銀ステ根なし草

銀のステッキ旅行・スタッフの雑記帳

イチローとブロードウェイ

2009年07月10日 | のほほん同志Aの日常
添乗員として海外を飛び回っていたころに、お客さまからよく聞かれた質問。
「仕事じゃなくて海外に行くとしたら、どこに一番行きたい?」

私の答えは、いつも決まっていました。
「シアトルのセーフコ・フィールドで、イチローの晴れ姿を見たいです!」

実は、イチロー選手には特別な思い入れがあります。
例えるならば、ご近所の憧れのお兄さん。

イチローがまだ、神戸を本拠地とする
オリックス・ブルーウェーブ(現オリックス・バファローズ)にいた頃。
通っていた自動車教習所のすぐ隣が、オリックスの独身寮でした。
大ファンだった友人にせがまれて、一緒にイチロー選手の出待ちをしたことも。
時は1994年。
イチローが日本球界史上初のシーズン200本安打を達成し、ブームに火がついたころ。
寮のまわりでは、百人近い女の子がプレゼントを握りしめて殺気だっていました…。


阪神淡路大震災のあった1995年につづいて、翌1996年。
暗いニュースに覆われた神戸の街で、
オリックスの選手は「がんばろうKOBE」と肩に縫いつけたユニフォームを着て、
2年連続のリーグ優勝をはたします。

そして10月24日、3勝1敗で迎えた長嶋巨人との日本シリーズ。
本当は阪神ファンのうちの家族もにわかオリックス・ファンとなり、一家そろって球場へ。
学校を休んで朝から並んで、やっと手にした切符です。

――地元神戸での日本一、感動的でした。
仰木監督が胴上げされています。
あ、イチローもジャンプして喜んでいる…。

大歓声をバックに、次々と放物線を描いて投げこまれる紙テープの花。
私もあわてて、用意していた紙テープを投げました。
ところが…。

紙テープにも正しい投げ方があるんですね。
ちゃんと、テープの端っこを持ったまま投げないといけない。

何も考えず、喜びあまってポーンと放り投げた紙テープは
円形を保ったままピューンと飛んでいき、
はるか前方の観衆のなかへと吸いこまれていきました。

そんな(どんな?)思い出があるものだから、
世界の大舞台で活躍しているイチローを、あの時と同じようにこの目で見て
「あー、立派になって…」 と思ってみたい。それが長年の夢。

だから今、もし自分自身のために旅を企画するとしたら。
シアトルでイチローを見て、そのあとNYのブロードウェイで芝居三昧、でしょうか。
ホテルはシンプルで快適ならOK。
食事は自分で勝手に食べるし、添乗員も当然いらない。

もしこんな企画があれば、なんとかスケジュールを都合してでも申し込むでしょう。
でも実際には、こんなツアーはなかなかありません。
なぜならシアトルとNYなんてえらく離れてるし、テーマも一見ばらばらだし、
つまりは、これまでのツアーの作り方からすると邪道。
平たく言うと、わざわざアメリカの東海岸と西海岸を往復して、
イチローと芝居だけ見て帰るなんてツアーは集客できない!
…と上司から判断されてしまう。

実は、一般的な旅行会社の企画と、銀のステッキ旅行の企画で一番違うのがこの部分。
前者は、不特定多数の最大公約数をねらって企画・募集する一方通行型。
後者は、特定のお客さまのリクエストをもとに、肉付けして企画する双方向型。

私のイチローじゃないけれど、
超個人的な思い入れからきた風変わりなリクエストも多いんだろうな。

…でも、面白そう。

今では、はるか手の届かない遠くに行ってしまった
イチローの大活躍を伝える夜のスポーツニュースを見ながら、
なんだかわくわくしてきました。




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