城郭都市設計史 15

2016年01月21日 | 湖と城郭都市

 

 

 

 

 

肥田城の水攻めと野良田表合戦

肥田町崇徳寺に、延享三年(1764)に旧記から転記し
たと思われる過去帳と、そ
れをもとに作成したと考えられ
る高野瀬家系図があり、これらによりますと、高野瀬
氏は、
鎌倉期以降高野瀬村から身を興し、Tハ歳の隆益にみられ
るように永久の乱に出
陣して戦功をたて、信景のように、
荘園の代官を務めながら所領を増やし、高野瀬村、肥
田村
に館を建て、土豪-その土地の豪族。国人-在地の武士-
として勢力を強めていく


室町期になると、守護職である佐々木六角氏と主従関係を
結ぶ。こ
の佐々木氏の命を受けて肥田に築城する頃は、武
術に優れた武将として、佐々木四八将の
一員に列せられ、
さらに従五位下越州勅史という官位も得るようになる。

ころで、足利幕府は、幕府の有力な家来である守護が国内
の土豪、国人などの武士を
封建的主従関係を組む道をつく
る。文和元年(1352)、畿内および近江、尾張、
美濃
の八か国の荘園について、その年の年貢の半分を兵糧とし
て徴収する「半済」の権利
を守護に許す。守護はそのうち
の一部を自分がとり、大部分は国内の武士に配分
。一年限
りであったこの処置は、毎年繰りかえされ、守護は事実上、
荘園の半分の土地を支配するようになりました。この過程
で、高野瀬氏は、守護佐々木六角氏のもとに組み込まれた
ものと考えられている。

ところで、宇曽川中流に位置し、それによる沖積地の肥田
は、東に中山道、西に下街道-浜街道、朝鮮人街道とも呼
ばれる-があり、農耕と舟運に至極恵まれたこの地に菩提
寺をもつ目枝の庄の土崇高野瀬氏は、肥田城とその城下町
として整備にとりかかる。この城は藩簸として――入り口
の護り――また守護六角氏の出城として、15世紀後半か
らよ16紀前半の頃のころと推定。 肥田城は、中世末の
ろと平地に建てられた城館-平城-である。土俵、その家
臣の屋形が独立した城塞的要素を備えながら、民家をその
外周に整然と配置し、全体を宇曽川とその堤防、壕と土塁
で囲みこむ、近世城郭への形態をもつ。

                   この項つづく

 

 

 

 

【ヘルダーリン:詩人としての出発を前に】

● 幼少時代

             ヘルダリーンの誕生 

ドイツを南北に縦断するライン何は、ハイデルベルク近郊
で南ドイツから
流れくる一つの支流を迎えている。そのひとつ
がネッカー河で、もうひとつのマイン河と並び重要な役割
を担ってきた河
である。この何を包み容れている地方名称
がシュ
ヴァーベンで、当時のヴュルテンベルク公国に限定
すれば西側に南北にまたが
るシュヴァルツヴァルト(黒い
森)と、その
南端部に接しつつ東北に続く中程度の丘陵山
脈のシュヴァーベン高地との間の三角状の地帯に相当し、
二つの山脈から流れている水脈をひとつに集めたネッカー
河か北方へ縦に貫くように流れ、公国全土の自然を豊かな
瑞々しいものにしてきたのである。これは現在のバー
デン
ーヴュルテンベルク州の地
勢にも一致する。

そのネッカー河がおだやかな傾斜の葡萄畑の陥陵の間を縫
うように流れている河畔の小村ラウフェンに、ヘルダリー
ン、正式名∃ハン=クリスティアン=フリードリヒ=ヘル
ダリーンは、1770年3月20日にヘルダリーン家の長
男として生まれた。父親はハインリヒ=フリードリヒ=ヘ
ルグリーン(1736~72)で、9世紀まで遡る聖女レ
ギスヴィンディス伝説に因む教会に発し、11世紀紀につ
くられごれ1551年まで存続した尼僧院がこの父の勤め
先の前史である。

その尼僧院もすでになく、ヘルダリーン家の建物自体もル
ターの宗教改革以降は新教を公国の国教とするヴュルテン
ベルク公国宗教局に直属し、建物と付属する領地、その土
地L地での葡萄酒販売を含む管理・経常の一切が彼に任さ
れていた。彼は肖像から見ても、実業家の商才を併せ持つ
実直で明朗な人物だったことがうかがえる。

母親のヨハナ=クリスティアーナ=ヘルダリーン(旧姓ハ
イン、1748~1828)も教養の高い牧師の家の出で
実務肌の夫をよく助けはしたが、夫の片腕となって管轄領
地の経営を共にきりまわすというよりは、家庭内が円満に
成り立つように濃やかな気くばりを怠るまいとする気質の
女性だった。ヘルダリーンは貴族の富裕階級ではないが、
公国官吏としての相当恵まれた家の長子として近親者一同
の期待のなかに出生したと言ってよい。



                           第二の父 

そんな赤子の今福が、突然運命の手により断ち切られる。
父が
卒中の発作で倒れにくなってしまったのである。36
歳のあまり
に早い死だった。うら若い母けはまだ23歳、
2年3ヵ月余りのヘ
ルダリーン、1歳3ヵ月の女児、出産
を約1ヵ月後にひかえたお
腹の子が残されたのだ。やがて
彼女は二年後に、ヨハン=クリ
ストスフ=コック(174
8~79)と縁を得て再婚る。亡夫の友人
で有能な官吏だ
った。そして一家はゴックの新しい勤め先の町
、もう少し
南の、ネッカー河畔のニュルティングンに移り住んだ。

ルダリーンはほとんど最初の父ハインリヒの記憶のないま
第二の父を持つことになったわけである。新しい父も弱
冠26歳、2年後にはニュルティングン
の町長になった、
けと同年齢のゴツクにヘルグリーンは実の父の
ようになつ
き、ゴックもまた実の子供のように彼を扱った。クリ
ステ
ィアーネとゴックの間には、4人の子供が年子のように生
れているので、彼女はあわせて7人の子をもうけたこと
になる。
ただ生存したのは詩人の他は、2歳年下のハイン
リーケ(1772~1850、愛称リーケ)と異父弟カー
ル(1776~1849)のみで、他の弟妹はいずれも.

一家の不幸に合わせるように赤子幼児のときに死にしてい
る。生き残ったと名はいずれもそれぞれに生を全うした。
この家にはけのけヨハナ・ロズィーナ(1725~180
2、旧姓ズートア)もやってきた。ゴックの才覚で買い足
した結果、ラウフェン時よりはるかに広く規模にも勝る畑
や果実園に囲まれた大きな家でヘルダリーンは、父や母ら
の情愛を一身に受ける幼年時代を送ることになった。彼の
内部で永く記憶されていた時間と場所である。その時間と
場所は、後の彼の言葉によれば自然だった。それは少年の
彼がどんな仲介も必要とはせずに、自ら名指した神々と戯
れることのできた純粋時間であり同時に純粋空間でもあっ
たからである。その自然は、学業を終え初めて故郷を出て
独立生活を始めた時期に成立の「自然に寄せる」(179
4~95
)で、やがてその喪失が底知れないものとなる源
のびとして次のように表現された。


 わたしがまだおまえのベールに包まれて遊び、
 花がそうするように、まだおまえにびったりと寄り添い、
 わたしの優しくおののく心音を包みこむ
 どの音にもおまえの心の鼓動を感じとったとき、
 わたしがまだおまえと同じくらいに、深く信じる気持ち
 やあこがれで
 いっぱいになり、おまえの姿を前に立ち、
 まだわたしが泣きはらす場所や、
 わたしの愛の世界を見つけていたときには、
 わたしの心が太陽に向かって見開き、太陽がその調べを
 聴きとってくれるかのように感じ、
 星々を我が兄弟と呼び
 春を神のメロディーと呼んだときは、
 森をざわめかせた息吹のなかで
 まだおまえの霊気、おまえの喜びの霊気が
 心の静かなさざ波のなかで生き生きと動いていたときに
 は金色の日々がわたしを抱きしめてくれた。

                  (第
1節~2節)  

※ 日本史上、初めての「水攻め」とされるが本当だろう
  か?

【エピソード】        

              

 

【脚注及びリンク】
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  1. 中山道 高宮宿場町|彦根市
  2. 高宮町史 自費出版デジタル
  3. 江佐尚白:生年不詳~享保7年(1722)7月19日
  4. 旧中山道六十九次徒歩の旅53/鳥居本~64高
    宮宿/紀行写真集3
  5. いのちの神様 多賀大社
  6. 歴史まちづくりの特性の見方・読み方 国土技術
    政策総合研究所 2013.04.11
  7. 「地域資源・交通拠点等のネットワーク化による
    国際観光振興方策に関する研究」国土技術政策総
    合研究所 プロジェクト研究報告 2008.05.21
  8. 「歴史まちづくりのてびき(案)」ISSN 1346-73
    28 2013.11.13
  9. 近江百人一首  滋賀県立近代美術館
  10. 近江百人一首 滋賀県文化振興事業団∥編集 滋賀
    県教育委員会 1993年 S-9100- 93 p.14
  11. 淡海万葉の世界 藤井五郎∥著 サンライズ出版
    2000年 S-9100- 00 p.233
  12. 萬葉の近江 滋賀アララギ会∥編 白川書院 1971年
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  13. 滋賀文化のススメ
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  15. ラウフェン・アム・ネッカー Wipipedia
  16. 彦根巡礼街道
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  76. 彦根古図略図 彦根市
  77. 金亀山彦根寺の観音堂 ―近江西国第14番 金亀山
    北野寺とも
  78. 淡海文庫 44 「近江が生んだ知将 石田三成」 太田
    浩司 サンライズ出版
  79. 佐和山城 [5/5] 大手口跡は荒れ放題。現存する移築
    大手門は必見 | 城めぐりチャンネル
  80. 中井均 『近江佐和山城・彦根城』サンライズ出版2007
  81. 滋賀県彦根市 専宗寺 JAPAN-GEOGRAPHIC.TV
  82. 彦根御山絵図 彦根三根往古絵図など古絵図デジタル
    ・アーカイブ化に、彦根市立図書館  2012.05.27
     
  83. 稲村神社春季例大祭 太鼓登山
  84. 「近世初期有力農民の社会関係-近江国愛知郡下平
    流村山田庄兵新家を素材に」 渡辺恒一  2013.06.13
  85. 「湖東地域における複数村落による 神社祭祀」 市川
    秀幸 2015.03.27
     
  86. 三島由紀夫の十代の詩を読み解く18:詩論としての『
    絹と明察』(1)~(7) 詩文楽-Shibunraku
  87. 荒神山神社 公式ホームページ 
  88. 甘呂城と川瀬氏「わたしの町戦国 06」 彦根市
  89. 山崎山城跡「わたしの町戦国」彦根市
  90. 甘呂神社 滋賀県神社庁
  91. 西国の山城: 勝楽寺・勝楽寺城
  92. 日本の香りの歴史|香り花房 [ 香りが学べる香り
    の教室]
  93. 佐々木道誉の足跡と平清盛御落胤伝説を訪ねて

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