城郭都市設計史 14

2016年01月16日 | 湖と城郭都市

 

 

 

【中世の彦根 6】 

● 佐々木道誉と勝楽寺

彦根市の中心部から車で走ればものの二〇分、南に水田
広がり、北には鈴鹿山系で形成しているとはいえ小高
い山を
控えた静かな田園地が、農地の潅漑用水を犬上川
の伏流水
の清冽な水のせせらぎを右に見て、小高い山に
向って爪
先上りの砂利道を進むと、杉や檜、そして黒松
の森に囲まれた切妻造りの四
脚門が視野に入る。これが
佐々本道俗終焉の甲良荘勝楽寺である。

約七〇〇年前の永年四年(1296)、滋賀県坂田郡山
東町清滝に生を享けた道誉は、四一歳のとき、現在の甲
良町勝楽寺に移住し、ここに城を築き、元弘三年(13
33)鎌倉幕府滅亡と南北朝・足利尊氏の室町幕府擁立
に大きく関わり、その知将として活躍した異色の武将で
ある。

ところで京極家は鎌倉幕府執権北条高時の側近として仕
え重用されるが、足利雄氏が後醍醐天皇(南朝)に応じ
て違式元年(1334)鎌倉の北条に兵を挙げるや道誉
は、尊氏に就く。以後道誉は足列氏に仕え天下泰平の道
を選び、彼の手腕を限りなく発揮する。


足元二年(違式四年(1337)道俗は、父祖の地伊吹
山麓の柏原を捨てて、甲良の勝楽寺に根拠を定める。甲
良への移住は、京都の事変に直ぐに応えることができる
地としたためで、この周囲には難攻不落の佐和山城(彦
根)や大軍移動に困難とする中山道の摺針峠(彦根)を
越えなければならない柏原より、遥かに理にかなってい
る。そのうえ勝楽寺城は、城攻めには険しく、さらに、
前衛本隊を甲良の中心尼子在に置き、左右の多賀、河瀬
に攻撃型の前進部隊を配することにより戦闘体制に適し
た地でもあることが考えられる。道誉はこれ以後、七八
歳(文中二年(1373))に没するまで足利幕府の要
人として勝楽寺を根拠にして活躍する。

道誉は、いっぽうバサラ大名の筆頭に数えられる。この
バサラ(婆沙羅)とは、室町時代の流行語で、遠慮なく
振舞い、派手で、そのうえ傍若無人なことを言う。道誉
はドンチャン騒ぎを好み、自由奔放で、バサラ人名の典
型といわれる。なかでも京都の妙法院事件は有名――道
誉の部下がこの寺院の紅葉の見事さに、思わずその枝を
析ったところ門主に見つかり、部下は山法師に痛めつけ
られる。この報告を受けた道誉は、「わが人道の配下に
手向かうとは、片腹痛し。」と自ら二百合騎を率いて妙
法院に火を放ったのです。これは道誉の既成の権威に対
する凄まじいまでの反骨心であるす。

しかし、道誉は決して無節操に傍若無人の振舞いをして
いたのではない。一見、野放図に見えながら内乱期を通
じての遊誉の行動には、実は一本の筋が通っている。そ
れは、足利尊氏に対する強い忠誠心であり、また、この
日本人離れした人物、道誉は日本の古典芸術、茶道、華
道、能楽、連歌など出発点としての奥義を極めている。

二条良基による歌集の最初の連歌撰集である「菟玖波集」
には、遠征の八十ー首が入り、彼の非凡さが伺える。「
茶」の世界で道征が選んだ茶器珍器の中には、近世にな
って伍長や秀吉、また茶道の宗匠たちによって受け継が
れた大名器があることも道征の審美眼の高さを物語って
いる。

また、中世芸能の最も華やかなものに能楽と狂言がある。
道誉は早くから猿楽能の保護者で、特に近江猿楽には道
阿などを支援し、歌舞の神秘さと幽玄さを特色とする高
踏的な芸風を育てる。狂言の世界は、猿に始まり狐に終
わるといわれる。「釣狐」の演技はまさに秘曲に値し、
その自蔵主狐の伝説が勝楽寺に伝承され、狐塚も残り、
道誉との深い関係が伺われる。バサラ大名道誉は、後世
日本の元祖といわれる教養文化人でもある。

山門を潜ると正面に人母屋造りの本堂が追ってくるよう
に建っている
。屋根の棟は高く、その屋根は藁葺き屋根
で、現在は亜鉛鍍波形鉄板で覆いをして、茶色に着色塗
装をしている。裏山の縁にひときわ人の眼をひが、周囲
の自然景観にあまりにも対比しているかのようである。

※ 勝楽寺 滋賀県犬上郡甲良町大字勝楽寺四 
    0749-38-2014
 

勝楽寺は犬上郡甲良町にある正楽寺山の西麓に位置する
寺院す。創建は南北朝期の武将である京極高氏(法名道
誉)によるもので、京都東福寺の雲海正意を招聘して開
山したと伝えられている。現在は臨済宗の寺院。京極高
氏は近江に本拠地を置く佐々木京極家の第4代目。最初
は鎌倉・幕府最後の執権北条高時に仕えていたが、足利
尊氏らとともに後醍醐天皇側へ転じ倒幕に活躍。建武の
新政の崩壊後は足利尊氏に従って北朝方に付き、室町幕
府創設に助力し幕府の実力者として要職を勤める。一時
は近江を始め5カ国の守護に任じられ、佐々木氏の宗家
の六角氏を凌駕する。

● 楢崎古墳群

楢崎古墳群は、犬上川左岸扇状地に分布する古墳群。平
成6~11年
度のほ場整備事業に伴う発掘調査により、
古墳時代後期の 61 基の古墳が 確認されました。発掘さ
れた古墳は、ほとんどが円墳で、その規模は直径4m~
200m程度。石室からは鉄製 の武具、工具、馬具など
が出土している。そのうち、直径20m 程度に復元で
る。
号墳は、この地の開拓に主導的な役割を果たした
有力豪族の墓と推定されている。

● 水沼荘と大門池

水沼荘は、天平勝宝3年 (751)、聖武天皇によって東大
寺に施入(
ぜにゅう)された荘園。正倉院には東大寺領
の荘園絵図が13面残されているが、その中に水沼荘の
絵図も含まれ、水沼荘の位置や景観についての貴重な情
報で源ある。それによると水沼荘の範囲は、犬上郡条里
の十条一里・十条二里・十一条一里にまたがり、現在の
多賀町敏満 寺周辺にあたる。絵図には「水沼村」と記
され、中世
は水沼荘の東側に水沼池が描かれていますが、
これは現在敏満寺集落の南にある大門池と推測されてい
る。

● 敏満寺

敏満寺は、現在の名神高速道路多賀サービスエリア周辺
に存在した寺院。平安末から記録に現れ、鎌倉末には巨
大な本堂や30棟を超える諸 堂が建ち並ぶ大寺院ある。
また奈良東大寺の再建を進めていた
俊乗坊重源とも関係
し、重源が敏満寺に仏舎利を寄進したことが
記した寄進
状が存在する。しかし、戦国時代に入ると永禄5年 (1
560) 浅井長政の攻撃を受けて堂塔が焼失し、元亀3
年 (1572)、織田信長の攻撃を受け、寺領を失い、

胡宮神社と寺坊の福寿院を残して廃絶する。昭和32年
(1967) にはじまる名神高速道路の建設に伴い敏満
寺遺跡の発掘調査が行われ、以後数度にわたって多賀サ
ービスエリア周辺で発掘調査が行われる。最初に行われ
た昭和34年 (1959) の調査では、現在の 高速道
路の下から仁王門と推定される建物礎石が見つかったこ
とから、高速道路に沿うように参道が延びていたと推定
されている。

● 
胡宮神社と平清盛御落胤伝説 

祭神は伊邪那岐命・伊邪那美命。創立年代は不明、元徳
3年 (1331)成立と考えられる敏満寺の堂塔鎮守目
録(胡宮神社文書)に「木宮両社、拝 殿九間」と記さ
れており、中世には敏満寺の鎮守社である。16世紀末
敏満寺は兵火にあって焼失。胡宮神社は塔頭福寿院を別
当として存続する。敏満寺滅亡後、寺宝の多くは胡宮神
社に移す。

神社に伝わる古文書の中に仏舎利相承図があり、これは
白河上皇の所持していた舎利が敏満寺に寄進される
まで
の流れを記したものに興味深い記述が見られる。舎利

白河上皇から寵愛する祗園女御へと譲られるが、その祗
園女御に妹
がいたことが記されており、「被召于院懐妊
之後、刑部卿忠盛賜之、 為忠盛之子息、云清盛、仍不号
宮矣」とあり、白河院に召され、 懐妊の後、平忠盛に与
えられ、生まれた子は忠盛の子として清盛と名付けら

たという。平清盛について白河上皇の御落胤であるとい
う説があ
り、清盛の異例ともいえる出世の早さはそうし
背景にあるとされる。


【エピソード】       

             

     

        16年度新年会(案内) 

日時 2月13日(土)
開宴 18:00~20:00まで 
場所 彦根市内西今町『水幸亭』050-5871-1454
会費 寿司懐石+放題酒代1・2千円)
送迎 送迎バス:現在時点 JR駅西口(彦根城)側
   前 17:45に集合してください。

   その他で送迎希望者があれば今月末までに幹事
   までご連絡下さい。
                     
幹事敬白   

    

 

 

 【脚注及びリンク】
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  1. 中山道 高宮宿場町|彦根市
  2. 高宮町史 自費出版デジタル
  3. 江佐尚白:生年不詳~享保7年(1722)7月19日
  4. 旧中山道六十九次徒歩の旅53/鳥居本~64高
    宮宿/紀行写真集3
  5. いのちの神様 多賀大社
  6. 歴史まちづくりの特性の見方・読み方 国土技術
    政策総合研究所 2013.04.11
  7. 「地域資源・交通拠点等のネットワーク化による
    国際観光振興方策に関する研究」国土技術政策総
    合研究所 プロジェクト研究報告 2008.05.21
  8. 「歴史まちづくりのてびき(案)」ISSN 1346-73
    28 2013.11.13
  9. 近江百人一首  滋賀県立近代美術館
  10. 近江百人一首 滋賀県文化振興事業団∥編集 滋賀
    県教育委員会 1993年 S-9100- 93 p.14
  11. 淡海万葉の世界 藤井五郎∥著 サンライズ出版
    2000年 S-9100- 00 p.233
  12. 萬葉の近江 滋賀アララギ会∥編 白川書院 1971年
    S-9100- 71 p.200
  13. 滋賀文化のススメ
  14. The Neckar river near Heidelberg  Wipipedia
  15. ラウフェン・アム・ネッカー Wipipedia
  16. 彦根巡礼街道
  17. 朝鮮人街道 Wikipedia
  18. 彦根市の概況 - 学芸出版社
  19. 「続・城と湖のまち彦根-歴史と伝統、そして-」中
    島一 
    サンライズ印刷出版部  2002.9.20
  20. 中島一元彦根市長 Wikipedia
  21. ドイツ:ニュルティンゲン市「市民による自治体
    コンテスト1位のまち(1)」 池田憲昭
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    府経済社会総合研究所
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    ッカー川 吉岡 嶺二 2012.12.07
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  37. バーデンヴェルテンベルク州&バイエルン州観光
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  38. 近江佐和山城・彦根城 城郭談話会編 サンライズ
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  39. 阿自岐(あじき)神社 豊郷町
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  41. 城郭都市 Wipipedia
  42. ハイデルベルグ Wikipedia
  43. 田附城(田付城) 近江国(彦根)
  44. 荒神山古墳現地説明会 開催要項(案)彦根市
  45. 三島由紀夫の十代の詩を読み解く21:詩論とし
    ての『
    絹と明察』(4):ヘルダーリンの『帰郷
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  51. 三ツ屋城 近江国(彦根)
  52. 「清涼寺・七不思議 」/『日本伝承大鑑』
  53. 曹洞宗 清涼寺(せいりょうじ) 
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  55. カルカソンヌ、仏蘭西南部都市、Wikipedia
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  58. 万里の長城 世界史の窓  
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  66. 猿蓑 Wikipedia
  67. 佐和山城 彦根市民の飲み水を守る会
  68. 石田 正継 Wikipedia
  69. 佐和山城跡の公式パンフレット 彦根観光協会
  70. 彦根藩並近郷往古聞書
  71. 彦根古図部分(滋賀大学経済学部附属資料館所蔵)
  72. 井伊家年譜
  73. 佐和山藩 Wikipedia  
  74. 丹羽長秀 Wikipedia  
  75. 『新修彦根市史』の紹介 | 彦根市
  76. 彦根古図略図 彦根市
  77. 金亀山彦根寺の観音堂 ―近江西国第14番 金亀山
    北野寺とも
  78. 淡海文庫 44 「近江が生んだ知将 石田三成」 太田
    浩司 サンライズ出版
  79. 佐和山城 [5/5] 大手口跡は荒れ放題。現存する移築
    大手門は必見 | 城めぐりチャンネル
  80. 中井均 『近江佐和山城・彦根城』サンライズ出版2007
  81. 滋賀県彦根市 専宗寺 JAPAN-GEOGRAPHIC.TV
  82. 彦根御山絵図 彦根三根往古絵図など古絵図デジタル
    ・アーカイブ化に、彦根市立図書館  2012.05.27
     
  83. 稲村神社春季例大祭 太鼓登山
  84. 「近世初期有力農民の社会関係-近江国愛知郡下平
    流村山田庄兵新家を素材に」 渡辺恒一  2013.06.13
  85. 「湖東地域における複数村落による 神社祭祀」 市川
    秀幸 2015.03.27
     
  86. 三島由紀夫の十代の詩を読み解く18:詩論としての『
    絹と明察』(1)~(7) 詩文楽-Shibunraku
  87. 荒神山神社 公式ホームページ 
  88. 甘呂城と川瀬氏「わたしの町戦国 06」 彦根市
  89. 山崎山城跡「わたしの町戦国」彦根市
  90. 甘呂神社 滋賀県神社庁
  91. 西国の山城: 勝楽寺・勝楽寺城
  92. 日本の香りの歴史|香り花房 [ 香りが学べる香り
    の教室]
  93. 佐々木道誉の足跡と平清盛御落胤伝説を訪ねて

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