傍観者の独り言

団塊世代で、民間企業で「チンタラ・グウタラ」に過ごした人間の手前勝手な気儘な戯言・放言。

高齢者の終末・・・長生きは社会のお荷物?(NO 2)

2013-02-12 07:54:25 | 社会保障

現在、認知症の老母(92歳)の終末期医療の問題を抱え在宅看護で看取るか検討中であるが、団塊世代の当方にも近い将来に直面する介護・看護・看取り問題は身近な問題で、高齢者の終末については関心事です。

高齢者の終末に関して、NHKの番組「クローズアップ現代」で、2012年5月17日放送の『人生の最期 どう迎える? ~岐路に立つ延命医療~』の番組紹介は、
”「 今年3月、日本老年医学会は「患者本人のためにならない場合には治療の差し控えや撤退も選択肢」とするガイドラインを発表した。特に議論となっているのは食べられなくなった患者のお腹に穴を開け、胃に直接栄養を流し込む「胃ろう」。寝たきりで意思表示もできないまま何年も生きる患者を前に、「本人は生きることを本当に望んでいるのか?」と悩み、胃ろうの中止を希望する家族が出てきている。患者本人の意思を確認できない中で、医師や看護師は患者の人生や家族の願いにどう寄り添えばいいのか。模索する現場を取材し、変容する終末期医療の現状と課題を探る。」”
で、全文テキストで、高齢者の終末期医療の経管栄養(胃ろう)を取り上げ、経管栄養の中止への家族の苦悩を取り上げていました。
当方は、この番組を視聴し、本ブログ「延命医療(胃ろう)の中止も選択肢・・・「ピンピンコロリ」が現実解」で、”「人間の尊厳云々は否定しないが、核家族の時代に、その余裕がないのが現実ではないかという思いで、「ピンピンコロリ」が現実解と思うこの頃」”と書きました。


2012年5月29日放送の『もう病院で死ねない ~医療費抑制の波紋~』の番組紹介は、
”「団塊世代の高齢化が始まった日本。現在、死亡する人の数は年間120万人だが、18年後の2030年には160万人へと急増。「多死」の時代が到来する。こうした中、国は「社会保障と税の一体改革」で「施設から在宅へ」という方針を加速させた。平均在院日数を減らし、在宅医療を推進することで、医療・介護費を抑制しようというのだ。しかしNHKの取材で、介護をしてくれる家族のいない一人暮らしや夫婦二人暮らしの高齢者までも、自宅へ戻されていることがわかった。そこには公的な介護サービスも十分に受けられず、自宅で悲惨な最期を迎えなくてはならないという厳しい現実がある。番組では苦悩する医療現場と高齢者に密着取材し、超高齢社会の中での新たな課題に迫る。」”
で、全文テキストで、医療・介護費の抑制で在宅介護・看護の推進による歪を取り上げていました。


2012年11月22日放送の『”帰れない”認知症高齢者 急増する精神科入院』の番組紹介は、
”「介護が必要な認知症の高齢者が300万人を超える中、精神科病院への入院が急増している。その数は全国で5万2000人、12年前の2倍近くになっている。暴力や暴言、妄想などの症状が悪化し、家族や介護施設のスタッフが対応し切れなくなった上での選択だが、症状が改善した後も、家族や施設側が受け入れることができず、入院が長期化、社会的入院が広がっているのだ。さらに、刺激のない入院生活が長く続く中で、認知機能や身体機能が低下するなど、様々な問題が起きている。こうした中、精神科病院が早い段階から本人と家族を支援することで、入院そのものを減らそうという模索が始まっている。増え続ける認知症高齢者をどう支えるのか考える。」”
で、全文テキストで、認知症高齢者の暴力・暴言・徘徊・妄想のBPSD(行動・心理症状)が悪化し精神科入院が急増現場を紹介し、症状の改善後も家族・施設が受け入れが難航し長期社会的入院が増加している現実を取り上げていました。

当方の場合には、父親は認知症状はなかったが母親は認知症になり、徘徊・妄想症状があったが軽度で介護負担は感じなかったが、しかしながら、妄想で思い込んだら固執し何回も言い含めても納得(理解したふり)せずに繰り返す言動にはイラツキました。
当方が母親を特養入所を決断した最大の理由は、固執する異常行動を抑制への衝動的暴力行為の回避でした。
番組で紹介した認知症の父親の暴力行動は、母親、娘では抑制は不可能であり、恐れおののくはわかり、当方も近い将来に番組の父親になる可能性もあり、ピンピンコロリ願望が強くなりましたね。

NHKの番組「特報首都圏」で、2012年9月21日放送の『急増300万人 追い詰められる 認知症高齢者』の番組紹介は、
”「認知症の高齢者が、想定より10年以上も早く、300万人を超えた。

すさまじい勢いで増える認知症。現場を取材していると、認知症の高齢者とその家族がこれまで以上になく追い詰められ、日常生活がままならない状態にある人が多いことが分かってきた。
東京都内の集合住宅。高齢化が進むこの団地では、認知症の高齢者が、徘徊したり、ゴミ出しができない、火の不安、などが後を絶たない。一人暮らしの認知症の高齢者も。様々な理由から介護保険のサービスを十分に受けられず困難さが増すケースも。
さらに在宅で生活が難しい高齢者の入る施設も多くが満床、自宅から遠い施設を渡り続けるケースも増え、症状がより進んでしまうことも。高齢者週間の『世界アルツハイマーデイ』に認知症の実態を見つめ考えた
。 」”
です。

番組では、老老介護で、暴言を吐く認知症の夫を介護する妻の苦悩・苦痛を紹介しており、認知症高齢者を受け入れ施設は限定的であり、また、低収入で公的施設(特養、グループホーム、老人保健施設)に預けることもままならず、我慢・我慢の妻の姿は強烈な印象で、老老介護・老認介護は限界と思いましたね。
遠方の施設に入居中の世田谷からの女性が”「さみしいです。それはそれはさみしいです。」の涙声には直視できませんでした。

母親が入所した特養は12居室を1グループのユニット型で認知症高齢者も入所可能であるが、入居させて判ったことは、自分で自由な時間を費やす事が出来る身体的ハンディのある高齢者には特養は適合できるが、1人でも認知症入居者がいると特養現場の負担が大きく、認知症高齢者の入所を特養側が難渋するのは理解でき、グループホームが急増する必然性があるのです。
また、入所の認知症高齢者には、不適な部分があり、特養で時間を持て余している老母への面会の都度、”「連れて帰れ!」”、”「私も家に帰るから」””「家に帰りたい」”と言われ返答に窮していました。
NHKの番組での女性の涙声での”「さみしいです。それはそれはさみしいです。」”に接して、老母を引き取り在宅介護しようかと思った次第です。

過去には、「老いては子に従う」という風潮があったと思うが、当方もそうですが、親は子供に負担を掛けたくないという思いがあり、施設でお世話になり老後を過ごすことにも抵抗感があり、老母の終末期医療の問題はあるが自分の老後・終末も切実な問題です。



コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。