滋賀県高島市熊野本横林の標高165mの尾根上にあります。
6号墳の北東方向すぐ近くです。
全長31m、 後円部径20m・高さ4m、 前方部幅11m・高さ2.2m の前方後円墳です。
段築なしに造られています。
墳丘に葺き石は施されていなかったようです。
埴輪の出土は確認されていません。
この古墳からは6号墳同様、平野部や琵琶湖が一望できます。
前方部から、二重口縁壷の口縁部の土器片が出土しました。
この土器片は、6号墳出土の土器片よりやや新しいもので、「この古墳は三世紀後半ころの前方後円墳と確認されました。」と2001年3月、滋賀県高島市教育委員会が発表しました。
ただ築造時期を特定するには、6号墳同様出土した土器片が少なすぎるとの意見もあるそうです。
この古墳や6号墳を含む熊野本古墳群は、「卑弥呼が邪馬台国の女王として君臨していたころ、大和と日本海の間にあって、その交易を握っていた一族のものではないか。」との見方があります。
6号墳の北東方向すぐ近くです。
全長31m、 後円部径20m・高さ4m、 前方部幅11m・高さ2.2m の前方後円墳です。
段築なしに造られています。
墳丘に葺き石は施されていなかったようです。
埴輪の出土は確認されていません。
この古墳からは6号墳同様、平野部や琵琶湖が一望できます。
前方部から、二重口縁壷の口縁部の土器片が出土しました。
この土器片は、6号墳出土の土器片よりやや新しいもので、「この古墳は三世紀後半ころの前方後円墳と確認されました。」と2001年3月、滋賀県高島市教育委員会が発表しました。
ただ築造時期を特定するには、6号墳同様出土した土器片が少なすぎるとの意見もあるそうです。
この古墳や6号墳を含む熊野本古墳群は、「卑弥呼が邪馬台国の女王として君臨していたころ、大和と日本海の間にあって、その交易を握っていた一族のものではないか。」との見方があります。