滋賀県大津市小野朝日2丁目、標高185.8mの曼陀羅山の北側山頂にあります。
曼陀羅山には南北二つの山頂があります。
琵琶湖の湖面はもちろん、遠く湖東平野、湖北方面までも一望できる絶景の地です。
全長72m、 後円部径53m・高さ5.75m、 前方部幅30m・高さ4.85m 二段構築の前方後円墳です。
前方部はバチ形に開いています。
墳丘には葺き石が施されていたようです。
埴輪の出土はなく、墳丘に埴輪の配列はなされていませんでした。
ふもとの集落から、古墳がよく見えるように意識して造られています。
後円部中央にある埋葬施設は、明治40年地元の人によって発掘、破壊されています。
一辺10m、深さ1.2mほどの穴を掘り、小石を敷き詰め粘土を敷いた、いわゆる粘土槨だったようです。
高野槇で作った割竹形木棺が納められていたようです。
銅鏡(中国製青蓋盤竜鏡)、銅鏃、鉄剣、甲冑、勾玉、管玉(碧玉製)などが出土しています。
銅鏡には25文字からなる銘が刻まれていたそうですが、現在行方不明になっています。
この古墳は、4世紀後半から5世紀初頭にかけての築造と推定されています。
前方部にも同じような埋葬施設が造られているようです。
この地は和邇氏の本拠地で、小野氏(小野妹子で有名)ともゆかりのある所です。
この古墳の被葬者は、和邇氏の有力者とする考えが一般的です。
急な山道を喘ぎ喘ぎ登り切ると、山頂というよりなだらかな尾根筋に出ました。
案内板を見つけることができず、道に迷い山中をさまよいました。
遭難したのかとの思いが頭をよぎったほどでした。
その意味で印象に残る古墳の一つになりました。
それにしてもこんな高所によくも古墳を造ったものだ、と感心させられました。
曼陀羅山には南北二つの山頂があります。
琵琶湖の湖面はもちろん、遠く湖東平野、湖北方面までも一望できる絶景の地です。
全長72m、 後円部径53m・高さ5.75m、 前方部幅30m・高さ4.85m 二段構築の前方後円墳です。
前方部はバチ形に開いています。
墳丘には葺き石が施されていたようです。
埴輪の出土はなく、墳丘に埴輪の配列はなされていませんでした。
ふもとの集落から、古墳がよく見えるように意識して造られています。
後円部中央にある埋葬施設は、明治40年地元の人によって発掘、破壊されています。
一辺10m、深さ1.2mほどの穴を掘り、小石を敷き詰め粘土を敷いた、いわゆる粘土槨だったようです。
高野槇で作った割竹形木棺が納められていたようです。
銅鏡(中国製青蓋盤竜鏡)、銅鏃、鉄剣、甲冑、勾玉、管玉(碧玉製)などが出土しています。
銅鏡には25文字からなる銘が刻まれていたそうですが、現在行方不明になっています。
この古墳は、4世紀後半から5世紀初頭にかけての築造と推定されています。
前方部にも同じような埋葬施設が造られているようです。
この地は和邇氏の本拠地で、小野氏(小野妹子で有名)ともゆかりのある所です。
この古墳の被葬者は、和邇氏の有力者とする考えが一般的です。
急な山道を喘ぎ喘ぎ登り切ると、山頂というよりなだらかな尾根筋に出ました。
案内板を見つけることができず、道に迷い山中をさまよいました。
遭難したのかとの思いが頭をよぎったほどでした。
その意味で印象に残る古墳の一つになりました。
それにしてもこんな高所によくも古墳を造ったものだ、と感心させられました。