激を受けますが、兄の山本覚馬の人物にも知的刺激を受けますね。
当方は、大河ドラマ「八重の桜」で、新島八重を知り、山本覚馬を知り、会津藩主の保科正之を知り、歴史観が変わりましたね。

6月11日放送のNHK番組『BS歴史館「新島八重 逆境に生きるサムライ・ウーマン」放送概要』、8月7日放送、NHK番組『ろーかる直送便 歴史散策・八重が生きた京都』、8月10日放送、NHK番組『新島八重~女銃士からハンサムウーマンへ~』を視聴し、山本(新島)八重については改めて知的刺激を受けましたね。

山本(新島)八重については、本ブログ「大河ドラマ”八重の桜”に知的刺激を受ける(雑感」(2013-01-21)で、会津の歴史的特異性に、会津サムライ魂の山本(新島)八重が「会津のジャンヌ・ダルク」から「京都のモダンレディ」に変身し、そして「日本のナイチンゲール」に変容する特異性には知的刺激を受けると書きましたが、今後の山本八重が変容してゆく様に興味がありますね。
当方は、本ブログ「女性の逞しさが日本社会を変えるのではないか!(所感)」(2012-05-07)で、打算的な男性と違い若い女性の逞しさと一途さが日本社会に影響を与え、日本社会を変えてゆく先導者は、女性ではないかと書きましたが、その典型的な特筆的な事例が、新島八重でしょうね。
番組でも紹介されていたが、新島八重が古い因習の社会環境のなかで、「ならぬことはならぬ」を「良いものは良い」と、良いと思うこと誰が何を言おうとも受け入れるという発想転換の場面を紹介していたが、打算的思考の行動様式の男性には発想転換は変節と思え、将来指向の無難な道を選択するが、女性は現実的な割り切りをし、割り切ったら一途に邁進する女性の特質と思いましたね。
徳富蘇峰が新島八重を「」と糾弾したそうですが、日本社会は歴史的に土着性の風土に朝鮮・中国の文化を取り入れ融合し、西洋文化もキリスト教も取り入れ日本の風土化する「鵺」であり、不可思議な特質です。

当方は、「八重の桜」を視聴し、明治維新の歴史観が変わったのも事実です。
明治維新は、薩長に土佐人が主役で会津は守旧勢力と思っていたが、会津藩の原型を築いた名君・保科正之藩主の徳川家に忠節を尽くす家訓が明治維新時に会津藩の先進性を縛ったことが「八重の桜」を創出した歴史の皮肉ですね。
薩長連合の官軍の倒幕後の国家ビジョンは江戸期の否定で希薄であり、新島八重の兄・山本覚馬が幽閉中に口述筆記した「山本覚馬建白(通称、管見)」は、三権分立、人材育成、産業振興ら明治維新後の国家デザインであり、浅学の当方の歴史観は変わりましたね。
マアー、山本覚馬・八重は、日本の西洋化・近代化の貢献者であることはより評価されるべきでしょうね。

NHKの歴史秘話ヒストリアの平成21年4月22日放送の『明治 悪妻伝説 初代“ハンサムウーマン”新島八重の生涯』で、新島八重を取り上げ、平成24年9月19日放送の『わたし、やっぱり結婚する! ~明治のトップレディー・大山捨松の悩み~』で、大山捨松を取り上げておりました。

11日の番組で、岩倉具視・団長のアメリカ使節団に随行した5人の女子留学生のひとりの山川捨松が通訳の新島襄と会話する場面がありました。
ドラマの主人公の山本(新島)八重【1845(弘化2年)生れ - 1932年(昭和7年)没】は”「ハンサム・ウーマン」”と特筆する女性であるが、山本八重より15歳年下の山川捨松【1860(万延1年)生れ - 1919(大正8年)没】も”「トップレディー」”と歴史的に特異な女性ですね。

当方は、本ブログ「大河ドラマ”八重の桜”に知的刺激を受ける(雑感)」(2013-01-21)でも山川捨松について、

”「明治4年、岩倉具視・団長のアメリカ使節団に5人の少女が随行し、会津藩家老の山川家の山川大蔵(浩)、山川健次郎の妹の山川捨松(12歳)も加わる。
捨松の母親は、海外使節団に随行する娘を捨てる気持ちと帰りを待つという心情で捨松と改名したと。。
番組では、新政府軍に敗戦した会津藩家老は敗戦直後から、再興を意図を持ち、山川健次郎を戦場から脱出させ、アメリカに留学させており、その縁もあり、山川捨松が使節団随行メンバーになったと。
この少女随行メンバーには、最年少の満6歳で、現在の津田塾大学のそう創設者の津田梅子が含まれていますね。
アメリカに渡った山川捨松は、看護学を学び、帰国後、大山巌からの求婚を、周辺の反対を押し切り応諾し、日本での看護学の貢献や女性の社会進出に貢献したと
。」”

と、放送当初から15歳年下の山川捨松が新島八重と今後どのように絡むか注視していました。

それにしても、会津は女傑を生み出す土壌があったのには興味が沸きますね。
世の中、「地位が人間をつくる」「環境が人間を強くする」と言われるが、山本八重、山川捨松ら歴史上の人間を見ると、適当な人間の当方には爪の垢を煎じて飲んでも雲上の人物で、持って生まれた何かがあったと思わざるをえないですね。



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