日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

村田邦夫のヨモヤマ談義⑬ー私の語る「システム」論から、「国家が主体となるべきか、民間(各家庭)が主体となるべきかを、再考するとき(終)

2020-08-19 | 日記
村田邦夫のヨモヤマ談義⑬ー私の語る「システム」論から、「国家が主体となるべきか、民間(各家庭)が主体となるべきかを、再考するとき(終)

最初にお断りしておきたいのだが、私の準備不足が原因で、これ以上はこのタイトルの下に、論を進めることができなくなったことを、ここにお詫びしておきたい。ただし、私が話しておきたかった要点だけは述べることができたと思っている。読者の多くの方には、おかしなことを言っているように見られるのかもしれないが、少し以前の記事でも論じていたように、私の語る「システム」論の立場からは、国家が前面に出てくる形での戦没者の慰霊には反対なのである。

それに関して、少し付言しておきたいことがある。それは戦没者の慰霊を誰が行うにしても、またどのような場所で、そしていかなる形でなされるにせよ、「システム」の中で、たとえ生きていかざるを得ないにせよ、コインの裏表の関係にある戦争と平和の関係に代わる、それとは異なる別の関係に位置する「平和」を実現するために、その「組織」主体が、「日本」と「日本人」の「衣食足りて」の営為の実現と、それに呼応する「礼節を知る」営為の実現を模索する、すなわち、可能な限りにおいて「システム」の「外」に踏み出そうとするのであれば、前言を翻すことになるものの、国家であれ、民間であれ、いずれでも構わない、と私は強調しておきたいのである。

上述したくだりに関連して補足しておくと、たとえ、私たちが「システム人」として、「システム」の中で生き続けるにしても、先のように、コインの裏表の関係にある「戦争」と「平和」とは異なる「平和」を実現するための「衣食足りて」の営為と、それと相互に補完する関係に位置するような「礼節を知る」営為の実現の在り方を目指す限り、そのこと自体が、「システム」の「外」に這い出ることを意味している、と私は考えるのである。
換言すれば、そうした営為を何ら考慮しないで、ただ「システム」の中で生きることに甘んじているだけの「民間(各種団体・各家庭)」が主体となるのであれば、たとえ形式的には、国家とは異なる「民間」だとしても、それでは最初から、お話にもならないと言うことである。

最後に一言。

「戦没者」の定義も一様ではなく、また慰霊異の形式・形態もも様々な現状を踏まえるとき、そして何よりも、私が強く訴えたい「システム」の提供する{[衣食足りて(足りず)礼節を知る(知らず)]}の営為の実現関係に替わる、そうした営為の現実化に至る道程がなお、はるか彼方であることを鑑みるとき、戦没者に対する拙論のご報告は、いずれ機会を改めてのことといたしたい。
なお、拙著『覇権システム下の「民主主義」論』の第3章の副題は、〈「英霊」に捧げる「民主主義」論〉であった、と記憶している。


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村田邦夫のヨモヤマ談義⑫ー私の語る「システム」論から、「国家が主体となるべきか、民間(各家庭)が主体となるべきかを、再考するとき(続)

2020-08-19 | 日記
村田邦夫のヨモヤマ談義⑫ー私の語る「システム」論から、「国家が主体となるべきか、民間(各家庭)が主体となるべきかを、再考するとき(続)

本論に入る前に、前回で取り上げた竹内洋氏の「大衆社会」についての捉え方について、私なりの感想を述べておきたい。

竹内氏は、大衆社会というか、社会がすべて大衆に埋め尽くされて、もはやどこにも「シェルター」を見出せないで、窒息する危険性を述べていたように、私には思われたのだが、それに対して、私は、前回記事でも指摘していたように、ーーー「システム」は常日頃から、私たちを「総力戦体制」の下に、「総動員」させる形で、「センソウ・戦争状態」におき続けている。ーーーことから、私は窒息しそうな息苦しさを覚えるのだ。

この両者の関係を問いただすことが、私には重要な問題ではあるまいかとみている。それゆえ、前回の記事において、私は、「システム」の中に「大衆社会」を位置付け直して、両者の関係性を問うことを述べていたのだ。

と言うのも、大衆社会を構成する大衆といえども、私のモデルで描く{[衣食足りて→礼節を知る]→[衣食足りて・足りず→礼節を知る・知らず]→[衣食足りず→礼節を知らず]}の営為の実現関係の中で生きざるを得ないことから、この「システム」の中に大衆社会と大衆を位置付け直すことにより、両者の関係(性)を捉えることができる、と私は考えるのだ。

竹内氏の話を聞く中で、前回の記事でも触れたように、西部劭氏の「大衆デモクラシー」批判の論考を思い出していたが、同時に私は、アラン・ブルームの『アメリカン・マインドの終焉ー文化と教育の危機』で描かれる「古き良き時代」の「アメリカン・マインド」なるものは、私の語る「システム」({[A]→(×)[B]→×[C]}、{[B]→(×)[C]→×[A]})の中で形成、発展し、そして終焉したのではないか、と考えるのである。

すなわち、差別と排除の関係を前提とした「三つ」の下位システムから成る「一つ」の「システム」の中で、アメリカン・マインドなるものは醸成されてきたということを鑑みれば、そのマインドは手放しで拍手喝采とはいかないのではあるまいか。と同時に、もう二度と、古き良き時代のマインドを取り戻すことはできない、と私はみているのだ。

同様に、かつての欧米社会における「教養と財産のある人々、すなわち、いわゆる「名望家層」が登場する背景を鑑みるとき、先のアメリカン・マインドと同様に、あまり褒められたものではなかった、と私はみるのだ。名望家層が中心となってつくられた公衆社会が後に大衆が中心となる大衆社会へと変貌したと喧伝されるとき、両者をつくり出す「システム」における差別と排除の関係を前提とした「一つ」の「システム」の構造とその性格には何ら異なるものは見いだせなかったことに注意すべきではあるまいか。

私がそう考える理由には、大衆社会の対極に位置づけられる「公衆社会」の特徴とされる「教養」と「財産」の主源泉であった「衣食足りて礼節を知る」の営為の実現に見いだされる、看過できないほどの「人権」(「市民的権利」)を巡る差別と排除の関係が組み込まれているということが大きく与っていた。

私は、こうした観点から、竹内氏が講演の前半部で語っていた「エリート・コンプレックス」を捉え直すとき、それは単なる「コンプレックス」といった「エリート」の、自分たちよりも「劣位の状態(環境)」に置かれた人々に対する「自責の念」といった感情に収れんできない、収れんさせてはならない、自らの「命と暮らしを守る」と同時に、市民的権利(人権)の実現にみる「自己決定権」の「能力」における大きな「格差」の存在が見いだされることにこそ、私たちは目を向けるべきではあるまいか。

こうした点を踏まえながら、「大衆社会」論の抱える問題点について、そもそも「公衆」とか「大衆」として位置付けられている人たちは、一体いかなる「衣食足りて(足りず)礼節を知る(知らず)」の営為の関係を担い支えてきたのかという観点から、私はさらに論及していきたいと考えているが、ここではこれ以上は踏み込まない。以下では、前回からの話の続きを論じてみたい。

それにしても本論に至る前置きが長くて、読者には申し訳ないが、ずっと以前に考えてきた問題を、竹内氏が思い出させてくれたので、そちらも気になってしまったのだ。(続)

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(訂正・修正版)村田邦夫のヨモヤマ談義⑪ー私の語る「システム」論から、「国家が主体となるべきか、民間(各家庭)が主体となるべきかを、再考するとき

2020-08-18 | 日記
(訂正・修正版)村田邦夫のヨモヤマ談義⑪ー私の語る「システム」論から、「国家が主体となるべきか、民間(各家庭)が主体となるべきかを、再考するとき

前回の投稿記事には、竹内洋氏に対する私の見当違いな見解がありましたので、以下に訂正・修正して置きます。

先ずは「肱雲の噺」のブログ記事に対する私のコメントから始めたい。さすがに肱雲さんだ。短い文章の中で、苦みのある濃い泡立ちのエスプレッソならぬエスプリの利いた私が食いつきそうな題材を提供してくれている。本当にありがたい。私の記事を、少しでもわかりやすく読者に、との思いからいろいろと記事の工夫をしてもらい、恐縮する次第だ。

前回記事で、私は以下のように述べていた。「肱雲さんの8月16日の記事の中で紹介されていた竹内洋さんのユーチューブにある話は、最初から面白くなく、途中で嫌になってしまった。どうして、こうも安全地帯に位置している有名大学の先生方は晩節を汚すような生き方しかできないのだろうか。それこそ、安倍首相ヨイショと言うか、「原発村」の御用学者となり下がって、もうお話にもならない。話の中身も、もとよりM・ヴェーバーの足元にも及ばない。」、と。

しかしながら、ここにあるくだりは、別の人に対するものであり、竹内洋さんに対するものではなかったことに、後から気が付いた。たけうちしのはなしは、最初の方とと最後に、違和感を抱いたのだが、話全体はそれなりに聞くことができたし、質疑応答の時間は、朝日新聞社の「従軍慰安婦報道」と最後のAKBに関する部分を除いては、至極納得のいく話であった。

とはいえ、最初に確かめもせずに記事投稿をした私の誤りは訂正しておかなければならない。もとより、訂正で済むものでもないが、完全に誤解した上での私の話であるので、ここに謝罪しておきたい。申し訳ありませんでした。

それを踏まえた上で、竹内氏の話について、少し言及しておきたい。以下に論じたように、「大衆」についての位置づけ方には、私は別の見方が必要だと考えている。この人は「大衆」と「官僚制」をキー概念として、戦後日本の歩みを語るのだが、なんと評すべきか。大衆について、それはもともと「マス」であり、塊を意味していて、そこには何か「不気味さ」が含意されている云々。さらりと、「公衆」「群衆」「大衆」と時代のの流れを話したが、私たちも昔のテキストで良く学んだことを覚えている。

竹内氏の講演の文脈から離れることを恐れないで簡単に言うと、「教養と財産のある人々」から構成される公衆に、財産も教養もない大衆が加わった社会とそれが抱える問題について、語られていた。昔の素朴でウブな私は、それを信じ切っていた、少し考えればわかるというものを、それこそ何も考えずに覚えていたのだ、大学で学んでいるのに、高校と同じく「暗記」が中心なのだ。

教養と財産のある人たちは、どんな生き方をして、またどんな社会をつくったのだろうか。簡潔に言えば、私の描くあの「システム」だった。差別と排除の関係を前提とした「三つ」の下位システムから成る「一つ」の「システム」をつくり出し、それこそ「金の成る木」をフル稼働に働かせて、植民地や従属地とそこに暮らす人々に塗炭の苦しみを味合わせたのだ。

そうした収奪から手に入った「財産」であり、そうした収奪に何ら良心の呵責も感じさせない「教養」だったのだ。そして、こうした社会をさらにより多くの大衆が参加して担うのだから、大衆が不気味で何か怖ろしい存在云々などではなくて、そもそも彼らが組み込まれた器である「システム」それ自体が不気味な存在だったのだ。ここに全く目が向けられないのだ。

そして、この「システム」の歩みが、先のヴェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』や『社会主義』において問い質そうとした「官僚制」の抱える宿痾だったのだ。東大や京大の研究者が、それこそ安全地帯に安住できる彼らが、権力の犬(ポチ)のように、喜んで政府諮問会議やその他のヨイショ村に詣でるのは、本当にもったいない学者人生ではあるまいか。

森友・加計問題をはじめ、安倍長期政権には許しがたい、取り返しのつかない失政が続いていた。そうした問題を、それこそエスプリを利かせて、「古典」になぞらえて文章でもって時の政権を論難するのが、大学教養人の重大な使命ではなかったのか。権力と一線を画して、何者からも自由な地点に身を置くことが許されていたのに、何をトチ狂ったのか、自ら進んで権力と迎合して、学者人生を終わらせてしまうとは、もったいない話ではあるまいか。

私から言わせれば、この種の人種こそがまさに「大衆」であり、不気味な存在なのだ。竹内氏は、『中央公論』がAKBに政治を語らせてみることを企画していると聞いたときに、それは読者をバカにすることにならないかと述べている。しかし、私はそれ以前に、いわゆる専門家に騙され、馬鹿にされてきた多くの読者がいることを鑑みるとき、そうした企画もありだと考えるのだ。

そこに、私は不思議な時の流れを感じている。最近の芸能人による社会とその出来事に対する「発言」のラッシュだが、そこには、彼らの危機感が漂っているように思われるのだ。本来なら、それこそ大学人が社会に対して発言することが求められているのに、彼らがそうしないのだ。彼らがそうできない背景も私には少しわかる。竹内氏も認めているように、今や大学は、落ち着いて研究ができなくなっている。大学それ自体が、生き残りのために、学問・研究の即戦力ではなく、文科省やその他の権力機関に対して「媚びを売る」ための即効薬として、元官僚、法曹界、マスコミ各方面からの人材を受け入れている。

こうした流れは、社会の中に大学が埋没してしまう傾向をさらに助長させている。大学院で地道に研究してきた大学院生が、その煽りを食うようでは、大学の研究水準も維持されなくなるのは必至であろう。理系のことはよくわからないものの、文系の大学院生は、確かにそうした状況下に置かれている。

とにかく情けない話だらけなのだ。どうしてこうなったのか。今さら嘆いてもどうしようもないことだが、それこそヴェーバーも指摘していたように、近代化の成れの果ての近代人は、「精神のない専門家、魂のない享楽的な人間。この無にひとしい人は、自分が人間性のかつてない最高の段階に到達したのだと、自惚れるだろう」ということなのだ。

ここにある彼の嘆きを、私たち一人一人が、今さらどうにもならないことを承知の上で、それでも自戒すべきことではあるまいか。私の描く「システム」で生きている限り、こうした人間となるのは当然であるに違いない。そんな「システム」にどっぷりと浸りながら、世の中を憂いたとしても天に唾することになろうが、それにもかかわらず、やはりそれを許してはならないことは、批判すべきなのだ。

そして、そうした批判を、今や大学人に代わり、芸能人が担ってくれているのだ。その意味では、今や「エリート・コンプレックス」の概念も様変わりしているのではあるまいか。すなわち、エリートが果たすべき本来の「天職」を、もうエリート水かだが担えないことを理解した芸能人やその他の市井の人々が担ってくれていることに対するコンプレックスなのだ。

芸能人も、自らの「芸」の観点から、もっともっと積極的に発言すればいいのである。大学人もテレビに出てその芸の幅を広げている時代なのだから、何も遠慮することはないだろう。ただし、やはり「餅屋は餅屋」だろうから、自らの芸を極めることをおろそかにしてはならないことは言うまでもないが。

少しだけここでまとめておきたいことがある。竹内氏の語る大衆社会、超大衆社会、大衆天皇云々の話は、西部邁氏も長らく論及されていたテーマであったが、私が拘泥したい話は、そうした大衆社会が包含されている「器」は一体なんであるのか、という議論なのだ。すなわち、それは、私にとっては、「システム」なのだが、私たちが生きている「システム」の「歴史」とその「段階」と切り離された大衆社会論の議論には、私は空虚な感慨しか抱けないのだ。

そうした切り離された大衆社会論は、結局は独り歩きしてしまい、何か独善的な少数のエリートの優越性を物語るように思えて仕方がないのである。その少数のエリートの存在と「1%対99%」の構図の中の1%の間には親和性があるようで、これこそまた「不気味な」現象として、私には映るのだ。この問題についてはまた後日、論を展開してみたい。

さて、それでは本論に入ろう、と思ったが、少し熱中症の感があるので、この辺で今はやめておきたいのだが、少しだけ以下の節分に目をとおしてほしい。

「システム」は常日頃から、私たちを「総力戦体制」の下に、「総動員」させる形で、「センソウ・戦争状態」におき続けている。そして「戦争」となって戦死した私を連想した時、私は静かに言うのだ。「もう勘弁してほしい。私を「システム」から「解放」してくれ。戦死した後も、「システム」とその下位組織である国家によって、私と残された私の家族が、国家主催の慰霊式を挙行することで、私を安らかに眠らせてはくれない。あろうことか、家族さえ「システム」にさらに巻き込んでしまう。そもそもの国家の戦争へと至った、戦争を防げなかった責任を無視・放棄して、何が慰霊なのだ」、と。

前回、前前回の記事で、私は、私の語る「システム」論の立場から、誤解を恐れないで、正直な気持ちを述べさせてもらった。ここでいう「誤解」とは、私の頭が相当にいかれたのではないか」とのそれである。ただ、これまでも、読者の中には、私の記事を読み「飛んでも論」と思われる人も多いだろうから、何も今更、断る必要もないことではある。

私が、ここで誤解をすぐさま与えたくはないと考えたのは、「英霊」を始めとする死者の霊となって、私の拙論に目をとおしてくれている「戦没者」の方々の御霊を、念頭においてのことであった。私は、私のできる限りの力でもって、日本内外の、それこそ大日本帝国に関わった彼ら戦没者にこそ、まずはお目をとおしていただきたいと祈念しているのだ。

そもそも、突然の赤紙一枚で、戦場へ送り出した国家とその国民を考えた時、戦前の国家とそれを生み出す土壌と言うか「環境」(つまり「システム」)は、今のこの21世紀の国家とそれを生み出す環境と、一体どれほど、その「性格」において、異なっているのだろうか。

軍部が憎い、政府が憎いと考えなかった人は、誰もいなかったのだろうか。自由にものも言えない、反対意見を表明できない、そんな環境とそれを当然の如く国民に押し付けてきた国家権力に対して、恨みつらみは相当にあったのではあるまいか。そんな国家の性格は、戦前と全く異なるとどれほど自信を持って言えるのだろうか。

戦争で命を失くした人々は、本当に彼らの慰霊を。国家によって行ってもらいたいのであろうか。国家が戦争を遂行したのだから、そしてそれにより多くの人命が失われたのだから、慰霊は国家がするのは当然だとする理屈は、どれほど正当性を持つのだろうか。と言うのも、それなら、なおのこと、国家にやらせてはならないとの声も強くなるではないか。

二度と戦争の犠牲者を出さない国家が実現されたとはとても思われないときに、いや、直截に言うならば、常に戦争を継続する国家とそうした国家をつくり出す「システム」を前提とするセカイ・世界の中で生きている以上、私には戦争「犠牲者」の慰霊は、国家が担うべきではないと考えるのである。ましてや、今なお近隣諸国に対して、また自国民に対する戦争責任や戦時補償を十分に行うことのできない国家を前にするとき、国家が全面的に慰霊の式典を挙行するのは筋違いだ、と言わざるを得ないのである。(続)


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村田邦夫のヨモヤマ談義⑩-私の語る「システム」論から、「戦没者」(終戦記念日)の式典での首相挨拶における「戦争の惨禍を二度と繰り返しません」の含意を再考するとき

2020-08-15 | 日記
村田邦夫のヨモヤマ談義⑩-私の語る「システム」論から、「戦没者」(終戦記念日)の式典での首相挨拶における「戦争の惨禍を二度と繰り返しません」の含意を再考するとき

先ずはブログ「肱雲の噺」の記事の冒頭部分をここに引用貼り付けしたので、それをご覧いただきたい。

(引用、始め)

お盆に村田さんは直球勝負
2020年08月15日

8月15日、「堪え難きを耐え、忍び難きを偲び…」の御言葉が発せられ、75年が過ぎた。「人生は戦争だ」と考えれば、人は日々、最前線に立たされている。生まれてから死ぬ迄、実弾は飛んで来ないが、厳しい生活を強いられている人々にとっては、生きて行くのが正しく戦争そのものかも知れない
だが、実弾の飛び交うホンモノの戦争は、生活上のそれとは訳が違う。否、そうした日々の何気ない生活の隅々に、実弾を使う殺し合いの「戦争のタネ」が播種されているのかも知れぬ。システムに戦争のタネは隠れて、呑気で平和ボケに安住する我々を、ニタニタ笑っている様に思われるのである

(以上、引用終わり)

上述したくだりは、〈村田邦夫のヨモヤマ談義④-私の語る「システム」論から、テレビのサスペンス劇場の「警察」関連ドラマを鑑賞して感じたこと〉の記事の最後にある≪(追記)「セカイ」とは、身近な、身の回りの生活空間を、また「世界」とは、もう少し大きな国家や国際関係を舞台とする空間を、それぞれ意味していることを、ここで断っておきます。≫を、わかりやすく解説してくれたくだりである。

すなわち、何度も指摘したように、私たちは、「平和な民主主義」社会の実現のために「勝ち続けなきゃならない」セカイ・世界とそこでのセンソウ・戦争を当然とする「空間」の中で暮らしているのだが、この空間は、なんとも表現しがたいほどに、怖ろしいものなのだ。この空間=「システム」の中で生きていることから、「戦争」と「平和」がコインの裏表の関係となるセカイ・世界の中で、生きざるを得ないのだ。そのことを、肱雲さんの先のくだりは、見事に語っているのである。

こうした点を踏まえて考えるとき、私たちが戦後の「平和」な社会の中で、これまでずっと生きてこられたことに感謝しますというとき、それは、換言すれば、私たちが戦後この方ずっと、「戦争状態」の中で生きてきたことを意味しているのではあるまいか。それを前提として、安倍首相の式典での「戦争の惨禍を二度と繰り返しません」の誓いは、私にはやはり、ピンボケした空虚な念仏にしか聞こえてこないのだ。

もっとも、首相の演説原稿は、誰かが首相に代わり書かれたに違いないのだが、8月の戦争関連行事での式辞は、どれもこれも「金太郎飴」的な内容でしかないことから、何か空疎な感を抱くのだが、その感慨はおそらく、私一人ではないだろう。「戦没者」も同じ思いなのではあるまいか。

最後に一言。

これも何度も述べてきたことだが、「式典」は、あくまでも「戦没者」が「あの戦争」の「犠牲者」として奉られる存在であり、彼らを、あの戦争の「殉教者」として奉るようなことがあっては、決してならないのだ。その意味では、広島・長崎と同様に、8月15日の式典は、私たち民間人が主体となって、執(と)り行うべきものではあるまいか。

私の見る限り、いずれの式典も、「システム」の犠牲者としてではなく、その殉教者として取り扱われている、と言わざるを得ないのだ。至極残念なことだ。付言すれば、私たち「民間人」が、それぞれの家庭において、「挙行」すべきことなのだ。それを国家に主催させるようなことがあってはならない、と私の語る「システム」論からすれば、当然ながら、そうした結論に落ち着くのである。

近いうちに、この問題について再考してみたい。


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村田邦夫のヨモヤマ談義⑨-私の語る「システム」論から、「二度と戦争を繰り返さない」との「嘘」を繰り返さないために、「日本と日本人」の「衣食足りて礼節を知る」営為の実現の在り方について、考えるとき

2020-08-15 | 日記
村田邦夫のヨモヤマ談義⑨-私の語る「システム」論から、「二度と戦争を繰り返さない」との「嘘」を繰り返さないために、「日本と日本人」の「衣食足りて礼節を知る」営為の実現の在り方について、考えるとき

私たちはこれまで戦後一貫して「嘘」を言い続けてきた、「二度と戦争は繰り返しません」という嘘を。と言うのも、私たちの「衣食足りて礼節を知る」の営為の実現は、戦前も戦中も、そして戦後も「システム」が提供する「衣食足りて(足りず)礼節を知る(知らず)」の営為に与り続けてきたからである。

換言すれば、覇権システム、世界資本市議システム、世界民主主義システムの「三つ」の下位システムから成る「一つ」の「システム」の中から、一歩も外に足を踏み出すことはなかったからである。この「システム」こそ「金の成る木」であり、そのために「戦争」を繰り返すのをその「業務」としてきたからである。

その意味では、私たちは、いつも戦争状態の中に置かれているのである。「システム」の中で生きることは、「戦争」と「平和」が同じコインの裏表の関係を成しているセカイ・世界の中に生きていることを意味している。それは、例えば、日本と日本人には「平和」だと理解されるセカイ・世界であっても、別の国とその国民には「戦争」を意味しているということなのだ。

それゆえ、日本と日本人には、どれほど激しい戦闘が中東で行われていても、涼しい顔をしながら、「平和な日本に生きていることに感謝する」云々の言辞を、広島・長崎への「原爆投下」、「終戦」に関わる定例の儀式において、弄することができるのではあるまいか。

日本と日本人は、そんな中東から石油を輸入しているが、その油井地域と輸送ルートを米国海軍や空軍、そして陸軍によって守られていることから、またその米国の軍事力の行使が中東の欧米諸国に対する抗議や反乱を抑え込んできたという意味で、いわゆる日本の「衣食足りて」の営為は、覇権国の米国の圧倒的暴力の展開の下で実現されてきたことを鑑みるとき、日本の「礼節を知る」営為の実現には、つまり自由や民主主義や平和の実現には、中東諸国のおびただしい人々の血塗られた歴史が組み込まれていたという意味において、戦後も、戦争状態の中で生きてきたのではあるまいか。

もし、「本当に」、二度と戦争を繰り返さないというのであれば、日本と日本人の「衣食足りて礼節を知る」の営為の実現の在り方を、それこそ真剣に問うことが大事だろう。そのためにも、私たちが先ずは「システム」の中にからめとられて生きているという現実を自覚、理解する必要がある。

それを理解すれば、日本と日本人の「衣食足りて礼節を知る」の営為の実現が、どれほど絶望的で、困難な試みであるかに気が付くに違いない。と言うのも、私たちがそれこそ、幕末の開国以降に組み込まれた、{[A]→(×)[B]→×[C]}の「システム」は、とても強固で、容易には日本の試みを許さないのは明らかであると同時に、「あの戦争」へと至った経緯を踏まえるならば、さらに八方ふさがりの感が強くなる。

日本と日本人にとっての「あの戦争」は、「システム」の外に出ていくための戦争では決してなかったのだ。「システム」のBからAへと這い上がろうとした結果の戦争であった。それを鑑みれば、「システム」の外へ足を踏み出すことによって、いかなる深刻な事態が導かれるのかを考察することは、それほど簡単な話ではあるまい。

しかしながら、それにもかかわらず、今からでもその道を進むことを、私は強く訴えたいのだ。ここにあの「不協和音」の歌が聞こえてくるかもしれない。勿論、「システム」の機嫌を悪くしないで、逆鱗に触れるやり方は避けなければならない、それこそ「してはならない」のだが、それでは「してもいい」ことは何かを提示しろと求められるとき、私の頭の中には、あまりいい考えは浮かんでこないのだ。

確かに、拙著やこのブログ記事でも、第1次産業を中心としながら、その周りを第2次、3次、4次、--産業が取り囲む形の「衣食足りて」の営為の在り方を提案していたと同時に、これまでの「礼節を知る」営為とは異なる[礼節]に関して語っていた。

私は、この路線しか、「1(%)対99(%)」の構図にある「99」の日本人と、その彼らが担う日本が生き残る道は、それ以外にはあるまい、と確信するのだが、問題となるのは、残りの「1」の日本人が、世界の「1」の人々と結びついて、私の推進したい「生き残りのための策」を、葬り去ることに、積極的に手を貸すことなのだ。

私はここで、1950年代の中国での近代化を巡る梁漱溟と毛沢東の路線対立を思い浮かべる。前者は第1次産業を前提とした路線に対して、後者は第2次産業を前提とした路線で対立した。その結果、勝利したのは毛沢東の工業化路線であったが、それは「システム」が勝利させたことは間違いない。

同じように、21世紀の「システム」は、かつてのAの先進諸国に、第3次の金融・サービス化産業を中心として、そこからさらに、、第4次、5次、ーーーと、産業の高度化を辿る路線を推進させるだろうから、私のような生き残り策は、結局は踏みつぶされるのは必至だろう。

しかしながら、そうした路線は、私たち日本と日本人を、これまで以上に「システム」に対して、がんじがらめの状態となるように強いることを意味している。忘れてはならないであろう。「システム」は「金の成る木」であり、そのために、いつも「システム」には戦争が組み込まれていることを。そして21世紀の「システム」はそれ以前の「システム」とは異なり、戦争の破壊力を、さらに強めていることを。

そうした状況・状態の中で、「二度と戦争は繰り返しません」との式典での誓いは、もう単なる嘘を超えて、生きている私たちの死者に対する「冒とく」以外の何物でもあるまい。それゆえ、21世紀のこれからの式典に私が望むのは、「システム」の中で、私たち日本と日本人が、コインの裏表の関係ではない「平和」を実現するためには、どのような「衣食足りて」の営為が、またその営為と呼応した、いかなる形の「礼節を知る」営為が求められるのかに関する「発表会」であってほしいということなのである。21世紀を担う若人の叡智が、必ずや新たな展望を開くことを、私は信じて疑わない。


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