傍観者の独り言

団塊世代で、民間企業で「チンタラ・グウタラ」に過ごした人間の手前勝手な気儘な戯言・放言。

桜宮高校体罰事案:橋下市長の真価が問われる(雑感)

2013-01-25 18:37:21 | 社会

大阪市立桜宮高校のバスケットボール部主将が体罰を受けた翌日に自殺した事案を、どのように着地できるか橋下徹氏の真価が問われていますね。
桜宮高校体罰事案は、体罰を指導的体罰と容認・許容する固定観念、桜宮高校の伝統意識、仲間意識の教育ムラ社会を橋下手法で撃破し抜本的な教育改革できるかで橋下市長の人間力が試されているのです。
ただ、橋下市長の取り組み方向性・姿勢は理解できるが、誤解され易い軽率な発言はエネルギーを浪費していますね。

大阪市立桜宮高校のバスケットボール部主将が体罰を受けた翌日に自殺した事案は、体罰起因で自殺させた現場責任、体罰を許容してきた組織責任が問われないまま、体罰問題が入試中止是非問題に変容し、現場改革案もなく、看板を架け替えた教育委員会事務局策定の入試案を、教育委員会を恫喝してきた行政責任者の橋下市長が「素晴らしい決定」と称賛するのに違和感を感じました。
自殺した遺族は、息子の自殺を無下にされたくない思いで、息子の自殺から1ヶ月経過した月命日の23日に、顧問を暴行容疑で告訴したのでしょうね。

当方の桜宮高校体罰事案での第一印象は、メディア対応の遺族の感情を抑えた冷静さです。
息子が体罰を受け続け、主将として自信喪失の告白を受け、家族は、自分の気持ちを手紙にしたためることを助言し、息子の作成したレターの内容では、仲間が顧問から体罰されると言われ、息子は手紙を出さず、顧問には「主将失格ですか?」と問うと、また、顧問から体罰を受け、自殺に追い込まれた事態なのに、遺族の冷静さが印象に残りました。
また、ワイドショー番組で、腫れた息子の死顔を見た顧問に、母親が「これは体罰ですか」と質すと、顧問は、「暴行です」と言い、「主将として発奮させるためにたたいた」と弁明があった場面の記憶があります。
当方が息子の親であれば、「息子は学校に殺された」という思いになり、「顧問に、息子の命を奪ったのはおまえだー」「責任者を出せ!」と学校に怒鳴り込みしましたね。

当方は、遺族は、体罰で息子は殺されたという憤りと親として息子の苦悩・苦境から救えなかった無念の思いがあったが、当事者、組織責任者が非を認め謝罪したことで、息子の死が浮かばれるまでは事を大きくさせない心情があったと想像でき、まして、当事者がTVドラマのモデルにもなった某有名ラグビー選手の娘婿でもあり、息子の自殺を契機に、息子が希望し入学した桜宮高校から体罰がなくなり、受験生の親が安心して子供を桜宮高校に預けることが出来る目処がつくまでは、自重しようという思いがあったと推察していました。

想像ですが、橋下市長は、遺族との面会で、遺族からは息子の自殺は行きすぎた体罰が起因であるが当事者個人も学校関係者もその非を認め謝罪があったので、とりあえず、しばらくは事(告訴する)を大きくすることは自重するが、二度と体罰による自殺が起きないように学校側に善後策をお願いしたことを聞き、橋下市長にも、その旨を要請され、応諾したと推察します。
本来なら、遺族の意向を聞いた教育委員会は、遺族の意向を真摯に受け止め、客観的な実態調査をし、自省の上で体罰は絶対的悪とするの新たな教育方針を明示し、桜宮高校を人事面を含め抜本的改革を公言すべきですが、教育委員会は、仲間から悪者を作らない身内意識の教育ムラ社会風土で、問題意識があったが抜本的改革の取り組みは緩慢としか思えないのです。

他方、橋下市長は本ブログでも紹介したが、現行の教育制度には批判的ですが、自分もラグビー部に所属したこともあり、指導的体罰には寛容で、当初は、桜宮高校の体罰問題は、桜宮高校個別の暴行行為という限定的な問題意識の意見でした。
その後、元巨人の桑田選手の話に接して指導的体罰は誤った固定観念だったと宗旨変えし、遺族から息子の死を無駄死にいないで欲しいとの要請を受け、橋下市長は、遺族の思い実現に、桜宮高校の抜本改革を目指し、全力で立ち向かうことなったのでしょう。

橋下市長については、本ブログで、
”「橋下徹氏は、法律に抵触しなければ何でもやるドライさ、利用できる物はなんでも利用する利口さ、一旦公言しても形勢不利と思えば方向転換する機敏さ、特徴的な例えで説得する機知さ、高圧的な言い回しで相手の本音を出させるテクニックのうまさなど特徴点はあるが、一番のすごさは、目標設定を明確にし、その実現に権限を手中するために組織力(政治力)を形成する戦略性でしょうね。」”
と書き、その政治手法は現実主義で、目標設定を明示し、高圧的であろうが目標実現に全力投入することです。

橋下市長の目指す抜本改革は、第一弾が入試入試、体育科顧問全異動の要求であり、教育委員会が難色を示せば、恫喝めいた予算執行停止をちらつかせ、受験生、在校生の批判には現行での受験生受け入れは行政を預かる人間の責任放棄とし、頑なに妥協せず教育委員会に改革を促し、結果的には、折衷的な入試案になる。
遺族は、折衷入試案の決定を見届けて、息子の自殺死の憤りがあり、1ヶ月経過した月命日の23日に、顧問を暴行容疑で刑事告訴したのでしょうね。
遺族と橋下市長との間で、息子の月命日までに、自殺死を無下にしないと何らかの抜本改革に目処を就けると約束があったのではないかと憶測できます。

決定した折衷入試案については、傍観者には橋下市長と教育委員会の妥協産物の中途半端な案に思えるが、橋下市長にとっては、教育・独立性という錦の御旗を掲げる仲間意識の教育ムラ社会は頑強な障壁であり、高圧的に恫喝し抜本改革を約束させることが精一杯だったと思われますね。
大阪教育委員会は、通常は、6名の教育委員が月2回(毎月第2及び第4火曜日の午前9時30分から開催)であり、手足は大阪市各課の職員で構成されており、遺族の意向を速やかに対応できる陣容はなく、橋下市長は焦燥感にかられ、高圧的に恫喝したと想像します。

折衷入試案が決定後、橋下市長が「桜宮高等学校における入試について」、長谷川教育委員長が「教育委員長からのメッセージ」を発していますが、抜本改革への取り組みの温度差が見えてきますね。

ただ、橋本市長の思いは理解できるが、看板を架け替えの印象を持たせるた教育委員会事務局策定の折衷入試案を、教育委員会を恫喝してきた橋下市長が「素晴らしい決定」と称賛するのに違和感を感じました。

もし、遺族の意向が当方の想像であり、入試案決定後のメッセージ内容であれば、橋下市長は、
”「自殺者を出したことは、入試云々より重く、自殺者を出したことは、自分の責任でもあり、教育委員会の責任があり、桜宮高校も責任があり、生徒の自殺死を無下にせずに、新学期までに、体罰は絶対悪とする教育方針を策定し、新たな教育環境を整備することを関係部門とともに責任を果たすことを約束する。
よって、表面的には看板換えの入試案に見えるが、桜宮高校が新たな伝統へのスタートとしたい
。」”
とぐらいが言えなかったか思うし、「素晴らしい決定」は説明不足であり、独りよがりの誤解を与える発言ですね。

よって、朝日新聞の24日の社説「桜宮入試中止―わかりにくい折衷案だ 」ではないが、誤解されるのです。

マアー、どちらにしても、受験者、在校生らが納得する桜宮高校の抜本改革ができるかどうかは、橋下市長の真価が問われる事案であるが、誤解されやすい橋下流の政治手法は無駄にエネルギーを浪費するだけですね。

「追記」

桜宮高校体罰事件に関して、当方が共感するのは、弁護士の宮武嶺氏のブログ「桜宮高校の体罰事件を解きほぐす」ですね。
当初から、速やかな「公正な調査と厳正な処分」がなく、体罰事件が入試問題に変容してゆき、遺族は冷静にいられるナーと思っておりました。
遺族の「息子は学校側に殺された」の憤りと「息子を救えなかった」の無念さは、「公正な調査と厳正な処分」と「体罰は絶対悪という教育改革」を学校側が速やかに実行しなければおさまらないと思っていました。





コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。