傍観者の独り言

団塊世代で、民間企業で「チンタラ・グウタラ」に過ごした人間の手前勝手な気儘な戯言・放言。

朝日新聞の記事「孤族の国」・・・我が身も同じ心境

2011-01-04 04:18:51 | 社会保障

朝日新聞の政治的な偏向姿勢には、次回の契約更新時に購読中止を思慮中であるが、連載記事「孤族の国」の老親の介護の問題は、我が身も同類的な環境であり、共感しますね。

朝日新聞が、昨年末から、
”「単身世帯の急増と同時に、日本は超高齢化と多死の時代を迎える。それに格差、貧困が加わり、人々の「生」のあり方は、かつてないほど揺れ動いている。たとえ、家族がいたとしても、孤立は忍び寄る。
個を求め、孤に向き合う。そんな私たちのことを「孤族」と呼びたい。家族から、「孤族」へ、新しい生き方と社会の仕組みを求めてさまよう、この国。
孤族」の時代が始まる。
」”
という問題提起し、「孤族の国」連載スタート。

当方が、共感した記事『少女のような目の母と 「孤族の国」男たち』で、寝たきりの要介護4の94歳の老母を世話する自営業の66歳の男性の話とアルツハイマー型認知症を患う82歳、要介護3の母を介護する51歳の無職の独身男性の話ですね。

本ブログ「介護は、老人も働き手の家族も深刻の問題を内在!・・・高齢少子社会の歪」で、当方も要介護3の認知症の90歳の老母の世話に終日の時間を割いているとし、
”「『働き盛りのビジネスマンを襲う 本当に怖い病気』で現役の働き手が親の介護に、時間を割かれ、介護疲れで、不眠症を患い、仕事が疎かになった指摘です。
核家族の高齢少子社会の現下では、施設介護は質量に限界であり、在宅介護では、家族犠牲が深刻で、老人介護は、老人だけの「老老・認認介護」問題だけでなく、現役世代の問題でもあり、日本全体の社会問題なのです
。」”
と書きました。

当方の場合、団塊世代であり、現役引退し、時間的な自由度があり、24時間、老母の世話に時間を割くことは、宿命と思えば耐えられるが、幻想・幻覚の症状には、我慢も限界の域に達することが多々ありますね。
朝日新聞の記事「アルツハイマー型認知症を患う82歳、要介護3の母を介護する51歳の無職の独身男性の話」には、共感する思いです。

記事では、
”「残業を終えて帰宅すると、母は出走直前の競走馬のような目をしていた。明け方まで続く徘徊の前兆だ。「向こうに行ってろっ」。思わず頭をたたくと、みるみるうちに白髪が鮮血に染まった」”
との書き出しで、『母は出走直前の競走馬のような目をしていた。明け方まで続く徘徊の前兆だ』の表現は、その通りと思いましたね。
当方の老母も、幻想・幻覚症状は常態化し、過去と現在が錯綜し固執し、何か調子で、「自分の家がわからなくなり、自分の家に帰ると言い出す」時の表情は、目つきが座った状態になり、二重鍵で戸締りしているが玄関ドアを叩き続けますね。
衝動的に手が出るのを押さえるのに、苦労します。

当方の場合には、団塊世代で、時間的な自由度もあり、老母にも共済年金があり、経済的な負担が軽微ですが、現役世代が老親の介護で、生活の基盤を損なうことは深刻な問題です。
TV番組で、自然の中で、4世代家族の取り上げていたが、人間、自然と身近な生涯現役の大家族が理想ではないかと思いましたね。
マアー、当方には、俗に言う「ピンピンコロリ」が理想ですね。

朝日新聞の記事の、単身世帯の急増に、超高齢化に、格差・貧困が加わり、家族から「孤族」への、新しい生き方と社会の仕組みを求めてさまよう、「孤族」の時代の始まりという提起には、現実を直視した考察と思うが、それを容認する社会は遠慮したい。

年明けの最初のブログが悩ましい事柄であり、今年も我慢・我慢・我慢の年になりそうです。



コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。