ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

イングリッド・バーグマン

2016-10-10 20:55:30 | 映画のレビュー

映画「イングリッド・バーグマン」を観に行く。 よくある伝記映画と思えば、さにあらず。大女優イングリッドの人生と人となりを、プライベートなホームムービーと子供たちの証言でつづった、ドキュメンタリーなのだ。

イングリッド・バーグマンと言えば、ギリシア彫刻のように堂々たる美貌、スケールの大きな存在感が、すぐ浮かんでしまう。ハリウッド史上には、幾多の大女優や名女優がいるけれど、その中でも群を抜く、ほれぼれするほど、「素晴らしい顔」の持ち主なのだから。
オードリー・ヘプバーンのようなアイドル的な可愛らしさとは、違う。けれど、清純な処女神を思わせる清潔感と、品格――折り紙付きの演技力とは別に、スクリーンに登場するやすべての人々を魅了してやまなかったのも、むべなるかな。

ただ、女神のような顔を支えるボディーは、ちょっと、というところ。背が高すぎ、骨太過ぎ、まるで農婦のような体つきなのだ。イングリッドより少し前の、やはりスウェーデン出身の大女優グレタ・ガルボも、そうだった。「神聖ガルボ帝国」、「北欧のスフィンクス」と形容された絶世の美女、ガルボ。だが、首が太く、胴も太く、丸太のような体形だったのだ。
今は亡き、名映画評論家の淀川長治さんが、「バーグマンねえ……私はあまり好きじゃないですね。垢抜けしないスウェーデンの、という感じですね」とどこかで書いておられたが、大スターになっても、どこか素朴なもっさりした雰囲気があるのが、彼女の魅力だったのでは?

誰もが魅せられる美しさと、まっすぐな人間性や善良さを感じさせる佇まい(これは、男優で言えば、グレゴリー・ペックやロバート・レッドフォードに共通するものではないか、と思う)――しかし、イングリッドは反面、大胆な冒険心と情熱の持ち主でもあった。

そうでなければ、ハリウッドでの名声を地に投げつけて、イタリアのロベルト・ロッセリーニ監督と彼のリアリズム映画に身を投げ出すはずはないからだ。

若い頃のイングリッドは、確かに美しい。当時のきらめく傑作群での、彼女も輝き続けるだろう。しかし、私が最も惹きつけられるのは、ハリウッドや世間の良識を敵に回した、ロッセリーニ監督とのコンビ作でもなく、晩年に主演した「秋のソナタ」である。

ここで、芸術への愛のため、娘を捨てたピアニストの姿は、最初の結婚で生まれた娘ピアへの心情につながっているかもしれない(実生活では、4人の子供たち皆と良好な関係を結んでいたとしても)。

4人の子供たち(もう、みなすっかり老境に達しているけれど)が語る、母親としてのイングリッド。深く愛された「母」としての素顔を知るにつけても、イングリッド・バーグマンとは魅力的な人だったのだなあ、とため息。 こんな大スターは、20世紀と共に、消滅してしまった。
コメント