ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

わたしの船長さん

2016-05-19 18:54:11 | 本のレビュー



「わたしの船長さん」 和田英昭 作  講談社

「松ぼっくり」(岡山児童文学会)のメンバーの方が以前、出された本。

主人公悦子は、中学三年生。トランペットが得意で、部活でも演奏に熱中している女の子。
けれど、ある日、突然父が自動車事故で死んでしまう。 あまりに謎めいた死に方に、自殺の噂も流れ、多感な悦子の心は傷つくのだが、ある日電話が鳴る。

相手は、父の死を知らぬようで、「お父さんに伝言を頼んでほしい。ナガシマの船長さんからだといってね」と言うのだが、一体誰なのだろう?

ナガシマとは人名? それとも場所の名前なのか? だが、ひょんなことから回答が導き出される――ナガシマは、長島。ハンセン病患者のための療養施設「愛生園」がある島。そして、「船長さん」は、そこに住む人だった――。

ハンセン病と、「隔離」の歴史という重いテーマなのだが、読後感はさわやか。(深く、考えさせられもするのだけど)
これは、悦子とその家族のまっすぐさ、亡くなった父の人間的な深みから来ているものに違いない。

船長さん、とはもちろんニックネームなのだが、彼は15歳で発病し、島に連れてこられた。そして、瀬戸大橋や長島にかかる橋ができる50年以上もの間、島で人生を過ごし続けたことになる。「最初は、年端のいかぬ少年だったせいもあって、悲しくてたまらず、人生を呪っていたこともある」という船長さん。
だが、やがて、どこまでも生きていってやろう、という気持ちがわき起こり、今では生きてよかったと思うまでにもなったという。

この作品を読んで、十代の頃読んだ、神谷美恵子の著作を思い出した(「生きがいについて」など)。やはり、「愛生園」に精神科医として赴任した神谷美恵子は、ハンセン病の患者さんたちの状態を、愛情こめて書き記しているのだが、その中に「いつのまにか、僕は小さな片隅にある人生を愛するようになった」という青年の言葉があったと記憶している。

「らい予防法」から一世紀もたった今、かつての非人間的な隔離の実態が、明るみにされているのだが、なんとひどいことだったろう。
もっと、事実が広く伝わり、「ハンセン病」隔離の歴史を語り継がねばならない、と思う。 
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