傍観者の独り言

団塊世代で、民間企業で「チンタラ・グウタラ」に過ごした人間の手前勝手な気儘な戯言・放言。

林 香里女史の寄稿『「中川番」記者からも説明がほしい』は同感ですが。

2009-02-24 09:46:02 | 社会
林 香里女史の寄稿"「中川番」記者からも説明がほしい」"の中川前財務相の醜態記者会見について同行した記者から説明を求める内容は当然で同感ですが、多分、国益を損なう張本人の中川前財務相からも、随行した財務省・世話役の外務省からも、同行した記者の所属したメディアからも説明は期待できないしょうね。

林氏は、国益を損なう中川前財務相の酩酊記者会見を

「記者たちの側も、「国民の知る権利」を代行する職業として、中川氏に対してどこまで緊張感を示して向き合ってきたのだろうか。今回の中川氏の騒動は、記者会見とは、記者団に対してではなく、その向こうにいる国民に対して語りかけるものだという「会見」の本質的意義について、政府側も記者側もすっかり忘却していたことを窺わせる事件だった。」

と同行記者団の感覚麻痺を問題提起し、

「日本の政治が低レベルだからといって、ジャーナリズムまで低レベルになる必要はどこにもない。だが、残念ながら、どこかでこの二つは共犯関係にありそうな、そんな予感を抱かせてしまう。」

と暗に政治家と記者との間で、緊張感の無さを批判しています。

林氏の問いかけには、当方も同感ですが、多分、林氏も政治家とメディアとの相互依存の関係を解っていながら、この度は、国益に損なう事案にも関わらず、記者の感覚麻痺とメディアの責任を問うたと思っています。

今回の事案は、万死に値する国益を損なう言動であり、中川前財務相の辞任は自業自得で当然ですが、随行の財務省・世話役の外務省は、醜態会見を止めなかった不作為は責任問題であり、同行記者も中川前財務相の様子の異常さを事実上察知せずか、察知しても許容した責任があり、そして海外での放映後でも関係したメディアは真相を開示していないのが、「政治・官僚・報道」の相互依存の関係ですね。

琉球新報のコラムでも、「醜態を演じたのは、日本の記者も同じだ」とし、「情報を得るためには相手の懐に入る必要はあるだろう。どうするか。正解はない。権力と記者の距離感を見失ってはいないか。緊張感を持ち続けているか。自戒とともに、思いはいろいろ巡る。」とメディアの自戒の念を語っています。

当方は、社会は緊張感を持たせるには、時々、変革が必要ではないかと思っています。
変わらない事が幸せであり、変る事(変事)は不幸せと言われるように、人間は自ら変われないです。
事件・事故があってから、反省し、刷新されます。

積年の自民党主導の政治が、既得権の「政治・官僚・産業」の社会を醸成して、「老化体質」「自閉気質」の日本社会を形成してきました。
同様に、政治と報道機関も相互牽制から相互依存の「政官報」を形成し、緊張感がなくなりましたね。
その現れが記者クラブであり、今回の醜態記者会見でも、報道側から何ら反省の弁は聞かないですね。

日本社会も、変革の時期が到来しているのでしょう。


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